JINSEI STORIES

滞仏日記「三四郎を放してみたら、62歳のマダムがやってきて、衝撃の」 Posted on 2022/03/08 辻 仁成 作家 パリ

某月某日、二週間ほど前のことだ。
いつもの広々とした公園を三四郎と歩いている時に、子犬連れのムッシュと親しくなり、
「今のうちに、リードを外すことを覚えさせないとずっとリードを外せなくなるよ」
と教えられた。
パリの通りでも、リードを外してちゃんと飼い主と歩いているわんちゃんたちをよく見かける。それは、実にスマートで、かっこいい。
いつか、三四郎も、そうなるといいなぁ、と思っていた。
それでブリーダーのシルヴァンに相談をしたら、君は海沿いに家があるから、近場の浜辺でリードを外せばいいよ、と教えられた。
最初は怖がって遠くに行かないし、見晴らしもいいし、車は走ってないし危険は少ない、と・・・。
今日、ぼくは三四郎を海に連れて行った。
そこは犬の天国のような広々とした場所で、ほとんどのわんちゃんたちがリードを外して自由に走り回っている。
けっこう、勇気がいったけど、なんとなく、握りしめていたリードを放してみた。
三四郎は最初、気づかず、ぼくの横に座っていたが、ぼくが歩き出すと、くっついてきた。そして、ぼくがリードを引っ張ってないことがわかると、不意に、そうだな、逃げ去るように、走り出した。
ちょっと不安だったけど、周囲を見回しながら、いつでも追いかけることのできる体勢で様子をみた。
どんどん、遠ざかる三四郎・・・
海に向かって走っていく。
うわ、めっちゃ心配なのであーる。
このまま、帰ってこなくなったらどうしよう、と思った・・・
かなり勇気のいる行動なのであった。

滞仏日記「三四郎を放してみたら、62歳のマダムがやってきて、衝撃の」

滞仏日記「三四郎を放してみたら、62歳のマダムがやってきて、衝撃の」



「三四郎!」
思わず、叫んでしまった。
その時、三四郎はぼくから50メートルくらい先にいた。
三四郎は座り込み、それからぼくをゆっくりと振り返った。
よかった、止まってくれた。
ぼくはちょっと小走りで三四郎に近づき、落ちていた流木を掴んで、それを映画の中の一場面のように、遠くへ放り投げてみたのである。
三四郎が走り出した。
もの凄い勢いで、砂地を蹴って、今度は流木を咥えると、方向転換して、戻ってきた。
これは結構、感動的であった。
ぼくはしゃがんで、三四郎から流木を受け取り、頭を撫でてやった。
「すごいな、三四郎」
三四郎は楽しそうであった。
ポケットからチキンのおやつを取り出し、与えた。

滞仏日記「三四郎を放してみたら、62歳のマダムがやってきて、衝撃の」



と、その時、黒い影が三四郎の背後から襲い掛かってきた。
同じように放されていた少し大きな犬だった。遠方からもっと大きな犬が三四郎目掛けてもの凄い勢いで走ってきた。
三四郎は凍り付き、動けない。
ぼくも凍り付き、動けない。
飛びかかる勢いで、二匹はやって来て、三四郎の周囲をもの凄い勢いで走り回った。その犬の飼い主たちは、慌てる様子もなく、遠くから見守っている。
こういうことに慣れているのであろう。つまり、安全な犬なのだと思った。
ここで、ぼくが手出しをするのもよくないので、ゆっくりと近づき、危険がないように、見守った。
大きな犬がぼくにすり寄り懐いた。身体をさすってあげた。犬猫と子供にだけはむっちゃ愛される父ちゃんであった。
二匹の犬たちは、まもなく、走り出し、三四郎がそこにぽつんと残された。
三四郎の背後に打ち寄せる海が広がっていた。
やれやれ。大きな成果だけど、ひやひやしたよ。

滞仏日記「三四郎を放してみたら、62歳のマダムがやってきて、衝撃の」

滞仏日記「三四郎を放してみたら、62歳のマダムがやってきて、衝撃の」



小一時間、三四郎と海辺を歩いた。
三四郎は海が大好きなのだ。どこまでもどこまでも走っていった。
100メートルくらい先まで行くようになった。
「三四郎!」
ぼくが大きな声で彼を呼ぶと、ぼくを振り返り、ジャンプするように向きを変え、今度はもの凄い勢いで、ぼく目掛けて走って戻ってくるのだった。
ぼくは三四郎を抱き留め、おやつのチキンを一つ与えた。
小さな成長を感じた朝の散歩であった。

滞仏日記「三四郎を放してみたら、62歳のマダムがやってきて、衝撃の」

帰り道、ふ頭を歩いていると、ヨークシャーテリアの飼い主の初老のマダムが、
「可愛い子ね、可愛いわ」
と言って近づいてきた。
その人はかつてミニチュアダックスフンドを飼っていたのだという。
でも、13年生きてその子が亡くなって、今のヨークシャーは二代目なのよ、とこちらが何もしゃべっていないのに、どんどん、自分のことを語りだしたのであーる。どうすりゃいいのだ、父ちゃん。
こういう傾向の人は犬を飼っている人に多い。なぜか、自分の人生を押し付けてくるのだ。そして、不意に、
「私は62歳なのよ」
と、その人が臆面もなく自分の年齢を語りだした。
笑顔だったぼくの顔が不意にくぐもった。
ぎぇ、同じ年じゃん。
よりによって、全く一緒なのである。
なんで不意に62歳とか言ってくるのか、意味が分からなかった。これって共時的霊感なのかしら・・・。
マダムは結構ふくよかで、毛皮ではないけど、なんか、高級そうなコートを羽織り、シャネルか何かの眼鏡をかけて、顎は美しい年輪を刻んで、小じわはあるけど、口紅はピンクなのである。
でも、砂地を歩くから足は履きやすい運動靴で、靴下じゃなく、スパッツかな、ぴっちりむちむちしたのを履いていて、いや、犬を見ているから、足元がやたら目に飛び込んでくるのであーる。
平均的な62歳とはこういう感じなのか、という感想を持ったが、つまり、この人はぼくと同じ時に小学生になり、ぼくと同じ時代に高校生を過ごして、ということである。
函館西高時代の自分やクラスメートのことを思い出した。
このマダムも、40数年前は、高校生だったのである。

滞仏日記「三四郎を放してみたら、62歳のマダムがやってきて、衝撃の」



「この子は今、12歳なの。あと何年生きてくれるかしらね」
「大丈夫ですよ」
同じ年だとはなぜか言えない。言ってもいいのだが、ここで変な共感が生まれてもやりづらいから、黙っておいた。
「ウクライナの犬たちのことを考えると胸が痛いわ。戦争が欧州全域に広がらないか、それも心配だし、毎晩、眠れないのよ」
「分かります。ぼくもそのことがとっても心配で・・・」
「まだ、あなたは若いから、あなたたちの世代が戦争を食い止めないといけないわよ」
「はい」
ここで余計なことは言わない方がいいと思ったので、直に、頷いておいた。ぼくらの世代で食い止めます・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
12歳のヨークシャーテリアは、まだ生まれたばかりの赤ん坊のように、小さかった。

つづく。

地球カレッジ

滞仏日記「三四郎を放してみたら、62歳のマダムがやってきて、衝撃の」



自分流×帝京大学