PANORAMA STORIES
夏休み特別エッセイ「ヒトナリ少年の野望・電波妨害編」 Posted on 2022/07/11 辻 仁成 作家 パリ
いつもそこに君がいた。君がいたから僕がいた。そして僕がいたからきっと君がいたんだろう。僕は小学生の頃、福岡で暮らしていた。
父親は保険会社に勤める会社員だった。平和町というところにその社宅はあった。
三階建ての建物で、全部で十二世帯入っていた。同世代の子供たちが何人かいて、いつもみんなでつるんで遊んでいた。
僕はがき大将で、年少の子供たちを率いていた。とにかく僕はワルだった。ワルいことが大好きで仕方がなかった。ワルさをして大人たちを困らせたくて仕方がなかったのだ。ここに僕がいるんだ、ということをみんなに知らせたくて仕方がなかったのだと思う。今日はどんなワルさをしてやろう、といつも目をぎらぎら輝かせて歩いていた。
そんな僕を中心に、平和町山賊団は結成されたのだった。隣に住むヨー君。僕んちの二階に住むやっちゃん。ヨー君の家の隣に住む藤田君とミカちゃん。そして僕の弟のツネちゃんである。
平和町山賊団の縄張りは社宅のすぐ隣に鬱蒼とある渡辺別荘から、西高宮小学校を越え、西日本放送のテレビ塔の辺りまでと、かなりの広範囲に及んでいた。で、山賊団に与えられた使命はもちろん、社会の転覆であった。ぐふふふふ。
幼かった僕たちは、とにかくワルいことをして、大人たちをあっと驚かせたくて仕方がなかった。そして暴走族がそうであるように、自分たちの存在を世の中に顕示したかったのだ。ここに僕たちはいるんだぞー、と訴えたかったのである。
そこで、ワルの代表辻仁成少年は、いろいろと悪事を計画し、平和町山賊団を操っては、世界制覇の野望を胸に、次々と悪事を実行していくのであった。
当時、テレビでは鉄腕アトムとか、鉄人28号などのSFマンガが大流行していた。そこに登場する悪者たちは、必ずテレビジャックというのをやった。みんながテレビを見ていると、突然、番組が中断されて、画面に悪者が現れるのである。そして、これから社会をめちゃくちゃにしてやるぞ、とお茶の間に向かって宣言するのだ。
家族でテレビを見ている時は、いつもどきどきしていた。今、この瞬間、テレビジャックが行われて、鼻の尖った悪者が登場し、世界制覇を宣言しないものか、と。
テレビの前で悠然としている父さんが撥ね起きて、
「えらいこつになったな、母さん」
と騒ぎ立てやしないか、と想像を膨らませていたのだった。
残念ながら、そんなことは現実には起こらなかった。だから僕はまず、それを起こしてみたい、と考えたのだ。平和町山賊団の最初の大仕事であった。
僕はまず、山賊団全員に、家から物干しを持ってくるように、と命じた。鉄で出来た折り畳み式の物干しでなければならない。
「そんなんでなにをするの?」
と隣のヨー君が言った。本名はヨウジ君と言ったが、みんなにヨー君と呼ばれていた。
ヨー君は少しませていた。東京生まれなので博多弁は話さなかった。お父さんとお母さんは青山学院大学を出ていた。だから、ヨー君はかっこいいのよ、と僕の母さんは訳の分からないことをよく言っていた。青山学院大学イコールかっこいい、というのは、当時僕の中で定説となった。
「タオルば干す、鉄で出来た、こげん開くやつがあろうが」
僕は必死で‥‥‥物干しを説明した。子供たちはまだ幼く、理解するまでに時間がかかったが、取り敢えず、山賊団長である僕には逆らわず、一同は家に走った。
かくして、社宅中の‥‥‥物干しが社宅の庭に集められた。僕は針金を使ってそれらを組合わせていった。
「ヒトちゃん、なんばしようと」
二階に住むやっちゃんが言った。やっちゃんはおでこが広く、可愛らしい子供であった。デコちゃん、とあだ名されていた。
「またへんなことしとると、怒られるが」
いつだって用心深く、人一倍正義感の強い藤田君が言った。藤田君はお父さんにそっくりだった。ハンコとあだ名されていた。
僕が作っていたのは、電波妨害機であった。まだテレビジャックが出来るほどの高性能な機械は作ることができないことは分かっていた。でも、取り敢えず、テレビやラジオの電波を妨害することくらいは出来るだろう、と考えたのである。
「電波妨害機?」
みんなは大声を張り上げた。
「しっ。静かに。大声を張り上げたらいかん」
すごいね、と言ったのは一番年少のミカちゃんだけであった。ヨー君にいたっては、ふん、と鼻で笑っていた。
僕は‥‥‥物干しを組み合わせて巨大な円形の物体を作った。理科の授業で習ったパラボラアンテナを真似ていた。次第にそれらしい形になっていくと、藤田君が、ヒトちゃん、やめよう、そげん危険なこと、と騒ぎだした。
「ダメくさ。ここまできたら、もう後へは引き下がれんったい。今こそ、我等の力を示す時がきたっちゃなかね」
僕はそう言うと、ポケットから銅線と単一乾電池を二つ取り出してみせた。一同が動揺しているのが伝わってきた。銅線を物干しの先端に取り付け、プラモデルから取り外してきた電池ボックスに電池を入れて、電波妨害機は完成した。
「諸君」
と僕は高らかに宣言した。太陽はすっかり渡辺別荘の向こうに沈みはじめていた。夕焼けがとても綺麗だった。
「このスイッチば押すと、妨害電波が発信されることになるったいね」
すごかね、と言ったのはミカちゃんだけであった。ヨー君は髪形を直していた。やっちゃんはにこにこ微笑んでいた。藤田君は眉間に皺を寄せていた。ツネちゃんは、尊敬の眼差しで僕をじっと見上げていた。
「それを押すと、どうなると?」
ツネちゃんは言った。
「さあ、どのくらいの効果があるかしらんっちゃけど、少なくとも福岡市内の半分くらいのテレビが使用不可能になるったい」
すごかね、とミカちゃんが唸った。
「じゃあ、みんなは家に帰ってテレビをつけてみてん。僕はここで機械ば操作するけん」
一同は家に戻った。僕は社宅の庭で一人、世界を相手に興奮していた。そのスイッチを押せば、世界は転覆するのだ。社宅中から集められた‥‥‥物干しが恐竜の骨のように地面で丸くなっていた。壮観であった。みんながテレビの前で腰を抜かしている絵を想像しながら。僕はスイッチをおした。その瞬間、僕の頭の中で確かに、世界中のテレビが使用不可能になったのだった。
一分が過ぎ、十分が過ぎても、誰もベランダから顔を出さなかった。三十分が過ぎた頃に、ツネちゃんが。ベランダから身を乗り出して、
「アニキ、ご飯だって」
と叫んだ。
「え、なんて?」
「母さんがご飯食べなさいってよ」
僕は、テレビはどうなっとう、と叫んだ。
「普通」
と声が返ってきた。母さんが奥から顔を出した。
「そこで何しようと」
僕は電波妨害梭が見つかるのはまずいと思い、隠そうとしたが、大きすぎた。
「また悪さしとるとやろ。なんなそれは」
「なんでんなか」
するとツネちゃんが、アニキは凄いとよ、世界制覇を考えてから、電波妨害機ば作ったとよ、と言った。母さんはベランダから物千しが消えてなくなっていることに気がついた。
「ヒトナリ!」
僕がその夜、両親に大目玉を食らわされたことは言うまでもない。母さんは僕を引き連れて、各家を回り、物干しを返していったのだった。
かくして平和町山賊団の最初の野望は失敗に終わった。しかしこの野望は未来へと繋がることとなる。僕は小学校六年生の時に転居先の北海道で電話級アマチュア無線の免許を取得することになるのだ。それから僅かに三年後のことである。
僕が国から与えられたコールナンバーはJA8PGZであった。
『ハロー、CQCQ.こちらはジャパン、アルファ、ナンバー8、パパ、ゴルフ、ザンジバル。JA8PGZ、何方樣か、コンタクトお願いします』
初めての国家試験だったが、そこで僕は電波法を学んだ。電波妨害がどんなにいけないことかも、よく学ぶことになる。
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Posted by 辻 仁成
辻 仁成
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作家。パリ在住。1989年に「ピアニシモ」ですばる文学賞を受賞、1997年には「海峡の光」で芥川賞を受賞。1999年に「白仏」でフランスの代表的な文学賞「フェミナ賞・外国小説賞」を日本人として唯一受賞。ミュージシャン、映画監督、演出家など文学以外の分野にも幅広く活動。Design Stories主宰。