JINSEI STORIES
滞仏日記「高校卒業した息子が大学生になろうという今、父ちゃんちょっと寂しげな」 Posted on 2022/06/11 辻 仁成 作家 パリ
某月某日、最後の授業が終わり、息子の高校生活は終わった。
卒業式のようなものは無かったと語っていた息子だが、昨夜は(今朝は)明け方に戻って来た。寝ていた三四郎が番犬らしく「うううう」と唸ったので、監視カメラを覗くと息子であった。
疲れたのか、息子は昼過ぎまで起きてこなかった。
「何があったの? 卒業式はなかったんでしょ?」
「あ、それがね、不意にライブをやることになって、夕方、全校生徒を前に、学校の講堂で最後の演奏会になったの」
「歌ったの?」
「ビートボックスね」
「ああ、いいね。盛り上がったろうね」
「うん。その後、担任を囲んでモンパルナスのカフェを貸し切り、クラスメイトたちとさよならパーティやったんだ」
「朝まで?」
「いいや、担任との食事の後、歴史と地理と文学の先生を囲んで、もう一つ別のお別れパーティがあった」
「朝まで?」
「いいや、遅くまでだけど、で、その後、まあ、いろいろとあったんだよ」
息子は笑った。いろいろ・・・、笑。
「だって、ぼくはもう高校卒業したんだし、大学生なんだから、朝帰りもなんだって、自由だよね? 成人したんだし。今月はそういうパーティが続くんだ」
「ああ、もちろん。なんでも自由だ、よかったじゃん」
ぼくも笑った。そうだ、この子はもう子供じゃないのだ。ぼくと同じ、大人・・・。
背も伸びたし、物腰も、不意に大人びた。所作というのか、なんだか、見違えるように、急成長している気がする。ジャケットと白シャツが似合う。やはり、大学合格のお祝いは、スーツがいいかもしれない。
「パパ、そういえば、トマも合格した」
「おお、それはよかった」
トマ君は最近一番の仲良しであり、クラスメイトなのだった。
「じゃあ、念願かなって建築家になるんだね」
「うん」
「すごいな。建築家だなんて」
息子がクスっと笑った。
「あのね、ぼくも建築家になることが出来るんだけど」
「え? そうなの?」
「マスターまで行く中で、建築家も選ぶことが出来る。ぼくが進む大学には建築のコースもある。選ぼうと思えば選べるんだよ」
「へー、知らなかった」
「例えば、都市を造るような大きな仕事をやってみたいんだよね。ぼくがとりあえず合格したのは、そういう大学なんだ」
「ほえ~」
ぼくの息子に変わりはないのだけど、ずいぶんと立派な大人になったものである。いや、・・・なりそう、であーる。
ぼくは今日、不動産屋を訪ねた。
「すいません。部屋を探しています」
「どのような部屋でしょう?」
「息子が大学生になったので、ぼくひとりで、あ、いや、愛犬と暮らすことになるので、小さくていいんですが、居心地のいい物件を探しています」
いくつか物件を見せてもらった。
今、住んでいるところはワンフロアを占有するアパルトマンで、もちろん、仕事場を含め、6部屋(三四郎の部屋を一つに数えればだけれど)だが、実は、ちょっと広すぎる。
「田舎暮らしに比重が移るので、パリは縮小して、こじんまりした生活にしたくて」
「じゃあ、このアパルトマンなんかどうですか? 小さな寝室が一つ、それからサロンが一つ」
値段も手ごろであった。
「いいですね。ここ内見できますか?」
「もちろん」
ということで月曜日の午前中に内見することが決まった。
日本の仕事が一通り終わったら、ぼくは引っ越すことになる。今月はアパルトマン探し。パリともお別れの時が近づいてきた、ということである。
三四郎がいてくれてよかった。
「じゃあ、月曜日の9時に、現地でお待ちしております」
不動産屋のおじさんは言った。
一方、息子は、合格した大学の傍に小さな部屋を借りる。ぼくが彼に与えるのはその部屋の家賃と最低限の生活費ということになる。(学費はフランス政府持ち)
自分が遊ぶ分のお金は自分で稼がないとならない。ついでに言うと、18歳なので、稼ぐならば、申告もやらないとならない。
8月、ぼくが日本に仕事で戻っている間、彼は自分の部屋探しと、大学の手続きなどをやる。9月、まず、息子が引っ越し、その後、ぼくが引っ越す手筈だ。
9年間、二人で暮して来たので、ちょっと寂しいけれど、いつまでも脛を齧らせるわけにはいかないので、独立へ向けて、第二ラウンドの人生の船出となる。
これからはなんでも自分で解決していかないとならない。
ぼくは彼が大学に通っている間、時間でいうと5年とか6年は、彼を支えないとならないだろう。
博士を目指すのであれば、さらに二年間、応援しないとならない。
フランスの大学は出るのがとっても難しいのである。
なんとなくだけど、でも、寂しいものはある。
二人で生きることになってから、ずっと一緒に生きて来ただけに、巣立っていくのは嬉しいけど、ちょっとだけ寂しいのも事実だ。
三四郎はいるけれど、この子はずっと三四郎のままだろうし、笑・・・。
不動産屋の帰り道、ぼくは遠くにエッフェル塔の突端を見つけた。
パリで暮らしだした時も、十斗が生まれた時も、シングルファザーになった時も、ずっとエッフェル塔がそこにいてくれた。
寂しくなったら、見上げにいこう、と思った。
つづく。
今日も読んでくれてありがとう。
端境期にいる父ちゃんなのですが、前を向いて頑張っていきたいと思います。お互い、頑張りましょう。えいえいおー。
ということで、韓国の出版社から「パリの空の下で、息子とぼくの3000日」翻訳本出版化の問い合わせがもうありました。あはは。まだ発売前なのに・・・。
昨日は、NHKの「ボンジュール、辻仁成のパリの冬ごはん」が再放送されましたが、新作「春ごはん」は17日になります。義和Dが絶賛編集中だそうで、楽しみですね。
そして、明後日13日は、8月8日大阪、12日横浜ビルボードのチケット発売日ですが、すでに知り合いが、先行予約でゲットしたと連絡あり、なんか、いよいよという予感がしてきました、会いにいきます!!!
さて、てんこ盛りですけど、
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