JINSEI STORIES
リサイクル•第六感日記「ぼくの中にいる虫が、今日も騒いだり、毛嫌いしたり、知らせたりする」 Posted on 2022/12/20 辻 仁成 作家 パリ
某月某日、虫の知らせ、という言葉がある。ある人は友達と長電話をしているあいだずっとメモ帖に「死」という文字を書いていた。
その電話のあと、その人は交通事故で死んだ。
長電話の最後に「なんで死なんて言葉をこんなに書いたのだろう」と友人に漏らしていたという。
このように、虫の知らせ、というものが理屈を超えて、人間にはある。
この話は極端だけれど、普通に暮らしている中でも、思いつく、ことがあるはずだ。
これは思いが付くとうことで、どこからともなく思いが降りてきたことを意味する。
対抗する言葉に「考えつく」があり、こちらは読んで字のごとく、一生懸命考えてたどり着いた結論のことになる。
思い付いた、というのは、考えないである瞬間に閃くことを意味し、それは霊感のなせる業だと思うべきであろう。
実は人間はなにがしかの理解を超えたこの霊的な導きを受けて生きている。
けれども、社会性の中にどっぷりとつかって生きるようになるとこの霊的な示唆を受信しにくくなるのかもしれない。
子供の方が純粋な分、この霊感が作用しているように思う。
疳の虫、という言葉がある。
最近は聞かなくなったが、乳幼児が理屈もなく不意にぐずることを昔は「かんのむし」と呼んだ。
「お前は疳の虫の強い子だったよ」などと言われた経験がある人もいるだろう。
「虫の知らせ」という言葉にも「虫」が出てくるが、大昔は、人間が病気になるのは身体の中に虫がいると想像されていた。
日本人はとにかく、体内にいる虫のせにした。
「虫の居所が悪い」という言葉などはその最たる例である。
昔は、疳の虫の強い子は、神社にいき、おはらいを受けたりしていた。
赤ちゃんの手のひらに呪文を書く神社もある。
実は「疳の虫」はこの現代、増加傾向にあるようだ。
虫が増えているということだろうか。笑。
医者じゃないので、科学的にこの疳の虫を説明することが出来ないが、昔、小児科の先生に、急速に成長する赤ん坊の精神と肉体のバランスの不調がその原因だろうと言われたことがあった。なるほど、と思った。
自律神経が影響しているのに違いない。
確かに精神不安に見舞われると免疫力が落ちてきて体調を崩すことが多い。
ぼくなどは、これを悪い霊を受けた、と言葉にして、周囲に言いふらし、あやしいおじさん決定、を頂いている。
体調不良は、科学的根拠は別にあるにしても、これらは霊的な虫のせいと、言い聞かせることで、ぼくは自分の精神を保つよう心掛けてきた。
虫が好かない、という言葉がある。
「これという理由がないのだけど、なんとなく好感がもてない、なんとなく気に食わない」という意味で使うことが多いが、このなんとなく、気に食わない、という感覚は理屈を超えて正しいことが多い。
古代中国の道教の書物の中には、人間の体内には三匹の虫がいる、というのが出てくる。
その中の一匹は二月に一度人間の身体を抜け出し神様にこの人間の悪事を告げ口すると言われていた。
古代中国の考え方が日本に渡って来て、3匹が9匹に増えた時代もあった。笑。
ともかく、人間の中に「虫」なる概念があって、我々はその匙加減で日々を生きていたりするのだ、と昔の人は考えていたのだろうし、ぼくはあながち間違えてないと思っている。
もっとも、それは「虫」ではなく人間のシックスセンスのようなものだろう。
ちなみに、霊感は英語でインスピレーションと訳されている。
インスピレーションが仕事のぼくだからこそ、こういう大げさな感想を持っているのに違いない。笑。
しかし、ぼくらがこの不条理で理解に苦しむ現代の中にあり、自分の中にいる「虫」の声に耳を澄ませてみるのは悪くないことだと思っている。
それは自分の中心に広がる自律神経の森を歩くということであろう。
その深い森の中で自分を取りもどす、あるいは自分を見つめることは自分をより理解する上で大事なことであり、安定させる上でも大事な行動であり、決して霊的な話と切り捨て難いものもある。
虫が知らせる、という言葉がある。
これこそ、まさに「思いつく」ことだと思う。
思いつく意識を忘れないことがもしかすると現代を生きる上で大事なことかもしれない。虫のいい話と笑われるかもしれないが、心のどこかに、科学や理屈では割り切れない世界があることを思って置いておくこともちょっとは必要なことかもしれない。
つづく。
今日も読んでくださり、ありがとう。
良い一日を!