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愛すべきフランス・デザイン「ベルサイユ宮殿の噴水で優雅に貴族の夕涼み」 Posted on 2022/06/25 ウエマツチヱ プロダクトデザイナー フランス・パリ
猛暑のフランス。
今月から毎週土曜日、ベルサイユ宮殿では暑気払いのイベントが行われている。
日没前の20時半から開かれる、庭園見学と花火を楽しむ「Grandes Eaux Musicales et Nocturnes」だ。
「大噴水と音楽の祭典」といったところだろうか。
第1回はルイ14世により、1666年4月22日に行われ、途切れつつも今日まで続いている。
噴水から吹き出す水は、魔法にかけられたように美しく形作られ、それを光と音が演出する。
※日没前、ベルサイユ宮殿に後光がさす
1661年、太陽王こと、ルイ14世はヴェルサイユ宮殿を増築する大プロジェクトを開始。
宮殿の拡張と同時に、庭も40年以上かけて造った。
太陽王は庭造りに非常に熱心で、庭師のアンドレ・ル・ノートルの計画を採用。
17世紀に流行したイタリア式庭園を元に発案されたシンメトリーで幾何学的な庭だ。
※幾何学模様に刈り込まれた庭園
そんなヴェルサイユ宮殿があるのは湿地帯にもかかわらず、庭園建設後には水不足という矛盾が生じた。
その理由は、庭園を彩る噴水。
ルイ14世の治世末期、ヴェルサイユ宮殿の庭園には現在の4倍にあたる1600の噴水があり、1時間に6300m平方メートルの水を消費していた。
年々、増え続ける噴水による水不足を解消するべく、当時、科学者や学者が総動員され、ポンプ、水道橋、貯水池、人工池などが作られた。
※中世の貴族のような衣装をまとった人たち
その中でも、マルリー(Machine de Marly)という巨大な装置は、川の水面から庭までの、150mある高低差を越えて水を届けるために開発された。
川の流れと人工滝の水力によって、水車が回り、ピストン運動で水が組み上げられる仕組みだ。
宮殿から10km離れたセーヌ川から水を引く役割を、その後133年間、担った。当時、パリとベルサイユを繋いでいた水道橋は今でもあり、歴史的建造物に指定されている。
とても立派な造りで、当時の建設技術の高さを感じさせられる。
建設には1,800人の労働者が動員され、10万トン以上の木材、17,000トンの鉄、800トンの鉛、800トンの鋳鉄が使われたという。
ルイ14世は、庭園の噴水のために、並々ならぬ情熱をかけていたのだ。
1723年、Pierre-Denis Martinによって描かれたマルリー
※現在も残る水道橋(wikipediaより)
さて、「大噴水と音楽の祭典」。
この日は、コロナ禍以降、2年ぶりの再開を祝すため、バロック様式の衣装を身に着けて参加する企画が行われていた。
ベルサイユの町中でも、貴族衣装の人たちがチラホラ。
日本の花火大会では浴衣姿を見かけるが、同じくらいかそれ以上の割合の人たちが、貴族に扮していて、タイムスリップしたような気分になる。
歴史的な宮殿を背景に、あちこちで写真撮影が行われており、フランス人の秘めたコスプレ気質を見た気がした。
※宮殿と貴族姿が自然な風景
※女神ラトーナの噴水(Bassin De Latone)
いくつもある噴水の中でも、一際目を引いたのが、1702年に作られた鏡の泉(bassin du Miroir) 。
ル・ノートルの思想を取り入れたクラシカルなものでありつつ、モダンな仕掛けが施され、音と光のショーが定期的に行われていた。
様々に形を変える水が、幼い子どもたちには本物の魔法に見えるよう。
中には自分で水を操っているが如く、魔法使いになりきって踊り出す子もいて、大人たちから笑みがこぼれていた。
鏡の泉(bassin du Miroir)
日没は22時過ぎの夏至直前、花火大会は23時前に始まった。
15分間に上がった花火は、奇をてらわずにシンプルなものだったが、優雅なクラシック音楽に合わせて打ち上がる様は、さすがベルサイユ宮殿といった厳かな雰囲気だった。
花火が終わった後も、名残惜しそうにお喋りを続ける貴族姿の人たち。
この風景も、ルイ14世の頃から変わっていなさそうだ。
舞踏会の帰り道のような気分で帰路についた。
花火は王道シンプル
ライトアップされる宮殿
明かりが灯る宮殿内部から舞踏会の夜を想像
Posted by ウエマツチヱ
ウエマツチヱ
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フランスで企業デザイナーとして働きながら、パリ生まれだけど純日本人の娘を子育て中。 本当は日本にいるんじゃないかと疑われるぐらい、日本のワイドショーネタをつかむのが速い。