JINSEI STORIES
退屈日記「犬を飼いたい人への余計なお世話」 Posted on 2022/03/16 辻 仁成 作家 パリ
某月某日、ぼくは寝不足で、お風呂にも入れず、お酒が減ったのはいいことだが、自分の時間がなくなった。完全に、なくなった。
ミニチュアダックスフンドは寂しがり屋なので、「くーん、くーん」とぼくを呼ぶ。
無視もできるのだけど、かわいそうになるので、ついかまってしまうのだ。
あまりに頻繁に、しかも、しつこく呼びつけられるので「いいかげんにしてくれよ」と怒ることもあるが、可愛い目をして訴えてくるので、思わず言うことを聞いてしまう。
そうすると仕事もできないし、自分のことは何も出来なくなるし、身体はボロボロになる。
ぜんぜん、悪いことではないのだけど、夜中にポッポ(うんち)をすると、「ちゃんと出来たよ」と教えにくる。
子犬なりに近所に迷惑をかけてはいけないとわかるのか、夜中は、わんわん、とは吠えないで、くーん、くーん、と甘い呼び方をする。
ちょっと、パパしゃん、うんちできたよー、というのを真夜中とか明け方にやられるので、その始末と、始末のあとは寝付かせないとならないのでくたくたになる。
ピッピ(おしっこ)とポッポの掃除だけで一日が終わる感じ。
外でやらせるべきよ、というご意見があることは重々承知だけど、うちの犬はまず、外出したがらない。
外に連れ出そうとするととにかく、テンションが下がって、動かなくなる。
森で生まれたので、都会が怖いのである。
前脚を投げ出して、ストライキみたいな行動をとる。
しかたないので三四郎が怪我しないように、リードを持ち上げながら散歩させていたら、腕があがらなくなった。
ミニチュアダックスフンドは胴長なので「階段の昇り降りさせると将来ヘルニアになるよ」という知り合いからの忠告に従って、毎回抱えて4階の往復をやっていたら、腰が曲がった。
先日は原因不明の疲労から、高熱が出て、ついに倒れた父ちゃん、62歳である・・・。
このままでは、過労死に・・・。早く、自分なりのペースを見つけなきゃ・・・。
それでも、三四郎は可愛いので、頑張って育てているのだけど、このような状態がいつまで続くのだろうと思わない日はない。
もちろん、ぼくの膝の上で寝ている三四郎は本当に天使のようだから、苦痛だけど、苦痛ではない。
苦しいけど、苦しくはない。大変だけど、大変ではないのである。
それでもあなたがミニチュアダックスフンドを飼いたいというならば反対はしない。
24時間、奴隷のように尽くしているぼくだが、ある瞬間、確かに、幸せだな、と思うことはある。
言葉をしゃべるわけではないので、ぼくの悩み事を聞いてくれるわけではないが、そこにいてくれるだけでぼくの本質の孤独を癒してくれる。
言葉など必要ない、説明や説得や言い訳が必要ない相手なのである。
ピッピやポッポの片付けや掃除、毎日の散歩などに明け暮れる時間も、最初はぼくの人生を削る無駄な行為に映っていたが、この翻弄される時間も含めて、今はそこに我が人生の目標さえ見つけているような。
三四郎のお世話があるので友だちとも会えなくなったし、飲み会にも出られない。
しかし、もう、奴隷でもいいや、と思い始めている自分の変貌は不思議でならない。
最近は、三四郎のおしっこやうんちの匂いや色や形状や硬さを確かめて、一人、納得している父ちゃんである。
余計なお世話だとわかっているけれど、犬を飼いたい皆さんに言いたいことが一つだけある。
つまり、人間は裏切るけど、犬は裏切らない、ということだ。
三四郎はぼくの一番の理解者なのである。
つづく。
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