JINSEI STORIES

滞仏日記「絶対に解決策はあるし、絶対に出口はあるし、絶対に光はある」 Posted on 2022/06/06 辻 仁成 作家 パリ

某月某日、日記を書いているこのぼくと、現実を生きるぼくとのあいだにはかなりの隔たりがある。
ぼくは基本、自分の人生について、ここに正直に書いているのだけど、どうしても今は言えないことも一方で同時進行している。
そりゃあ、そうである。
書くと問題になる出来事、人権にかかわること、秘密の仕事、そういう全体からすると、日記に書いていることなど、ぼくの人生の3,4割というところか。
皆さんが読んでいるこの日記はぼくというフィルターを通して描かれたぼくの一部の物語。
ところが、ここには決して書くことの出来ない様々な問題や出来事がぼくに襲い掛かっていて、当然、そこには、もう一つの物語が走っている。
パラレルなところにいる、もう一人のぼくについて、想像してもらいたい。
難題を捌くのに、実はすごく苦悩しているぼくがそこにはいる。
日記に書かれていることはまだ当たり障りのないもの、記事にしても周囲に迷惑がかからないもの、ばかり・・・。

滞仏日記「絶対に解決策はあるし、絶対に出口はあるし、絶対に光はある」



実は今、あえて一言で言うならば、ぼくは大きな決断に迫られている。
それはあまりに難しい決断で、もちろん、明るい兆しはあるので、いつか、うまくいった暁には、お話しできるかもしれないが、端的に説明すると、もともとかかっていた橋が破壊されて、その橋を一本のロープが繋いでおり、ぼくはそこを渡ろうとしているのである。
渡り切れば、広い世界が待ち受けているが、失敗すると激しい濁流の川に落下するという、そういうところにいる。
詳しく書けないので、ご容赦願いたいけれど、そういう過酷な中で、ぼくはNHKの撮影も自撮りでこなし、ライブに向けて練習をし、日記を書いて、仕事関係の厄介な人間にからまれ、息子の大学合格を喜び、三四郎を育てている。
でも、それが社会というものだ。それが人生というものなのである。

滞仏日記「絶対に解決策はあるし、絶対に出口はあるし、絶対に光はある」



朝、やなさんとDSスタッフらとケビンのカフェで、フランス版designstoriesの構築について話し合った。
やなさんは相変わらず、まじめで、彼が提案する新DSの構築案は素晴らしかった。
やっぱり、彼はノートを広げた。それを真似て、編集部の人間たちも手帳を広げ、なんだか、会社の会議っぽい感じになった。
やなさんのノートには最初、やはり一本の横線がすっと引かれたが、会議が終わる頃には手帳にたくさんのアイデアのスケッチが残されていた。おおお。
面白いサイトが出来る予感がする。

滞仏日記「絶対に解決策はあるし、絶対に出口はあるし、絶対に光はある」

と、その時、ケビンのカフェに新しく入ったジョナサンというちょび髭のギャルソンがいきなり、厨房の料理人たちに向かって、烈火のごとく怒りだしたのだ。
店中に聞こえるような大声であった。
何事かと客たちが一斉にふりかえった。
「俺はたった一人でやってるんだよ。人がいないんだ。なのに、こんなにお客さんがいるんだ。ちょっと、そこまで料理を出してくれてもいいじゃないか」
「おいおい、俺たちは料理人で、厨房でやらないとならないことがある」
「はいはいはい、そんなのわかってるけど、一人じゃ何も出来ないんだよ」
内容はこんなことだけど、もっと辛辣な言い方が続いた。
このジョナサンというのは20年前にエッフェル塔の袂のぼくの最初の行きつけのカフェで働いていたギャルソンで、ケビンもそこにいた。
もう、それなりに歳なのだ。50代前半だから、腹も出ているし、一人でやるにはカフェは広すぎるし、日曜日の午前中は混雑している。イライラする気持ちはわかる。
ケビンはまだ登場していない。その上、ジョナサンは酒臭い。
「彼らの中にいいかい、社会がある。あのジョナサンはたぶん、お酒が好きなんだ。朝まで飲んでいた。そういう理由で前のカフェをクビになったかもしれない。でも、今はここで働きだした。まだ、一週間だ。なのに、すでに仲間たちと揉めている。彼は来週にはもうここにはいない。ケビンは揉める人間を雇えない。そうなると、ジョナサンはケビンを相手に訴訟を起こす。フランスは訴訟が当たり前だから、経営者はいつも問題を抱えるんだ。それが社会なんだ。ぼくらはそういうところに目を向けて、記事を書いたり、世界を分析したりしないとならない。わかる? やなさん、ぼくがやなさんにお願いしたいのは、今、ぼくらの目の前で起きている、こういうことを、世界各地から取り込み、世界中の人に、世界中の言語で物語を届けられる紙面やデザインなんですよ」
やなさんの手が動いた。ノートに何か不思議な立体が描かれていくのだった。

滞仏日記「絶対に解決策はあるし、絶対に出口はあるし、絶対に光はある」



ジョナサンが落ち着くのを待って、ぼくらはハンバーガーを注文した。
厨房の中の料理人たちが拵えたハンバーガーをジョナサンが運んできた。あんなにもめていたけれど、出てきたバーガーは実に見事で、とっても美味しかった。
「ムッシュ、良い一日を」
ぼくが立ち上がると、ジョナサンが、汗まみれの顔に笑顔を必死で浮かべて言った。ケビンはいつになく、暗い顔をしていた。
「あなたもね」
店を出て、やなさんたちと別れた後、ぼくはジュリアに電話をかけた。
「三四郎を迎えに行くけど、いい?」
「ええ、そうね、18時以降でいいですか? もうちょっと一緒にいたいから」
「ああ、もちろん」
「でも、また、すぐに私に預けて。サンシーのいない日々を想像すると悲しくって」
「あのね、君は7月頭からひと月半もサンシーと一緒なんだよ。寂しいのは、ぼくの方だ」
ぼくらは笑いあった。
「そうね、確かに。でも、あの子は可愛いから、もう、待ち遠しいのよ」
ぼくは電話を切って、息子におやつのパンオショコラを買ってから、家路についた。日曜日のパリは穏やかであった。
家に帰ると、ぼくは自分の仕事部屋に行き、パソコンを開いて、この日記には書けないもう一つの現実の問題と向き合うことになる。厄介だけど、乗り越えないとならない未来。
今、この瞬間、この世界で生きているあらゆる人の身に、その人にしかわからない大変が降りかかっているのである。
ぼくらはそれを知ることが出来ないけれど、驚くような出来事が繰り返されているのは、想像できる。つまり、それが社会なのである。
それが人生であり、ぼくらが生きるということなのだ。
今週は、全精力を傾けて、難題を突破し、乗り切りたいと思う。
えいえいおー。
ぼくはいつも、自分を奮い立たせて生きている。一生は一度しかない。諦めるのは得意じゃないのだ。

つづく。

ということで今日も、読んでくださり、ありがとう。
毎日、人生にはいろいろなことが起こりますね。それを乗り切るこつは、世界と自分を比較することです。こんなに大変な世界なのだから、ぼくが多少大変なのは当たり前なのだ、と自分を説得することです。絶対に解決策はあるし、絶対に出口はあるし、絶対に光はあるはずだ、と言いきかせてガンバルことなのです。
ということで、お知らせです。
6月13日、父ちゃんの日本公演のチケットの発売日になります。
8月8日、大阪ビルボード、12日は横浜ビルボード!!!!!!!
NHK・BSの新作「ボンジュール、辻仁成の春ごはん」の本放送は6月17日に迫ってきました。
それから、6月30日はマガジンハウス社から、いよいよ「パリの空の下で、息子とぼくの3000日」が発売に。
で、
6月26日に、地球カレッジ、前期エッセイ教室の最終回、総まとめ編です。
エッセイを書くのが大好きな人、文章家を目指しているあなた、ブログをやっている皆さん、ぜひ、ご参加ください。課題もあります。
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