JINSEI STORIES
滞仏日記「息子に街中の人を紹介した。パパ、顔広すぎでしょ、と言われた」 Posted on 2022/07/05 辻 仁成 作家 パリ
某月某日、朝、一番で16区、アベニュー・モザーにあるラボまで陰性証明書を持って戻った。というのは、日本政府が用意した陰性証明用紙に医師のサインを貰わないとならないのである。
タクシーに乗って、ラボまで行くと、大勢の人が並んでいた。
「サインを貰いに来ました」
とお伝えすると、中にいれてもらえた。
受付に行き、用紙を渡すと、これはもう古い用紙だから、と言われた。ぎょえ。
「でも、大丈夫、こちらでダウンロードできますから」
とすぐに笑顔が戻って来た。できるんかい・・・。ということで、セーフ。
目の前の受付の人がいきなり、医師の欄にサインをしはじめたので、
「あの、そこはお医者さんのサインが必要です」
と苦言を呈すると(笑)、受付嬢さん、にこっと微笑んで、
「みんな医者です。私も」
というお返事でした。ほえー――。
ともかく、持って帰り、日本政府のアプリ「MySOS」(このネーミング・・・)に写真を入れ込んでみたら、「審査中」となった。二時間くらいしたら、審査が終わり、携帯の画面が青色になった。やった!!!
これでスムーズに帰国が出来るはず。こんだけ、大変な思いをしたので、どうか、スムーズでありますように・・・。
夏の間、息子は一人パリに残る。やはり、いろいろと食料品とか日常品を用意しないとならない。トイレットペーパーだとか、キッチンペーパーだとか、洗剤とか石鹸とかそういうものを息子と買いに出かけた。
行きつけのスーパーに顔を出すと、店主のシダリアがいた。
「シダリアー、明日からぼくは日本なんですよ」
「まあ、いつまで?」
「仕事次第ですけど、夏の終わりまで」
「長い滞在ですね」
「その間、こいつ一人なんで、よろしくお願いします。息子です」
「えええええ! こんな大きな坊ちゃんがいたの?」
息子がはにかんだ。
「もちろんよ、ムッシュのせがれさんなら、お手伝いできることならなんでも」
シダリアには日本に帰るたびに日本のちょっとしたお菓子など(前回はヨックモックのシガールだった)を買って帰りプレゼントしている。本当に喜んでくれるのだ。
コロナ禍のロックダウンの時、彼女が身体をはって、店を開け続けてくれたおかげで、ぼくらこの辺の住人はなんとか生き延びることが出来た。
だから、コロナ禍でお世話になった八百屋のマーシャルやパン屋のヴェロニク、カフェのモジャ男とか、この地区の顔役たちには毎回ちょっとした日本のものを送って来た。なので、こういう時には余計に面倒をみてくれるのである。
「フランス語、わかる?」
「あ、フランス生まれですから」
「まァ、それはよかった。いつでも、何か困ったことがあったら、連絡頂戴ね。あなたのパパにはいつもよくしてもらっているから」
「はい」
ふふふ、鼻が高い父ちゃんだった。
シダリアの店を出ると、イタリアレストランのエステルさんとばったり、
「息子です」
「ええええ、こんなに大きな子がいたんですね」(反応、同じ過ぎ)
立ち話・・・。
「でも、それは大変ね、十斗、お腹すいたら、うちに食べに来ればいいわよ。遠慮しないで、お金ないなら、パパにつけておくから」
「ああ、それはいいですね。お願いします」
これは、息子が言ったのである。あはは。
エステルと別れた直後、今度はアジア飯屋のパトリックとばったり、・・・。
「やあ、元気?」
「明日から日本なんだ」
「ありゃ、息子君も?」
「いいや、彼はここに一人残るよ。何かあったら、面倒見てやってくれないかな」
「もちろん、毎日、食べに来てもいいよ。つけとくから」
あはは、そんなにあちこち、タダで食べられても困るので、苦笑しておいた。ぼくの横で息子も苦笑している。
「パパ、顔広すぎ」
道の真ん中にいると、いろいろな人がぼくに手を振る。ぼくも全員に振り返す。それをじっと見ていた息子が一言・・・。
「あの、パパはどうしてこんなに知り合いがいるの?」
「このカルチエ(地区)で、正直に、生きてるからだよ」
「でも、多すぎない? 八百屋の人も肉屋の人もパン屋の従業員の人もいちいちパパを見つけて手を振って来る。ぼく、そんなことされたことないよ」
「だよね。そこが人間の違いなんだよ」
「あはは。パパ、仏語ちゃんと喋れないのに」
「言語を超えた個性とキャラクターの勝利だ」
「それにしても、あ、ほら、あの人がまた手を振ってるよ」
ああ、隣の建物の管理人のドラガーさんだった。
「管理人さんだよ」
「うちの建物に管理人いないじゃん」
「隣のだよ」
「なんで、隣の建物の人が日本人のパパにあんな笑顔で手を振るの? パパ、テレビに出ている人みたいだよ」
あはは・・・。たしかに・・・。
「パパはね、人間が好きなんだ。だから、たとえば、シダリアと仲良くなったのは、4年前、ここに越して来た直後のことだ」
「直後って・・・」
「狭い店なのに、品ぞろえがいいからね、出る時に、品ぞろえが最高だね、って言ったのが仲良くなるきっかけだった。ワインやチーズのセレクトで、その店のセンスが分かるんだよ。だから、いいところは必ず褒める。このワインを置いてるスーパーは滅多にないって褒めた。パパは褒める天才なんだ。褒められると人間は記憶する。それが何回か続いた、ある日、ワインをくれた」
「マジで? そういえばパパ、よく人からご馳走になるよね」
「そこのカフェ、オーナーはジャンフランソワだ。反対側にモジャ男のカフェがあるだろ。パパは両方行きつけなんだ。で、ある日、モジャ男の店に行ったら、ジャンフランソワがそこのオーナーのブリュノと立ち話をしていた。パパはブラッディマリーを注文した。帰りに支払おうと思ったら、ジャンフランソワのおごりだよって。同じ店で八百屋のマーシャルのご馳走になったこともある。(過去日記に譲ります。他多数)」
「なんで、そんなにご馳走になれるのか、興味ある」
「あのな、人間力だよ。どっかの大学の先生がパリで20年暮らしたけど、友だちが一人も出来ないで帰って行った。勿体ない話だ。勉強のし過ぎなんだよ。何しにパリに来たんだって・・・。言語をいくら学んでも、交流がなければ人とは仲良くなることが出来ないし、生きた仏語がわからないだろ? ご馳走なんてされることもないだろ? パパは確かに言葉は遅い。でも、交流術は心得ている。もしも、パパの不在中お前に何かあったら、八百屋かパン屋かスーパーかどこでもいいから助けを求めて飛び込め。『あのロン毛日本人の息子です、助けてください』って言えばこのカルチエ中がお前を助けるだろう。それがパパがこの国で20年間やって来たことだ。わかったか、タンキエット!(心配するな)」
つづく。
ということで今日も読んでくれてありがとう。
皆さんもぜひ、炊飯器ライス開発してみてください。基本のやり方は上に書いた通りです。工夫次第でもっと面白い料理が作れますね。レッツトライ。
さて、父ちゃんからのお知らせです。
さきほど、マガジンハウスから連絡があり、「パリの空の下で、息子とぼくの3000日」3刷、10000万部増刷となりました。ありがとうございます。発売前に2刷、直後に3刷、滑り出し好調ですね。
そして、地球カレッジ二周年企画、講演会形式のオンライン講演会「小説を一度書いてみたいあなたへ」と題して、お送りします。応募された方の中から40名の皆様を抽選で都内秘密の講義室へご招待いたします。詳しくは、下のバナーをクリックください。