JINSEI STORIES

滞仏日記「三四郎の新たな試練の三日間がはじまる。前編」 Posted on 2022/04/03 辻 仁成 作家 パリ

某月某日。いよいよ今日から、三四郎はドッグトレーナーのマダム・ボーべさんのご自宅で、初の「お泊り3デイズチャレンジ」を行うのである。
おさらいというか、ボーべさんがどういう人物か、軽くぼくが観察した人物像をお伝えしたい。
身長は175センチくらい、白髪で、かなり瘦せている・・・、ぼくなんかよりもうんとマッチョである。
お尻もぎゅっと小さいので後ろから見る限りは男にしか見えない。
歩き方は軍隊的というか、手を左右にふって、カーボーイみたいに、スタスタと歩く。
騒いでいる大型犬には、
「おう、おう、おうおうおおおお!!!!」
と祭りのふんどしのおじさんみたいな大きな声でぶっ飛ばす。ぼくには無理。
クリントイーストウッドさんが女性だったら、こんな感じの目になるかな、と最初思った。苦み走った、ゴルゴ13とかに出てきそうなキャラで、笑ってくれないとちょっと怖い。ボーべというのはここでの仮名である。本名は言えない・・・。
はじめて、会った時、ぼくのことをマダムと言ったので、ムッシュですよ、と言い返したら、細い目を見開いて、おお、失礼、髪の毛が長いし、鼻が小さいから女性だと思ったよ、と言って豪快に笑った。
ぼくはアーティストだから、とごまかしたら、きっと世界的なアーティストなんでしょうね、と言うので、ふふふ、と斜め下を見つめてごまかしておいた。
それを信じたのかどうかわからないけれど、気に入られてしまい、あっという間に、覚えられた父ちゃんであった。
「あなたのワンちゃんとあなたは同じ髪型をしているわね」
とイーストウッドの目を撓らせて、ボーべさんは言うのだった。

滞仏日記「三四郎の新たな試練の三日間がはじまる。前編」



過去、二回、ボーべさんのドッグ訓練に参加したが、二回目の最後の最後、ボーべさんがぼくのところにやって来て、
「サンシーはちょっと頑固だし、個性が強いので、私が預かり、一緒に過ごす中で、躾けなどを徹底的に教えたほうがいいのなかと思いましたが、いかがしますか?」
と持ちだされた。
それは、願ってもない申し出であった。
三四郎は好奇心が異常に強く、頭がいいのでぼくの想像を超えて危険なことまでしてしまうのだ。ダメなものは絶対にしないように躾けなきゃならない。
もう一つは、長期間仕事でパリを離れる時に、親代わりとなり預かってくれる人を見つけなければならないのだった。
三四郎はボーべさんには懐いていたので、そこは問題ないとは思うが、時間をかけて、少しずつ、もっと慣れていかせたいところである。
ボーべさんのところは夏の間、犬を預かる仕事(ポンション)もしているのでちょうどいい。躾けの先生の家で過ごせるならば安心だし、何より毎日が授業の連続となり、次に会った時は、もう少し大人になっていることであろう。
ちょうど、この秋には成犬になるので、タイミング的にもばっちりなのであーる。

滞仏日記「三四郎の新たな試練の三日間がはじまる。前編」



しかし、何も知らない三四郎を見ていると、こっちがドキドキしてしまう。いきなり、よその家で寝泊りが出来るのだろうか? お弁当セット、寝具セットなどを準備した。
「なので、まず、二日とか三日で様子をみましょう。夏までの間に、3セットくらいやって少しずつ慣らしていけばいいでしょう」
「あの、この子、この間、肘掛け椅子でピッピをしたんです」
「普通ですよ」
「でも、今まで一度もしたことがないので、何か不満があったのかと。なぜかというと、カヴァーを洗って取り付けたらその一分後にまた同じ場所にやったのです。あてこすりみたいな、かまってちゃん気質が出たんですよ。先生のところで同じことをやらないか、ちょっと心配でして」
「大丈夫。問題ありません」
「それにこの子はかなりのテテュ(頑固者)なんです。言うことは聞かないし、異常な寂しがり屋だし、ただ、大人しいので普段は吠えません。でも、ひとたび自分が気に入らないとずっと吠え続ける」
「ムッシュ、大丈夫よ、私に任せて」
心強い。でも、本当に大丈夫なんだろうか? あ、そうだ、と思った。
「あの、ええと、ボーべさんの家ですけど、他にも犬がいますか?」
「いますよ」
いるんだ、大丈夫かな・・・。でも、どんな犬種がいるのか、とか、それ以上は聞けなかった。具体的なことを知ってしまうとぼくは預けられなくなる。
「ムッシュ。任せてください。そんなに神経質になっていたら彼とあなたの長い人生が台無しになります。あの子はテッケル(ダックスフンド)なんだから、テッケルとしての自信ある人生を歩かせましょう」

滞仏日記「三四郎の新たな試練の三日間がはじまる。前編」



ボーべさんはドッグトレーナー界では名のある存在で、たくさん表彰されている。
見た目は怖いが、彼女の倍はでかい大型犬が、ボーべさんにだけは従うのだからすごい。ぼくのような犬の素人がでしゃばっちゃいけない。
「それからムッシュ、サンシーは身体は小さいですけど、狩猟犬の血を継いでいます。ちゃんと躾けることが出来たら、それは素晴らしい犬になりますよ。その成長に驚くことになるでしょう」
ボーべさんは、不屈の笑みを浮かべてみせたのである。



少し早めの食事を与え、ぼくは三四郎を抱えて、車へと向かった。そして、助手席に座らせ、
「いいかい? ほら、あのマカロニウエスタンに出てくるドッグトレーナーのボーべさん、覚えてる? 彼女のところで君は今日、お泊りだ。パパは三日後に迎えに行くからね。お友達もいるようだから、合宿だと思って楽しんでおいで」
言い聞かせたが、犬なので、理解できない。きょとんという顔をして、円らな目でぼくを見つめている。やばい・・・。
とりぜず、ぼくはエンジンをかけたのだった。

後編へ、つづく。

地球カレッジ

滞仏日記「三四郎の新たな試練の三日間がはじまる。前編」



自分流×帝京大学