JINSEI STORIES
滞仏日記「ちょっと待て、三四郎、そこでポッポをしちゃだめだ。サンローランだ!」 Posted on 2022/03/12 辻 仁成 作家 パリ
某月某日、今日はランチミーティングがあり、おっさんずらぶなシェフのすし屋でランチしながらの会議。
三四郎を連れていくか悩んだが、置いていくことにした。
監視カメラRING君が大活躍となった。
このカメラの凄いところは室内で動きがあると、毎回、携帯に通知が来ること。
(しかし、前回、息子が友だちを家に招いた時に電源を引っこ抜いて、アクセスできなくなってしまい、一応、帰ってから叱った父ちゃん。監視カメラの電源を引っこ抜くという荒業、分からないでもないけど、やっちゃいけん。その日は例によって、仲間が我が家に集まって映像の編集をやったようである。飲んだりはしないし、みんな大人しい子たちなので、別にいいのだけど、電源だけは、引っこ抜くな!!)
その点、三四郎は監視カメラの電源を抜くなどということはしない。
「サンシー、じゃあ、行ってくるぞ」
三四郎はともかく散歩が大嫌いな子犬である。
ハーネス(最新の首輪)を見せると逃げ回る。
なので、出かけるのは問題なさそうだが、ぼくがいない間、どうしているのか気になり、監視カメラでチェックしながら、ミーティングに挑むこととなった。
玄関まで見送りに来た三四郎に、じゃあな、おとなしくしているんだぞ、と声をかけた父ちゃん。
刺激しないよう、静かにドアをしめ、階段を下りながら、監視カメラを起動させた。ジジジジジ、・・・。
とりあえず、ドアをしめても吠えない。よし、大丈夫そうだ。
三四郎は暫くのあいだ、閉ざされたドアを見上げていたが、まもなく、踵を返し、父ちゃんの長椅子まで戻ると、いつもぼくが座っているところに飛び乗り、そこで寝そべった。
おお、納得している。
ぼくはタクシーを拾い、すし屋へと向かった。
音楽マネージメント会社のマダム・ボードロンさんらと19日に全世界配信になるDeepForestとのコラボ曲、「荒城の月」の宣伝に関しての話し合いをする。
しかし、ぼくは三四郎のことが気になり、RINGから「動きあり」と連絡が来る度、監視カメラの画像に釘付け・・・。
「ムッシュ、何か気が散ってませんか?」
やべー、叱られた。
「いや、それがね、三四郎が一人でお留守番中で、息子もいないから、大丈夫か、ちょっと気になっちゃって。そろそろ、お留守番を覚えさせないと・・・」
「でも、3分置きにチェックする必要あります?」
あはは、仕事にならないよね。
その時、三四郎は長椅子の肘あてに飛び乗り、その1メートルほど離れた場所にある檻を目掛けて、飛ぶポーズ・・・。
「ぎょえ・・・ちょちょちょっと、な、何してんだよ、サンシー。お前、胴長短足なんだから、他の犬みたいにはぜったい飛べないだろが!」
と言った次の瞬間、飛んでしもうた。
普通なら、届かないはずだが、出かける時に、ぼくが椅子を少し動かしてしまっていたようである。届いてるじゃん!
檻の向こう側においてあったマネキン型コートハンガーに、口が届き、もちろん、向こう側には行けなかったが、そこにかけてあったコートを噛んで、そのまま、落下した・・・。
「ぎゃあああ、何してんだよ!こら、サンシー!!!!」
カウンターに座っている、お行儀の良さそうなフランス人たちがぼくを一瞥。
「どうしました?」
「コートを引っ張って、檻の中に引きずりやがったんですよ」
お客さんたちが不審な目でぼくを見るので、ぼくは慌てて携帯を彼らに翳し、
「すいません。うちの子犬、まだ生後五か月で、お留守番中でして」
と説明をしないとならなかった。
昼時なので、店は満席、この騒ぎ、店主のおっさんには気づかれていない。
一同、笑顔に、トロミニヨーン(超かわいい)となった・・・あはは。
「一応、あれ、サンローランのコートなんですよ」
みんな、しーん。知らんがな・・・・
すると、三四郎がそのコートの上に飛び乗った。飛び乗っただけじゃなく、コートの襟首を噛んで、ぐるぐる自分の身体に巻きつけやがった。
「ええええ、な、何してんだよ!」
「ちょっと、ムッシュ・ツジ、落ち着いて」
三四郎はその後、ぼくのサンローランのコートの上に居座ってしまったのである。
頭を過ったのは、そこでピッピ(おしっこ)とかポッポ(うんち)とかしないでくれよ、ということであった。時間的にはそろそろその時間・・・やばい。
こんな状況で落ち着いて食事などしていられるわけがない。ぼくは、30分ほどで仕事を終わらせ、一人先に、家路につくことになる。
家に戻りながら、監視カメラを覗くと、三四郎がなにか変なポーズをとっている。え?
お尻を監視カメラの方に向けて、軽く浮かしてないか・・・。ぎょぎょぎょとなった、父ちゃん!
やばい、このポーズは、ポッポっぽーのポーズじゃないか。
ぼくは監視カメラに搭載されているスピーカー機能をオンにして、
「こら、そこの三四郎くん、ダメダメダメ、ダメダメ、ダメだよーー--」
と声を張り上げたのである。
通行人が怪訝な顔でぼくを遠巻きにした。しかし、そんなの、気にしちゃいられない。
「そこのサンシー! そこでポッポしたら、父ちゃんに怒られるぞ。こら、なにやっとるんじゃー-」
さすがに慌てた三四郎、ぼくの声がする方を振り返った。
しかし、そこにぼくはいない。
とりあえず、ポッポ危機は一旦、乗り越えることが出来たようだ。
「三四郎、今、パパしゃん、家に帰っているから、おとなしく、待ってなさい!」
三四郎が部屋の中を見回している。でも、ぼくはいない・・・。
いない、いない、いない。パパしゃん、どこ~。ぼくのことを思い出したのか、吠えない犬が吠えだした。きゃんきゃんきゃん・・・
家まであと10分というところだった。タクシーが捕まらないので、ぼくは気が付けば、走っていたのであーる。62歳、猛ダッシュ!!! ううう、身体が痛い。
三四郎は再び、サンローランのコートの上に寝そべった。
「三四郎、もう少しで家に帰るから、今はおとなしくしときなさい。いいね、大人しくしとくんだよー」
「ムッシュ、ツジー」
哲学者アドリアンが通りの反対側から手を振った。
「アドリアン、今はそれどころじゃないんだ。また、連絡する」
アドリアンは肩をすくめた。ぼくは全速力で自宅の入った建物に戻ると、階段を一気に駆け上がり、ドアを鍵で開けて中へと飛び込んだのであーる。
「なにか?」
三四郎がぼくを振り返っていた。
「さんしーろおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」
つづく。
※ あの三四郎は衣服や椅子の上ではポッポもピッピもしません。ご安心ください。えへへ。