PANORAMA STORIES

夏休み特別エッセイ「ヒトナリ少年の思い出・イタズラ編」 Posted on 2022/07/18 辻 仁成 作家 パリ

とにかく悪いことばっかりしていた。悪いことがあの頃の僕たちの全てであった。大人に怒られたくて仕方がなかった。怒られることが快感でもあり、勲章でもあった。

平和町山賊団は世界制覇の野望を秘めて町中を闊歩していた。僕の隣にはやっちゃんが、藤田君が、ミカちゃんが、ヨー君が、そして弟のツネちゃんがいた。
ツネちゃんが知らないおじさんにくっついていってしまった、と嘘をついたこともあった。大人がどれくらい心配をするか、見てみようということになったのだが、予想以上の大事になってしまい、社宅中の人達が総出で近所を走り回り、警官までが駆けつけてきて、それを見た藤田君兄妹が怖くなって白状してしまい、結局僕は母さんに物凄く怒られただけではなく、会社から戻ってきた父さんに、何をしてもいいが、絶対にしてはいけないこともある、と殴りつけられてしまうのだった。

男の根性を試すといって社宅のベランダを山賊団に登らせたことがあった。三階建てとはいえ、わずか五、六歳の子供たちにとってはベランダを登るのは大変なことであった。結局、まだ小さかった弟のツネちゃんは腕力がなくておっこちてしまい、腕を折った。骨が折れるということが分からないものだから、痛がる弟をほったらかしにしておいた。家に戻っても泣き止まないツネちゃんの異常に母さんがやっと気がついて、骨折が発見された。すぐに病院に行ったが、動揺していた母さんは整形外科へ行かなければならないところを普通の外科へ行ってしまい、結局ツネちゃんの腕は直るには直ったが、への字に接合されてしまったのだ。その後現在までその腕は曲がったままである。

地球カレッジ

怪我はつきものであった。僕はしょっちゅう怪我をしていた。一番酷かったのは社宅の隣を流れる下水を飛びきれず、コンクリで頭を切り、血だらけになって病院に担ぎ込まれた時であった。額から流れ落ちる血で前が見えなくなった。目も開かないし、顔は血でぬるぬるだった。生まれてはじめてみる自分の血に驚いて僕は気絶した。九針を縫う大怪我だった。僕や弟が怪我をするたびに、母さんは走った。僕等をかついで病院から病院へと走った。血だらけになりながらも、僕はいつもそこに安心を発見していた。

車の排気孔に石を詰めたり、家中の鍵穴を接着剤で埋めたり、自転車の空気を全て抜いたり、配られた新聞を隠したり、社宅の門を紐で縛って開かなくしたり、給水塔の中に赤い絵の具を流し込んで水道水を真っ赤にしたり、全員を引き連れて家出をしたり、新聞配達の青年を襲撃したり、あの頃僕たちは思いつくかぎりの悪さを実行した。



その度、僕は母さんに大目玉を食らわされ、会社から帰ってきた父さんに殴りつけられた。でもそれらは今思えば、とても健全なことでもあった。そういう悪戯をその都度毎回怒ってくれた母さんと父さんには感謝している。その時には分からなかったが大人になって振り返ると、怒ってくれる大人たちが回りにいたことは何よりの財産であった。怒られたくて、僕はきっと悪さをしていたに違いない。そうやって僕等はきっと、少しずつ少しずつ大人になっていったのだ。

夏休み特別エッセイ「ヒトナリ少年の思い出・イタズラ編」

第6回 新世代賞作品募集
自分流×帝京大学



Posted by 辻 仁成

辻 仁成

▷記事一覧

Hitonari Tsuji
作家。パリ在住。1989年に「ピアニシモ」ですばる文学賞を受賞、1997年には「海峡の光」で芥川賞を受賞。1999年に「白仏」でフランスの代表的な文学賞「フェミナ賞・外国小説賞」を日本人として唯一受賞。ミュージシャン、映画監督、演出家など文学以外の分野にも幅広く活動。Design Stories主宰。