JINSEI STORIES
退屈日記「この世界を包囲するジレンマの中で」 Posted on 2022/04/08
某月某日、ウクライナとロシアの戦争はやはり長期化しそうで、時間が経つうちにだんだん、悲惨な状況が立ち上がって来た。
目を覆いたくなるような、耳を塞ぎたくなるようなニュースがウクライナから届いて、そのことを想像するにつけ、現実逃避したくなる自分もいた。
痛みが現実離れしているのである。
今、ウクライナで起きていることは現代人の想像を超えている。
第二次世界大戦の頃にはあったことかもしれないが、2022年の現代にはピンとこない。
コンピューターゲームの中の戦争とは明らかに違う戦争が、長年、起きないだろうと思われていた空想上の現実が、打ち寄せてきて、現代人を恐怖の底に叩き落している。
ウクライナで起きていることは、ポーランドやバルト三国で起きかねないし、朝鮮半島や北海道などでも現実化するかもしれないのだ。
いや、一歩間違えると、核弾頭が搭載されたミサイルが飛び交って、あっという間に世界が滅んでしまうSF小説のような世界がそこまで迫っているということである。
たとえば、ドイツが慌てて軍事費を増額したが、そういう問題で解決できることだろうか?
いいや、ぼくは今一つわからないことがある。
誰が最初に核ミサイルを打つのか、ということだ。
その引き金を引いた場合、どの瞬間に報復が行われるのか、が気になって仕方がない。
結論から言うと、それは、すべての終わりの始まりなのだろうけれど、・・・。
ドッグトレーナーのジュリアに「三四郎はハーネスじゃない方がいいですよ。背中がガチガチになってきつそうだから」と言われ、太目の首輪と5メートル伸縮自在なリードに替えてみた。
すると、これがとっても便利なのだ。
手元に、ボタンがあって、遠くまで行かせたくない時には固定できるし、走らせたい場合は最大で5メートルまで伸ばすこともできる。
ハーネスでもいいのに、とは思ったが、確かに、首輪にした方がよく歩くのは確かで、犬によって、これは違うのかもしれない。
自由に走り回る三四郎は、核ミサイル攻撃の外側にいるのだろうか、それともその内側にいるのか?
ぼくが見上げるエッフェル塔目掛けてロシアの最大規模の核弾頭搭載ミサイルが降ってきたら、約15分後に、フランスはほぼ消える。
自由主義圏はどこで反撃をするのだろう、と走り回る三四郎を見ながら思った。
ロシアが打てば、アメリカはフランスが消え去るのを検証してから報復ミサイルを打つだろうか?
それでは遅いという議論が米国防総省の中では話し合われているのではないか?
ロシアのミサイルが飛んだと同時に、フランスも攻撃をするだろうか?
もしくは同盟国のどこかが打つだろうか?
でも、それをすると世界が終わるということを知りながら、ミサイルのボタンを押す人間がいるはずで、その人物はどれほどの精神状態に今、置かれているのだろう?
アメリカはロシアからのミサイルを打ち落とせるかもしれない。
その場合、打ち落とす作業を試みながら、同時に、世界のどこかから核弾頭搭載ミサイルをロシア目掛けて、打つに違いない。
もしかすると、今、ロシアの指導者たちは地下深い場所で、息を潜めているかもしれない。
中国はそれをじっと見ているだろうか?
北朝鮮は?
今、ウクライナで起こっている戦争は、ものすごく大きな暗黒世界の入り口なのかもしれない、と考えてしまう。
なのに、ぼくは三四郎のリードや首輪のことを考えながら、同時に、この世界の終わりについても想像している。
エッフェル塔を後にして、ぼくは三四郎とウクライナ大使館まで歩いた。
そこは、ぼくが長年暮らしたエリアだった。
ぼくら父子は、3年前まで、ウクライナ大使館のすぐ横の建物で暮らしていた。
その時は、このような時代がやって来るとは思ってもいなかった。
大勢のウクライナ人がビザの手続きをするために、大使館の前で長蛇の列を作っていた。
すでにクリミア半島はロシアに占領されていたが、ここまで壊滅的な破壊がウクライナで起こるとは当時、すくなくともその時のぼくは、思ってもいなかった。
それが意味するものは、明日の世界を誰が知っているのか、ということである。
今、大使館の門は閉ざされ、シャッターが下ろされている。
近所の子供たちが描いたかわいらしい絵や人々が持ち寄った花が窓辺に飾られていた。
人の気配はない。
フランス警察の車両が、大使館を警備していた。
ぼくはその真横で暮らしていたのである。
ぼくらが知っていた自由は、今、恐ろしく危険な状況下に置かれている。
戦争で気がおかしくなった兵隊たちが、悪魔の歴史を繰り返している。
この不条理に対して、西側の諸国は抑え込む確実な手立てをもたない。
ぼくは三四郎とウクライナ大使館の前にいた。平和な空気が流れていた。
しかし、この平和は幻かもしれない。
つづく。