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三四郎日記「吾輩は犬である。ぼくは世界一幸せな犬なんだ」 Posted on 2022/03/05 辻 仁成 作家 パリ

吾輩は犬である。名前は三四郎。
ぼくにはもともとシンプソンというちゃんとした名前があったのだけど、ぼくの飼い主になった日本人のムッシュが勝手に伝統的な日本の名前を付けてしまった。
ちなみに、ぼくにはパスポートがあって、そこにはシンプソンという本名が記されている。
ただ、セカンドネームの欄に三四郎と掲載されることになった。
ムッシュはフランス政府から発行されたパスポートを覗き込んで、ご満悦の様子。しかし、三四郎という名前はフランス人にはちょっと発音が難しいようだ。
ぼくの名前を知りたがる人たちは、ほぼ全員「SANSHIRO」が発音できず、みんな同じようなリアクションをし、苦笑いを浮かべている。
なので最近は、短くまとめられて、みんなはぼくのことをサンシーと呼ぶようになった。
ところでぼくの飼い主のムッシュは「HITONARI」という名前で、これがまた、フランス人にはどうも発音が難しいらしい。
フランス人はそもそも「H」を発音しないので、「ITONARI」になっている。
ぼくが知る限り、ムッシュの名前をちゃんと発音出来たフランス人はぼくらが住む街の中には一人もいない。
ぼくらはロン毛の日本人とロン毛のミニチュアダックスフンドということで、セットでみんなに覚えられている、たぶんね・・・。

三四郎日記「吾輩は犬である。ぼくは世界一幸せな犬なんだ」



ぼくの飼い主のムッシュは、それでも、ぼくにはとっても優しい人である。
だいたい一日中一緒に過ごしている。
寝る時だけは別々だけれど、それ以外はほとんど一緒にいるのだ。
ある日、この人がぼくの人生に突然現れて、それ以来ずっと一緒に過ごしている。
時々、この人はどこから来たのかな、と思うこともあるけど、難しく考えてもしょうがないので、ぼくはこの人生を喜んで受け入れている。
とにかく時間の許す限りずっと遊んでくれるし、ごはんやおやつをくれるし、お膝の上でお昼寝をさせてくれるし、散歩はあまり好きじゃないけど、でも、ぼくのことを考えて外に連れ出してくれているみたいだし、田舎の犬の園にいた時のようなその他大勢の中の一匹ではなく、ムッシュはぼくのことだけを考え、見つめて、大事にしてくれるので、今は、人生の中で一番幸せな時なのかな、と思う。
ムッシュは怒る時は怖いけれど、普段はとっても優しいので、ぼくはとっても安心をして、暮らすことが出来ている。
ムッシュとボールで遊ぶのがとっても好きで、ムッシュが投げたボールを追いかけている時のぼくの使命感といったら半端ない。
ムッシュに褒めて貰いたいから、一直線にボールに向かって飛んでいき、それを咥えてムッシュのところにもって帰る。
するとムッシュがぼくの身体を抱きしめてくれて、ブラボー、サンシー、と言ってくれる。
ムッシュはいろいろな種類のおやつを持っていて、ぼくが何か一つ成功すると、その中の一つをちょっとくれる。
もう、それが信じられないくらいに美味しいんだ。
遊んでくれて、おやつをくれて、膝の上で寝かせてくれて、それがぼくの世界のほとんどなのだけど、ぼくはそれ以上のものを求めていない。
ブラボー、サンシーと言われたくて、毎日全力で生きている。

三四郎日記「吾輩は犬である。ぼくは世界一幸せな犬なんだ」



三四郎日記「吾輩は犬である。ぼくは世界一幸せな犬なんだ」

この「ブラボー、サンシー」の後には、必ずおやつが出る。
褒められているのだ。
ブラボー、サンシーと言われると、ぼくはその場に座って、ムッシュがおやつを取り出すのを尻尾を振りながら待つ。
この時は、この上なく光栄で、最高に幸せな瞬間でもある。
それに、おやつは、ごはんよりもうんと美味しいんだ。
それから、「ゴーゴー、サンシー」という号令がかかると、ぼくは走らないとならない。
大通りや横断歩道を渡る時、ムッシュは大きく掛け声を発する。
「ゴーゴー、サンシー!」
「わんわん(アイアイサー!)」
時々、ムッシュは広い原っぱでも「ゴーゴー、サンシー」の号令をかける。
ぼくは全速力で走りだす。ムッシュも一緒に走ってくれる。
ぼくは時々、すぐ横にいるこの日本人の顔を見上げる。
この人はぼくのパパなのだ。きっと、ぼくのパパなのだと思う。
たまに、髪形が似ているな、と思う。
ぼくの横を髪の毛を振り乱しながら走る日本人の「ITONARI」
ぼくが疲れて止まると、ポケットからおやつを取り出して、ぼくに与えてくれる。ぼくは嬉しいし、誇らしい。
ムッシュの期待に応えられ、褒められて、ご褒美を貰えて、こんなに嬉しいことが他にあるだろうか? 他にあるなら、教えて貰いたい。
「ブラボー、サンシー」
ムッシュがぼくを抱きかかえて、強く、抱きしめてくれる。
ぼくは激しく尻尾を振って、時々、嬉しすぎておしっこをまき散らしてしまう。
ムッシュに怒られるけど、怒られても嬉しいのが止まらない。
「メルシー、サンシー。ボンニュイ、サンシー(ありがとう、おやすみ)」
そして、ぼくは疲れ切って、毎晩、ぼくのふかふかのマットで眠るんだ。ムッシュがぼくのおでこにキスをしてくれる。
そして、ぼくは今日もムッシュと遊ぶ夢を見ながら、眠るんだ。
ぼくは世界一、幸せな犬だと思う。
パパ、おやすみ。また、明日、遊んでね・・・。

つづく。

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