JINSEI STORIES
滞仏日記「日本の大統領はキムさんでしょ、と青年が言った」 Posted on 2022/03/17 辻 仁成 作家 パリ
某月某日、知り合いから「地震がやばい」と一報が入り、慌てて日本のニュースサイトを見たら、どこも津波情報だった。
ママ友のレテシアも、ソフィも、アリスからも、日本、大丈夫なの? と連絡が入った。
2011年の東日本大震災の時のことを思い出した。
海外に住んでいると、日本のニュースサイトを斜め読みすることしかできないのが実情で、温度感が測れなくなり、日本の今に、疎くなってしまった。
同じように、日本にいる方たちにウクライナ危機、欧州の緊張感がどう伝わっているだろうか、と思うこともある。
温度差をなくしたいからアンテナを張り巡らしているけど、あまりに多くのことがこの狭い地球に襲い掛かっていて、全部を掴み切れないでいる。
時々、情報過多により頭が動かなくなることもある。
世界が刻々と動いているのだが、辻家も今日は一日、大変であった。
朝の8時半に、工事業者の人たちがやってきて、いきなり、3年前の水漏れによって崩壊した天井や壁の修復がはじまったのである。※細かいことは過去日記に譲る。
たぶん、ボスはそれこそウクライナやロシアなど、東欧出身の人だろう。
彼の若いスタッフはパキスタンとかインドからの移民の子孫だと思った。(なんとなく今はどこの国から来たの、と訊きにくい)
フランスの工事業者はほとんどが外国人だ。
ぼくの田舎の家をリハウスしたのはモルドバから来た移民たちであった。
みんな、まじめで、よく働く。そして、明るい。
工事は三四郎の部屋(玄関ホール)と息子の勉強部屋で行われた。見積もりを取りに来た人は工事期間は最低で一週間と言っていたが、今日やって来た二人は「なんも、三日で終わるさ、見ていてよ」と笑いながら工事をはじめた。
一時間後、ボスは帰宅し、若い子が残った。
ぼそぼそっと語るおとなしい子で、本当に三日で出来るのかな、と思っていたら、昼前には二部屋の壁が剥がし終わり、昼食を挟んで午後には最初の下塗りがはじまっていた。
ぼくは一応、珍しい光景だし、使われるかどうかわからないけど、ドキュメンタリーだし、「ボンジュール、パリごはん」の動画撮影しておこうかな、と思ってカメラを回したのだが、そのパキスタンだかインドの青年がこちらを振り返って、
「YouTube?」
と訊いてきた。
「いや、NHKかな」
と正直に言っておいた。
「えぬあっしゅかーって、なに?」
「テレビ」
青年が笑いだした。(ぜんぜん、信じてない)
暫くすると、青年がドア越しに、ムッシュ、とぼくを呼んだ。
「これから、あっちの部屋の壁も塗るけど、撮影するかい?」
「あ、いや、ありがとう。もう大丈夫」
そんなに壁の修理場面ばかり撮ってもしょうがない。
青年が笑った。そうだ、たった一人で頑張っているから、アーモンドフレーバーのコーヒーを届けた。青年が喜んだ。
「どこの国から来たんですか?」
「日本だよ」
「へー、すごい、日本人なんだ。大統領は元気?」
「大統領はいないよ。首相」
「マジですか? ほら、あの恰幅のいい、角刈り頭の若い大統領がいるでしょ? キムさんだっけ?」
青年は、身体のサイズ感を真似て、ジェスチャーで伝えようとしてきた。
「あ、それはノースコリアの、キムさん」
「ああ、そうなんだ。日本の大統領じゃないんですね。なるほど」
どこまで世界のことを知っているのだろう、と思った。あはは・・・。
「世界って、広いから、アジアはよくわからない」
「そうだね。わからないよね」
「ぼくは15歳からこの仕事をしてるんだ。今、30歳だから」
「へー」
「ムッシュ、見てよ。この壁」
ぼくは青年が指さした一番被害の大きかった壁を振り返った。
「壁を剥がし、下地を塗り、その上にところどころガーゼ(そうは言わなかったけれど、テープのようなシート)を張って、そこからあと、何度か塗りたくるんですよ。綺麗に、綺麗に、重ね塗りをしていく」
「すごい技術だね」
「これ、世界地図みたいでしょ」
「ああ、確かに」
「芸術みたいでしょ?」
「うん、見えるね」
「これがぼくの仕事なんです。15年、知らない人の家で、描き続けてきた、誰にも見られない作品。でも、ぼくの仕事が終わる最後の日に、この世界は全部綺麗な壁の中に埋没する。今だけですよ、これが見られるのは」
青年は屈託なく笑った。
「明日も一人で作業するの? もう、ボスは来ないのかい?」
「来ませんよ。ぼくが一人で仕上げるんですよ」
「じゃあ、明日、ランチはぼくが奢るよ、いいだろ? そこのカフェのハンバーガー美味いんだ。この辺の世界では一番うまいよ」
「いいの?」
「どうせ、息子もぼくも食べるから、ついでに」
「ありがとう。それはとっても嬉しい」
彼は暗くなる前に、下地をすべて塗り切って、帰って行った。
青年が帰った後の、三四郎の部屋は、白いスクリーンがかけられ、何か、野戦病院の診察室みたいな感じになっていた。
青年の仕事は素晴らしいな、と思った。
彼はこの異国で、腕一本で生き抜いている。
ぼくが支払うのは3千ユーロ。そのうち何パーセントが彼のところに落ちるのかわからないが、休みなく仕事がある、と言っていたので、自分の国にいるよりはいい稼ぎになるのだろう。
言葉少ない青年だけど、技術者であれば、何処でも生きていくことが出来る。そういう意味では、テロもあるのに、フランスは門戸が開かれている。
ウクライナの人が昨日、近くのスーパーで買い物をしていた。仏語が話せないので、片言の英語でレジの人(彼らはルーマニア人)と話していた。
なぜ、分かったかというと、その子はウクライナのパスポートからユーロ札を取り出したからだ。もうすでに、フランスにウクライナ避難民が到着しているのかもしれない。
欧州には欧州の事情があって、その中で、ぼくも息子も生きている。
日本の地震のことを心配しながら、ぼくは青年が作った壁を見つめるのだった。
つづく。
今日も読んでくれて、ありがとう。
工事が無事に終わるよう、・・・ね。
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