JINSEI STORIES

退屈日記「三四郎の夢を見た。もう、怒らないから、戻っておいで」 Posted on 2022/04/03 辻 仁成 作家 パリ

某月某日、三四郎と遊んでいる夢を見た。
目が覚めたら夜明けで、そうだ、三四郎は預けたのだ、と気づいて、なんか、つまらなくて、二度寝をした。
でも、朝の七時には目が覚めて、三四郎の部屋を覗いたら、いつもだとあのおしっこ漏らした肘掛け椅子の上でぼくを必ず待っている三四郎の姿がそこになく、「そうか、いないんだっけ」と分かってるくせに呟いてみたりして、もう一度自分を納得させないとならない、父ちゃんであった。

退屈日記「三四郎の夢を見た。もう、怒らないから、戻っておいで」

※ サンシーがいない・・・。どこにもいない・・・・。、



毎日、あんなにへとへとになって、ピッピやポッポの(おしっこやうんち)の片づけに追われていたが、最後に肘掛け椅子に二度も続けてピッピをしたので、マジ切れして怒ったことをぼくは反省してしまった。ボーベんさんは
「犬だから、おしっこ漏らすの当たり前なのよ。そんなの理解出来ない人は犬を飼う権利はなし」
と言った。

手のかかる相手が不意になくなるとこんなにすごいロスが訪れるのだ、と今更ながらに気が付いてしまった。
これは早く慣れないともう二度と長期の仕事なんか出来なくなるな、と思ってしまった父ちゃんなのであ-る。

退屈日記「三四郎の夢を見た。もう、怒らないから、戻っておいで」

※ 一月、出会った時の三四郎…その時はまだ、シンプソンという仏名であった。



幸い、預かってくれたジュリアがいい子だし、たぶん、今頃は、ボーベさんらのグループと快晴のブーローニュの森で走り回っているのだろうが、そういう姿を想像しながらも、ため息がこぼれる日曜日の朝であった。
ジュリアから、送られてきた、幸せそうにジュリアに抱かれている三四郎の動画を繰り返し繰り返し見て、なんにも仕事が手につかない父ちゃんであった。
ともかく、安心して預けられる人が見つかったことは幸い、それでいいじゃないか、喜べ、と自分を励ますのだけど、ああ、なんだろうね、この寂しさ・・・。
愛犬をなくした友人がしばらく立ち直れなくて、大男なのに、物陰で号泣していたのを見て、「なんだよ、がんばれ」とその気持ちもわからず励ましていた昔の自分のことを思い出した。
その人にとってそのわんちゃんは、ただのペットじゃなかったのだ。
今は、よくわかる・・・。

退屈日記「三四郎の夢を見た。もう、怒らないから、戻っておいで」

※ ジュリアから送られてくる楽しそうな三四郎・・・。ううう・・・。よかった、いい人たちで・・・。



あと、二泊で戻って来るじゃないか、とぼくはぼくに言い聞かせた。
今日は小さなライブをやり、明日はシャンパーニュ地方に取材に出かけるので、火曜日にはお迎えに行くことが出来る。
一応、預けている間に仕事を入れておいて正解であった。
何もすることがなかったら、たぶん、落ち込んでいたことであろう。
言い訳がましいけれど、ぼくは日本でライブを3年以上もやってないので、この夏だけはどうしても日本に戻らないとならない。
こんなに長いこと日本に戻らなかったので、その間に、秘書さんも急逝し、現在、事務所移転の手続き中で、その片付けとかもあるし、他にもどさっとさすがに母国でやらないとならない仕事が山盛りで、とりあえず、夏の期間、ワクチン接種が間に合わない三四郎と別れないとならないのだ。
そんなのじゃペット飼う資格なし、とか言われそうだけど、三四郎は本当に予期せず現れたし、あの頃、ぼくは犬を飼うのは諦めかけていたのだけど、運命というものはもはやどうすることも出来ない。
ボーベさんは、そんな風に考えたらダメよ、犬もあなたも運命を授かって出会っているのだから、それに私たちがいるわ、と慰めてくれた。
20年は一緒に生きるつもりなので、こういう試練も乗り越えていかないとならない。今月の23日ごろには18歳の息子が人生でもっとも大事な受験を控えているし、ぼくの人生はまだまだ波乱万丈が続きそうである。
さんちゃー―――ん。

つづく。

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