JINSEI STORIES

滞仏日記「八百屋のマーシャル、大ピンチ。今後NHKに出演できなくなる?」 Posted on 2022/06/28 辻 仁成 作家 パリ

某月某日、NHK・BSの「ボンジュール!父ちゃんのパリごはん」に毎回、必ず出演をしてくださっている二枚目の八百屋、マーシャルの店に撮影の件で相談したいことがあり、出かけたのだけど、なんか、よそよそしいのである。
いや、よそよそしいを通り越して、挙動不審というか、ぼくの顔を見た時に、ギクッとした顔をして、後ずさりをしやがった・・・。
ぼくがここにいるのは分かっているくせに、ちょっと逃げるようなそぶり、
「マーシャル? マーシャル~」
と呼んでいるのに、聞こえないふりをしているというか、・・・・あれれ、おかしい。
最近、忙しくて、顔を出しなかったこともあるけれど、このよそよそしさは尋常じゃない。
「おーい」
と言いながら、道を渡り、仕方がないので、逃げ回る大男を追いかけた。
「マーシャル! マーシャル!」
2メートルくらいある長身の大男、しかも、気立てが優しく、つねにナイススマイルのジェントルマンで、こんな八百屋が世界のどこにあるのか、というほど。
番組のプロデューサー陣(女性たち)の羨望を集め、毎回、出して下さい、とリクエストが凄いのである。
父ちゃんをさておき、最近はレギュラー番組が出来るかの人気者になっている、ということで、あのマーシャル、どったの??? 
「あのね、なんで、こそこそしてんの?」

滞仏日記「八百屋のマーシャル、大ピンチ。今後NHKに出演できなくなる?」



「マーシャル、打ち合わせに来たんだけど、忙しいのかい?」
目の前までいって、問い詰めた。
すると、まるで気が付かなかったかのような顔をして、あ、そこにいたんですかい、みたいなとぼけた演技をしやがった。ん?
笑っているけれど、おねしょをした子供のようなへらへらした笑い顔だった。
まあ、いい。春ご飯が大評判で、NHKさんが盛り上がっているのだ、と伝えた。すると、笑っていながらにして、その顔が泣きそうになっていく・・・。
なんじゃあ? こんな顔、見たことがない。さすがに何かあったな、と思った父ちゃんであった。
「どったの?」
と訊いてみた。
「いや、ええと、それが、大変なことが起きてしまって。ぼくはもう、あなたの番組に出られません」
「はあああああ?」
何を言い出すんだよ、この間、家に招かれたところを撮影したばかりじゃんか!
「そ、そうなんですけど、大失態をやらかしてしまいました」
「大失態?? 何をしたの? 誰に? ぼくに?」
「あ、ええと、辻さんの顔に泥を塗ってしまって」
ぼくは思わず、窓ガラスで自分の顔を確認しないとならなかった。いったい、何をやらかしたというのであろう。
「ちょっと、説明してよ。なんで、番組にもう出られなくなるの? そんなことないし、それは局側が決めることだから、君が犯罪でもおかさないかぎり、出続けてもらいたいんだけど」
「・・・・」
何をしでかしたんだ、マーシャル~。

滞仏日記「八百屋のマーシャル、大ピンチ。今後NHKに出演できなくなる?」



「それが、実は、おととい、日本人の方から電話があって」
日本人、という響きだけで、おののいた父ちゃんであった。なんだよ、この言い方・・・心臓がすでに痛い。父ちゃんは小説家だから、いろいろなことがすでに頭の中で渦巻いてしまい、顔が蒼白になっている。
「日本人、なんて?」
「実は、番組を御覧になったとかで、この近くに住んでいらっしゃる方なのです。野菜を注文されました」
「ほー」
近所に住んでいる方は、何処の八百屋かは、番組を見ればだいたい特定できる。
ぼくの住んでいる場所は、すでに在仏日本人の皆さんにはほぼほぼ特定されているし、その辺の八百屋を検索すれば、マーシャルの名前くらい出てくる。
それに、彼はでかいし、目立つからね。
「ところが、その電話を受けたのが研修生で彼がぼくに相談もなく勝手に野菜を詰めて、その方のご自宅に届けちゃったのです」
「ほー。いいことじゃん」
「いや、それがその直後にそのマダムからお電話が、野菜は傷んでいると」
「ええええええええ!」
「さすがに、これはひどいというのでぼくのところに電話をかけてこられたんですね」
「ええええええええええ! なんだってえええええ」



「ぼくはそいつをとっつかまえて、なんてことをしたんだ、と怒ったのですけど、まだ入ったばかりで、研修生だから、野菜が分かってないんです。暑いので少し野菜が撓っている時期でもあり、いや、でも、これは言い訳になります。ぼくの指導不足なんです。最近、昔からいるスタッフがやめて、新しい人を探していたところで、・・・まいりました。ムッシュ・ツジにあわせる顔がない・・・いつもよくしてもらっているのに」
ぼくは目の前が真っ暗になった。たぶん、あの子だな。受け応えがちゃんと出来なくて、ぼくもさすがに、君さ、もうちょっと丁寧にやりなよ、と叱ったことがある。
もともと、マーシャルの弟、とぼくが読んでいた右腕がいたのだけど、その人が最近辞めて故郷に帰ってしまった。それで、若い研修生が入って来たのであった・・・。
「で、どうしたの?」
「あ、いや、ぼくが野菜を届け直し、謝ってきました」
「それで?」
「あ、もちろん、許して頂けたのですけど、こういうことをやって、辻さんの世界を汚しちゃたから、もう、ちょっと会えないというか、・・・」
マーシャルが小さくなっている。もはや小学生くらいの大きさにしか見えない。
「ま、しょうがないね」
申し訳なさそうな顔をしている。ぼくは彼を慰めて、店を出た。気のせいか、野菜たち、夏バテ気味で元気がなかった。
やれやれ・・・。

つづく。

今日も読んでくださり、ありがとうございます。
それから、マーシャルの件で、不愉快な思いをさせてしまったご近所の日本人の奥様、ごめんなさい。びっくりしましたが、更生のチャンスをマーシャルに与えてあげてくださいませ。困りましたね・・・。とほほ。
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