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滞仏日記「アドリアンらの前で歌うことになった。三四郎は激しい抵抗を繰り返した」 Posted on 2022/04/01 辻 仁成 作家 パリ

某月某日、今日は急遽、パリで打ち合わせが入り、三四郎を連れてとんぼ返りとなった。
田舎でのんびりしていてもやはり打ち合わせとなるとパリということになる。
電話やZOOMでも仕事はできるが、やはり、顔を見合わせてしっかりとやり取りをした方がいい場合もあるので、仕方なく、パリに戻った。
三月は終わり、明日から四月になる。
今日は音楽業界の人たちとクスクスレストランで、今後のライブ展開について話し合うことになった。
DeepForestと一緒に作った「荒城の月」が地味だけれど、じわじわと広まってきている。ライブをやらないか、何か一緒に配信をしないか、と彼らに持ちかけられた。黒いスーツを着たメンインブラック風な業界人であった。
「もちろん。一緒にやりましょう」
初めて舞い込んだ仕事は引き受けることにしている。
前にも書いたけどそれがぼくの仕事の仕方だ。違うな、と思ったら二度とやらない。
「じゃあ、ライブをやろう」
「もちろん。喜んで」
調子がいいように聞こえるかもしれないが、実現できるかはどうか、いつもこういう話は半分聞いておくのがいい。
戦争やコロナの影響もあり、何かしなければとみんな思うのだけど、実現となるとそれほど簡単なことではない。

滞仏日記「アドリアンらの前で歌うことになった。三四郎は激しい抵抗を繰り返した」



「何か面白い企画があったら、ぼくはいつでもやりますよ」
そう言い残して、クスクス屋をあとにした。
ところで、ぼくがパリに戻ってきたのにはもう一つ大事な理由があった。
実は、急にパリで小さなライブをやることになったのだ。
すでに春、秋、冬と3回放送された「ボンジュール、辻仁成のパリごはん」はぼくが暮らすカルチエ(地元)の肉屋、八百屋、パン屋、さらには住人の皆さんの協力を得て、仕上がった。
つまり街ぐるみの番組なのである。
しかし、コロナ禍もあり、制作会社の方々がパリにやってきて、皆さんにご挨拶をするのは不可能。ぼくなりにお礼をしたり、Lさんから送られてきた日本食材などを配ったりもしたけれど、もう一つ感謝が足りない気もしていた。
すると、前回、アドリアンらと飲んだ時に、
「みんなが、辻の歌を聞きたいと言ってるんだよ。君が何者か知らずに番組に出てくれている」
とピエールが言い出した。

滞仏日記「アドリアンらの前で歌うことになった。三四郎は激しい抵抗を繰り返した」



その時、一緒に飲んでいたアドリアンが、
「肉屋のロジェとか、八百屋のマーシャルとか、パン屋のヴェロニクたちの前で何か一曲、歌ってもいいのじゃないか。きっと、喜ぶよ。ジャンフランソワのカフェでもいいし、リコのバーでもいいし、いくらでも場所はあるじゃないか」
と言い出した。
悪くない話だな、と思って、いいね、と口走ってしまった。
するとピエールがみんなのスケジュールを調整し、不意に週末、集まろうということになったのだ。しかも、20人くらい来るらしい・・・。マジか。
軽い気持ちで引き受けたが、やるからには学芸会というわけにもいかないし、場所も探さないとならないし、けっこう、慌ただしいことになってしまった。

滞仏日記「アドリアンらの前で歌うことになった。三四郎は激しい抵抗を繰り返した」



で、ピエールが通りの突き当りにあるワインバーには小さな音響システムがあるので、そこでやるのはどうか、と言い出した。
先日、その下見もやった。ところがPAは壊れて音が出ないし、愛想のいいバーマンは会場費を要求してくるし、こりゃ、あかんわ、となった。
だいたい、ピエールが持ってくる話というのはいつもこういういい加減なものばかりなのだ。
「ツジー、PAなんか必要ないだろう? 生声でやれよ」
挙句の果てにピエールがそんなことを言い出した。20人も集まるのに?
そうもいかない。街の感謝祭(フェット)であるならば、きちんとやりたいじゃないか。
今日は打ち合わせの後、その準備に追われたのだった。
夜、へとへとになって家に戻ると、三四郎がいつもの肘掛け椅子にピッピ(おしっこ)をしていた。ど真ん中に、である。そこだけ色が茶色くなっている。
もちろん、たっぷりと叱ってから、クッションのカバーを外し、洗濯をした。
結構、古い肘掛け椅子なので、なかなかカバーが外れず、大変な作業となった。
ようやく、乾燥が終わり、肘掛け椅子にカバーを装着し直したら、その直後に、三四郎がまったく同じ場所で再び、ピッピをしたのであーる!!!!!
さすがにぼくは切れて、三四郎を叱った。しかし、これは彼なりの明らかな抗議行動でもある。
何に対する抗議かわからない。長時間の車の移動から、自分を1人残して外に打ち合わせに出たぼくへの当てつけかもしれない。
ぼくは肘掛け椅子を撤去することにした。
必ず、またそこでピッピをやらかすはずだから・・・。
三月最終日に、ぼくは田舎から戻って、打ち合わせや諸準備をやり、その上、三四郎の大ピッピ攻撃まで受けて、四月が不安になる三月の末日なのであった。
やれやれ・・・。

つづく。

滞仏日記「アドリアンらの前で歌うことになった。三四郎は激しい抵抗を繰り返した」

※ こちらが撤去した長椅子。もう、この椅子は三四郎の部屋には戻せない。戻さない。知らない・・・。



今日も、読んでくださり、メルシーボクー。
くたくたな父ちゃんからのお知らせです。

8月、お盆前、具体的には、8月8日から12日までの間のどこかで、関東と関西でライブを予定しています。最終決定は5月中旬になりますでしょうか・・・。
3年ぶりのライブ、楽しみですけど・・・。どうなることか・・・。

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