PANORAMA STORIES
夏休み特別エッセイ「ヒトナリ少年の野望・カナブン編」 Posted on 2022/07/13 辻 仁成 作家 パリ
夏休みは平和町山賊団にとってワルの書き入れ時である。
とにかく宿題さえ終わらせてしまえば、午前中の早い時間から僕等はみんな山賊に変身とあいなった。
僕等が住んでいた日新火災平和町社宅の隣には、小高い山が住宅地の中にぽつんとあった。それは渡辺別荘と呼ばれていて、大人たちの話しによると、渡辺さんという福岡を代表する大金持ちの別荘であるらしかった。野球場が二つは十分入るほどの大きさの敷地だった。入り口から頂上にある別荘までは緩やかに曲がりくねった山道が走っており、その両脇には喬木が空を隠して伸びていた。
僕たち幼き山賊にとって、渡辺別荘は住宅地のど真ん中にある緑豊かな絶好の遊び場であった。渡辺さんという人がどんな人物かは、いまだに分からない。三十数年が過ぎた今もその別荘は高宮の住宅地の中にひっそりと残っている。思い出とともに、古い建物がどんどん壊されていくというのに、そこだけ僕の子供時代の記憶そのまま、現代まで生き延びているのだった。
山賊団と名乗る以上、僕等には山が必要だった。渡辺別荘こそ、僕等山賊団の素晴らしき活動の拠点であったことは言うまでもない。
山には沢山の昆虫と植物と小動物がいた。僕等はそれらを追いかけ、それらを恐れ、それらに追いかけ回され、時には刺されて、時には殺して、時にはその亡骸にそっと手を合わせた。
残酷と無邪気が同居していたあの時代の僕、今思い返せば数々の蛮行を山の生き物たちにしてしまった。カナブンと呼ばれる昆虫は僕等に捕まったら最後、カナブン飛行機と呼ばれる玩具になった。
カナブンの首の付け根に、僕は三メートルほどの凧糸の先を巻いて、もう一方の先を握りしめ、カナブンを空高く離した。カナブンは逃げようにも、三メートル飛んでは首をしめられ方向転換を余儀なくされた。その結果、カナブンは僕を中心にぐるぐるぐるぐる、死ぬまで飛びつづけることとなった。凧糸を強く結びすぎてしまって、飛んでいたカナブンの体が二つに切断されてしまったこともあった。
「ヒトちゃん、また空中分解したとよ」
とミカちゃんは大声で叫びながら、落ちたカナブンの頭を拾っては僕の元に持ってくるのを楽しみにしていた。
大人たちは山の蛇を怖がっていたが、僕ら山賊団は蛇など目ではなかった。蛇革の高級鞄を作ろうと僕が提案し、僕等は向こう見ずにも蛇狩りを行った。二股に割れた木を手にもち、それで蛇の首根っこを押さえつけ、蛇が動けなくなるのを見計らって、石で死滅させる作戦であった。死んだ蛇は皮をはぎ取り、木に干した。数日して乾いた蛇皮を勇気の印として頭に巻いて遊んだものであった。南の島に人食い人種がいて、人間の皮をかぶっているという伝説が小学校を駆けめぐっていた時期でもあった。蛇皮くらいでは僕等は驚きはしなかった。それを頭に巻いている僕の姿を見た母さんは悲鳴をあげた。いつも怖い母さんを追いかけ回す快感ったらなかった。
蛙のお腹に火薬を詰めて、手榴弾と言いながら、よく道行く人々目掛けて投げつけていた。近くの牧師さんの顔の前で蛙爆弾が炸裂し、蛙まみれになった牧師さんに怒られたこともあった。
カマキリの巣を家に持ち帰り、それを勉強机の引き出しの中に仕舞っていて、ある時それが全てかえって家中カマキリだらけにしてしまったこともあった。母さんはまたしても失神していたが、小さなカマキリが畳の上をざくざくと歩いている姿には、生命力の逞しさを感じたものであった。
ミミズにおしっこを掛けたらおちんちんが腫れる、という噂は当時からあった。勿論、山賊団にとって、ミミズは絶好の便所となった。ミミズが現れると、山賊団はおちんちんを腫らしたくてしょんべんをひっかけまくった。
「なんでそんなことばすると」
とミカちゃんは顔を真っ赤にして抗議したが、僕等は、
「だって、腫れたおちんちんばみたいやなかか」
と声を揃えた。理由なんてなんでもよかった。危険とか、ダメとか言われれば、それをしたくなるのが子供であった。今思えば、危険こそが一番の教育者であった。危険が僕等に教えてくれたことは大人になって本当に役に立った。ダメといわれて、それをしない子には、優等生になる素養はあっても、人生の枠を飛び越える度胸や器は得られないのかもしれない。町中に聳える立ち入り禁止の看板は、そこに僕等にとってはもっとも素晴らしい遊び場があることを教えてくれる目印でもあった。
本当に危険な場所へは入れないものである。危険という看板だけを書いて、そういう場所を放置している大人にこそ問題がある。子供たちに、そういうところに入りたがる習性があるのは、ご自分の子供時代を思い出せば誰にでも分かるものである。本当に危険な場所には立ち入ることができないようにしてあげなければならないし、それが大人の役目というものなのだ。当たり前のことだが、馬鹿な大人が多いせいで、子供たちに犠牲者が出ていることはあまりにも悲しい現実である。
ミミズにおしっこをかけても誰のおちんちんも腫れなかった。僕等はいつまでも腫れないおちんちんをじっと見つめていた。
「ミミズにおしっこばかけると、そのおしっこを伝ってなんか悪い菌がおちんちんに進入するとやろうか」
と藤田君が言った。菌が必死ではいあがってくる絵を僕等は想像し笑い転げた。
「まさか、そんなことないでしょ」
とヨー君はまじめにそれを否定した。
「じゃあ、かけられた、ミミズがひっかけた人間に呪いばかけるとかいな」
とやっちゃんが言った。
「まさか、そんなわけないでしょ」
とヨー君は冷静であった。
「つまりね、ミミズは一つの例なんだろうな」
とヨー君がおちんちんをズボンに仕舞いながら言った。
「昔の人はさ、よく土いじりとかしてたんだと思う。でね、外から帰ってきて手を洗わない人への警告として誰かが、多分世の母親たちだと思うけれど、そんな噂を拵えたんじゃないかな。バイ菌のついた手であそこをいじくっていると、実際に臚れちゃったりするでしょ。それでその噂が本当のことのように広まっていっだのかも」
なるほど、とみんなは一斉に頷いた。でもその説には夢がなくて、がっかりであった。僕等はおしっこをひっかけられたミミズがゆっくりと山道を横断していくのを見ていた。のろまな歩きはとてもユーモラスで、微笑みを誘った。
その夜、僕のおちんちんが腫れた。僕は弟をおこし、それを見せた。
「ほら、あの噂は本当やったったい。見てん、こんなに腫れたっちゃが」
弟は驚いていた。でも実際にはこっそり唐からしを磨り潰してメンソレータムと混ぜて塗ったのだった。
「ヨー君の言っとったのは間違えやった。やっぱりあの噂は本当やったとよ」
「アニキ、すごかね。痛くなかと? 母さんに言って病院に行った方がよかっちゃなかね?」
僕は、平気だ、明日学校でみんなに見せんないかん、と言って寝たが、僕のおちんちんは僕の足首くらいに大きく腫れ上かってしまい、おしっこができなくなってしまったのだった。僕は母さんに連れられて、病院へ行った。先生に、唐からしとメンソレータムを塗ったと白状しなければならないほどの苦痛に喘いだのは遠い昔の思い出である。
本当にどうしようもない馬鹿だったが、僕はただ、伝説や噂を守りたかったのである。ミミズにおしっこをかけるとおちんちんが腫れる。僕は今でもそのことを信じている。信じるに足ることだと思っている。もう試すこともないし、なんでなんだろうと考えることもなくなったが、そういう噂がなくなってしまうのは寂しいことだと思うのだ。道路脇で車に潰されたみみず君を見るたびに、現実の厳しさに胸を痛めてしまう。
Posted by 辻 仁成
辻 仁成
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作家。パリ在住。1989年に「ピアニシモ」ですばる文学賞を受賞、1997年には「海峡の光」で芥川賞を受賞。1999年に「白仏」でフランスの代表的な文学賞「フェミナ賞・外国小説賞」を日本人として唯一受賞。ミュージシャン、映画監督、演出家など文学以外の分野にも幅広く活動。Design Stories主宰。