JINSEI STORIES
滞仏日記「大学生になったら家を出て一人暮らしをするのだよ、と息子に告げた」 Posted on 2022/03/29 辻 仁成 作家 パリ
某月某日、ともかく、息子がどこかの大学に入った後、ぼくは引っ越しをする。
二日ほど前のことだけど、三四郎とぼくが長椅子で寛いでいたら、勉強疲れの息子が珍しくやって来た。
横にしゃがんで、三四郎の頭を撫ではじめた。
いい機会だな、と思ったので、今後のことをちょっと話しておいた。
「あのな、受験が終わった後の、今後のことだけどね」
「うん」
「大学生になったら、一人で暮らしてもらうよ」
「え? 家から大学に通っちゃだめなの? パリの大学の可能性高いよ」
「パパは、前にも言ったと思うけど、田舎を拠点にする。このアパルトマンは家賃も高いし、広すぎるし、古すぎて水漏ればかりだし、解約しようと思っている」
「・・・」
「で、仕事場を兼ねた小さなアパルトマンに移り、パパは、一人暮らしをしようと思っている。君はもう成人だし、ここから一人で生きていかないとダメだ。いつまでも、パパのそばにいたら、ずっと自立できない人間になってしまうからね」
「・・・うん」
これは大事なことだし、ぼくは決めていた。
過保護は子供をダメにする、とフランス人は口を揃えて言う。
子供は自立していくのが当たり前だし、親は老いても子供に頼らないのがフランス流の個人主義である。
もちろん、学費や最低限の生活費は応援をするけれど、学校に行きながらアルバイトをやって自分のお小遣いくらいは自分で稼いでもらう必要がある。
まず、うちの子にとっては、ぼくから離れることが自立の第一歩であろう。そこはずっと考えてきた。
もうすぐ、二人で生きるようになって10年になる。
べったり、一緒に生きてきた。
でも、ここから、息子は自立しないとならない。
その第一歩を大学生活と共にスタートしてもらう。
「どこの大学になるかわからないけど、まず、最初の1,2年は、その大学の近くの寮に入ってもらう。食事付きの学生寮だ。アルバイトを探して、働きながら学んでもらう」
「わかった」
珍しく、分かった、とすぐに返事が戻ってきた。
「週末とか、美味しいものが食べたくなったら、ご飯を食べに来ればいい。田舎に来てもいいし、パリのアパルトマンでもいい。1LDKの家にするから、一泊くらいなら、リビング(サロン)のソファでゴロ寝することも出来る」
「(笑)わかった。でも、寮はいいね。友だちもできるだろうし」
「そうだ。自分で生きることを考えていかないとならない。大学は中学や高校とは違うから、自分の将来のためのファーストステップだ。マスターコースになったら、もう、就職のことも視野にいれて、すでに働き始めないとならないだろう。お金が稼げるようになれば、自分で考えて、アパルトマンを借りたらいい。成人なんだから、自分で借りることが出来る」
「うん」
「お金がなくて、ひもじくなって、お腹がすいたら、パパに電話をしろよ。美味しいご飯を作って待っとく」
「うん」
「パパはずっとお前の近くにいる。だから、心配はするな。でも、お前が社会に出るまで、パパは厳しくも優しく導いていかないとならないからね」
「うん、分かった」
「大学になったら、世界は一変する。その最初が一人暮らしだ。パパはいるけど、遠くで見守っている。人に頼らず生きていかないとならない。なんでも自分で解決をしていくのがこれからの君の人生ということになる。いいね?」
「うん」
息子は三四郎の頭を撫でた。
三四郎が十斗のその指先を舐めた。
「三四郎に会いたい時はいつでも遊びに来ればいいよ」
「・・・うん」
短い話し合いだったけれど、おそらく、18歳の息子にとって、とっても重要なやり取りだったのじゃないか、と思う。
考えてみてほしい。彼はパリの辻家に生まれ、ずっとここに自分の部屋があった。けれども、ぼくが次に引っ越す家に息子の部屋はないのだ。
息子は自分の小さな舟にのり、自力で漕いで新しい世界を目指さないとならない。それは人間ならば誰もがやらなければならない道でもある。
そのことを、数分で、ぼくは伝えた。
ぼくは田舎に向かう車の中で、息子とのやり取りをずっと思い返していた。
その時の彼の表情とかを・・・。
寂しかったかもしれない。居場所がなくなるという不安を覚えたかもしれない。でも、それが、大人になるということなのである。
息子が、大海に出て、立派に巣立っていく、最後の一押しの時期に入ったということであろう。きっと大丈夫だ。あいつなら、出来る。
ぼくは父親として教えるべきことは全部教えてきたつもりだ。
彼は家族が出来たら、きっといい夫に、あるいは、いいお父さんになるだろうな。
まずは、目の前の受験である。
三四郎は今日、はじめて、夕刻の海に飛び込んだ。
三四郎も頑張っている。
息子よ、お前もがんばれ。
つづく。