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滞仏日記「ウクライナの人々は今、毎日、何を食べているのか?」 Posted on 2022/03/07 辻 仁成 作家 パリ

某月某日、朝、三四郎と教会まで散歩に行くと今年もまた、桜が咲き誇っていた。
「三四郎、これは日本の桜だよ」
とぼくは教えた。

滞仏日記「ウクライナの人々は今、毎日、何を食べているのか?」

ロシアのキーウ(キエフ)への総攻撃を前に、全世界は固唾をのんでこの状況を見守っている。
対岸で、三四郎のような子犬が巨大な闘犬に襲われているのを、誰一人、手を出せずに見守っているようなこの状況・・・。
これがどういう結末になるのか、今のところ、誰にも分からない。
ただ、開戦から10日以上が過ぎようとしているが、まだキーウは持ちこたえている。
開戦当初には想像も出来なかったことで、どこまで持ちこたえられるのか、が次の焦点になってきた。しかし、それは今日で終わりかもしれない・・・。
けれども、もしもあと10日、キーウが陥落しなければ、戦況が逆転する可能性もゼロでははない、と語る専門家もいる。
そのために、どれほどの市民の犠牲が必要になるのだろう、と考えると胸が痛む。
ところで、この10日間、キーウの市民は何を食べて、どうやって生活をして、この苦難を凌いできたのだろう。

滞仏日記「ウクライナの人々は今、毎日、何を食べているのか?」



いろいろ調べてみると、地下鉄や防空壕に逃げ込んだ人々は地下鉄を通して配給される食糧などを食べて凌いできたようだ。
夜は外出が禁じられているので、安全な防空壕とか地下鉄に潜って息を潜めている。
ただし、昼間は、自宅に様子を見に戻ったり、そこでシャワーを浴びたり、猫に餌を与えたりしているらしい、今のところ・・・。
フランスや英国のジャーナリストがまだキーウに残っており、その様子を全世界に届けている。
材料が残っているパン屋さんなどは、市民のために、命がけで店を開き、温かい飲み物やパンを販売しているらしい。
でも、スーパーや商店のほとんどはシャッターを下ろしている。
この状況がいつまで続くのか、市民は不安を抱えながら日々を過ごしているのである。
ウクライナの兵士や国民の士気が高いのは連日の報道で伝わってきているが、圧倒的なロシアの軍事力を前に、地下壕での生活がどこまで続くのか、予断を許さない。
子犬はあの巨大な闘犬を追い払うことが出来るだろうか?

滞仏日記「ウクライナの人々は今、毎日、何を食べているのか?」



漫画とかゲームや映画などで見知っている戦争というものと、今、ウクライナで起きている現実の戦争は大きく異なる。
「リアリティドラマ」などが流行っているが、ああいうものとはぜんぜん違う、本当の戦争との隣り合わせの恐ろしさがそこには存在する。
パリがいま、ロシア軍に包囲されたら、と考えない日はないし、そうなったら、三四郎はどうなるのか、息子の受験や将来はどうなるのか、ぼくは毎日、キッチンで何を作ればいいのか、・・・。
まずは、そういうところから躓きはじめ、しかし、そんなのは序の口で、躓いても立ち上がることのできない、後戻りできない現実に気が付けばいつの間にか包囲されてしまっているはずだ。
どうやら日常が消え去るのが「戦時下」というものらしい。
朝起き、学校や会社に行くという日常がなくなる。
夜になると爆発音が繰り返されて、眠れなくなり、まもなくガスや電気が途絶え、砲弾が近くの官庁などを破壊し、様子を見に外に出ると、哲学者のアドリアンや、カメラマンのピエールが死んだという知らせを人づてに聞き、行きつけのカフェ一帯が跡形もなくミサイル攻撃で吹っ飛ばされており、あんなに凛々しく聳えていたエッフェル塔もねじ曲がり、その頃には食べるものも尽きて、息子と三四郎で小麦粉に水を溶かして舐めて飢えを凌いだり、トイレは汚物で溢れ、窓を開けると見慣れた通りが瓦礫に埋まり、そこを戦車が激しい音をあげて進軍し、誰かが火炎瓶を投げ、ロシア兵がマシンガンでその家を攻撃し、火災が起きて、三四郎がまず崩れた壁の下敷きになり、息子はベッドの端で頭を抱えて動かなくなり、ぼくは・・・。
とにかく、キーウの人々はそのような苦境の中で、けれども、ロシアを撃退するために、それは自分たちの日常を取り戻すために、戦っているのである。

滞仏日記「ウクライナの人々は今、毎日、何を食べているのか?」



今日はずっといつものキッチンで、そんなことを考えていた。
しかし、夕飯の時間になり、ぼくは自分を取り戻し、そこにいつも通りの日常があることを思い出し、辛くなった・・・。
研いだ米を炊飯器にいれ、スイッチを押し、米が炊き上がるまでの間、野菜や肉を炒め、料理をテーブルに運んで、
「ごはんだよー」
と息子を呼んで、2人で食卓を囲むのだが、・・・。
食堂に入れて貰えない三四郎がドアの向こうで、わんわん、と吠えている。
ぼくらは会話もなく、黙々と食事をする。
今まで、いろいろと不平を口にしていたが、こんなにぼくらは幸せなんだ、と思うと、申し訳なくもなり、その有難さに目頭が熱くなる。
この毎日を大事に生きていかないとならない、と思うのだ。
「ごちそうさまでした」
息子は食べ終わると、食器を持ってキッチンに行き、自分のを水で洗い、食洗器にいれてから、自室に戻る。
ぼくも同じだ。
そのあと、三四郎を連れて、夜の散歩に出かける。
建物を出ると、そこには破壊されていない日常の街角があり、着飾ったパリジャンとパリジェンヌが路上で口づけをしている。
いつも不平ばかり言っていた生活に、感謝をしないといけない。
平和というものをおろそかにしてはいけない、とぼくは思うのだった。

つづく。

滞仏日記「ウクライナの人々は今、毎日、何を食べているのか?」

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