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滞仏日記「ああ、三四郎との別れ、胸が痛い、後編」 Posted on 2022/04/03 辻 仁成 作家 パリ

某月某日、ということで、三四郎をドッグトレーナーのボーベさんのところに預けることになり、今日はずっと、その準備に追われた。
今夜から三泊の予定で三四郎が初お泊りをすることになり、小分けした毎回の食事、お菓子、いつも使っている毛布などを袋に詰めたのだった。
・・・その後に待ち受けている寂しさをその時はまだ想像することさえ出来ない、父ちゃんであった。
息子にちょっと早い夕飯を食べさせた。
「これから三四郎をドッグトレーナーさんの家に預けてくるから」
「なんで?」
「夏、日本だから、いきなり知らない人とか、犬のホテルとか、預けられないでしょ? 今から訓練を重ねて、慣れさせるのが目的なんだよ。とりあえず、今回は三泊」
「三日もいないんだ。パパ大丈夫なの?」
「え? 何、言ってんだよ、大丈夫に決まってるじゃん、たった三日だもの」
ところが、三四郎を車に乗せて、エンジンをかけた途端、心配になった。助手席を見ると、三四郎がいつものように、ちょこんと座って、こちらを見ている・・・。
やばい。

滞仏日記「ああ、三四郎との別れ、胸が痛い、後編」

滞仏日記「ああ、三四郎との別れ、胸が痛い、後編」



ボーベさんの家に行くものと思っていたが、ふたを開けると、アシスタントのジュリアちゃんが夜は面倒を看ることになった。
「過去二回の訓練も、ジュリアが付きっ切りだったので、寝泊りはジュリアのところがいいだろう」とボーベさんの意見だった。
日中はボーベさんが訓練をするのだという。
ジュリアはかわいい明るいお姉さんなので、マノンの時のように、三四郎もすぐに懐くに違いない・・・。

滞仏日記「ああ、三四郎との別れ、胸が痛い、後編」



ジュリアの家は、サクレクール寺院が見えるパリの郊外にあった。
高速を降り、郊外のちょっと寂しい地区をナビに従って走行した。遠くにサクレクール寺院が見えた。
ジャンパーに手を突っ込んだ、若者たちが街角で屯していた。
郊外の住宅地なので、商店とかカフェが少なく、全体的な印象としては暗い。街灯が切れていた。・・・かなり、心細くなってきた。
ジュリアはとってもいい子だけど、三四郎、大丈夫だろうか・・・。
「目的地に到着しました」
ナビが告げたので、車を空いているスペースに駐車させ、ジュリアに「着いたよ」とメッセージを送ったら、すぐに電話がかかって来た。
「ムッシュ。今、戻ってる途中です。さっきまで犬の講習会があって・・・。家の前に弟が出て待ってますから、彼に三四郎を渡してください。戻り次第、写真と動画を送ります」
「え? 弟? わかった。じゃあ、そうします」
予期せぬ展開であった。いないんかい、・・・。さらに、心細くなった。
指示された住所に行くと、確かに、黄色いセーターを着た高校生のような青年が立っていた。
「あの、ジュリアの弟さん?」
「あ、はい、そうです。姉から聞いています。この子ですね?」
弟さんがいるということは、ここはジュリアの家なのか。駐車場のついた、とってもかわいらしいパリでは珍しい現代風の建物であった。
弟君、優しい顔をしているし、受け応えもしっかりしている。
「あの、他にも犬がいるんでしょ?」
心配なので聞いてみた。
「ええ、三匹います」
おっと、三匹もいるんだ。家族で飼っている犬たちだろうか・・・。
これはもう、ホームステイのような感じになるかもな、と思った。
「でも、ムッシュ、心配しないで、三匹ともとっても優しいんです」
「うん、わかった。じゃあ、ジュリアによろしく」
ぼくは三四郎を弟君に手渡した。ジュリアの弟君が三四郎を抱いた次の瞬間、不思議なことが起こった。なんと、三四郎が首を伸ばして、その子のほっぺたをペロッと舐めたのである。いつもぼくにやるのと同じ感じのことだが、初対面の子にやったのははじめてであった。
うちの息子は、最近、噛まれてばかりいる。笑。
それなのに、三四郎は、弟君の顔をペロッとやったのだった。もちろん、吠えない・・・。

滞仏日記「ああ、三四郎との別れ、胸が痛い、後編」



ジュリアの弟君は三四郎を抱きかかえたまま、駐車場を抜け、明るい玄関ホールの中へと入って行った。三四郎は吠えなかった。いや、こちらを振り返ることもなかった・・・。
ぼくは暫く動くことが出来ず、見送っていたが、ううう、なんか、変だ、胸が痛い・・・。
さんしろおおおおおおおおおおおおおお!!!!!
( ノД`)シクシク…
しょうがない…。これに慣れなければ、夏の長い時期、日本で仕事など出来るわけがない。
『ジュリア、今、君の弟に三四郎を渡しました。袋の中に、食事とおやつと彼が大好きな毛布が入っています』
メッセージを送ってから、車に乗り、ぼくはパリへと戻ることになった。
三四郎の部屋はそのままだったが、不思議なことに、三四郎がそこにいないのであーる。いない、いない、いない・・・。
「いない・・・」
これは辛いわ、慣れないとやばいかもしれない、と思った父ちゃんであった。
いつもの、悪さばかりする三四郎の姿がそこには無かった。三四郎・・・。
夏、こんなことで、ぼくは日本で仕事が手につくのだろうか?
すると、ジュリアから携帯に動画が届いた。
ジュリアの腕の中で、幸せそうにしている、三四郎の姿であった。うわあああ・・・。

ううう、つづく。辛い~。

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