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退屈日記「フランス人のこの習慣だけは嫌だったし、軽蔑さえしていたぼくだったが」 Posted on 2022/02/17 辻 仁成 作家 パリ

某月某日、「郷に入っては郷に従え」ということわざがある。
はじめてパリを訪れた三十数年ほど前、
「おおおお、ここがフランスかぁ、かっちょええなぁ」
と思いながら闊歩したパリのサンジェルマン・デ・プレ・・・
おなじみ、カフェ・ドゥ・マゴのテラス席に座り、行き交う人々を眺めては溜め息をこぼしていたその視界の先に、どこかのお綺麗な着飾ったマダムがバゲットをカフェオレに浸しては、そのバゲットの先端からこぼれ滴るカフェオレに口を近づけ、がぶっとくらいついている、奇妙な光景とでくわしたのだ。
それはそれは強烈なインパクトをぼくに与えることになった。
渡仏直後にもやはり近所のカフェでたまに見かけるその光景には慣れずに、うわああ、と目をそらし、どこか心の底でフランス人を軽蔑さえしていた、父ちゃんであった。
しかもであーる。
カフェオレに浸したバゲットにはバターやジャムを塗りたくっている・・・、おそろしか。
だから、当然、バターの一部がカフェオレの中で溶けており、そ、そんなこと、絶対間違えている、と激しい拒絶反応さえ覚え、それはフランスを軽蔑する行為じゃないのか、と憤慨さえした父ちゃんなのであった。
ところが、マダムもムッシュもみんなやっているのだから、驚くばかりであった。

退屈日記「フランス人のこの習慣だけは嫌だったし、軽蔑さえしていたぼくだったが」



月日が流れ、軽蔑さえしていたその仏人の習慣を自分が率先してやっているのだから、慣れとは恐ろしい。
昨日も、一昨日も、三四郎と朝の散歩に出かけた帰りに立ち寄ったカフェで、カフェオレとクロワッサンを頼んで、浸して頬張ばった父ちゃん、えへへ、・・・。
「せっかくパリパリしていたクロワッサンの良さが台無しになるじゃないですか」
という読者のみなさんからのつっこみは想定内で、もちろん、ぼくも当初はそう思って、信じられなかったのだけれど、これを実際やってみると、クロワッサンが洋風「お茶漬け」的な世界観に変貌することにも、気が付いてしまった。ほんまかいな・・・。
クロワッサンよりも、バゲットにバターをぬったタルティーヌと呼ばれるやつの方が仏版お茶漬け感は強いのだけど、クロワッサンの柔らかい部分に浸るクロワッサンはでかい麩が入った味噌汁的な醍醐味があって、あ、いや、本当です、美味しいんですよ。
軽蔑されることは当然、承知の介なのだが、だって、癖になるし、あ、もちろん、最初は抵抗感があるから、美味しいとは思わないのだけど、クロワッサンも後半になるとちょっとバター感に口が疲れ、飽きてくるので、カフェオレで中和し、口の中でお麩を転がすように味わうと、いとおかし、になるのは真実なのであった。
ぼくは個人的に、皮パリのバゲットのパリパリ感が残っているうちに、ちょこっと先端をカフェオレにつけて、バゲットのパリパリ&お麩的なゆるゆるの、ダブルのおいしさを味わうやり方を、初心者の皆さんにはおすすめしている。

退屈日記「フランス人のこの習慣だけは嫌だったし、軽蔑さえしていたぼくだったが」



ついでに、カフェオレじゃなくて、エスプレッソにちょこっとクロワッサンをつけて食べるのも美味しい。
この辺はどんどん奥が深くなっていくのだけど、フランス人がどう思っているのか、「行儀が悪い」と思っているのか、文化だと自慢しているのか、・・・聞いたことはない。
とまれ、自由を重んじる国なので、ほっといてくれるから、ぜひ、いつかパリを旅されたときにはやってみてもらいたい。
日本でも、普及させてもいいのだけど、「これは、ほら、あの辻仁成がよくパリでやっている食べ方ね」とか、そういう風な広め方はご遠慮いただきたい・・・。くれぐれも。
ぼくは基本的に日本人の皆さんにはそういう食べ方はやめてもらいたい派である。

退屈日記「フランス人のこの習慣だけは嫌だったし、軽蔑さえしていたぼくだったが」



ちなみに、ぼくの田舎は九州だけど、幼かった頃、親戚の家に行くと、小さな子供たちは「猫まんま」なるものを食べていた。
親は、そんなお行儀の悪いものを食べちゃいけません、と怒っていたけど、親戚の秀君がこの猫まんまづくりの天才であった。
秀君のやり方は、ご飯を3分の2程度、お茶碗に詰めてから、そこに崩した豆腐をびっちりと敷き詰め、時々、鰹節とかふりかけ、醤油をサっとまぶし掛けしたら、取り皿でお茶碗に蓋をし、サッと裏返して、お茶碗を外すと、取り皿の中にもっこり半円の猫まんまが出来る、という仕組みであった。
ゴマ塩があう・・・。うううう。
これをスプーンで掬って食べるわけだけど、底に醤油がけ豆腐が隠されていて、口に入った時に、それはまるでキャラメルソース入りプリンを食べるような二重のハーモニーを伴い、親戚の子供たちのあいだでは大変人気だったのだけど、あれは、いま思うと、カフェオレにクロワッサンを浸して食べる文化に通底するものがあった。
おフランスで父ちゃんがクロワッサンの先端をカフェオレに浸す瞬間、その脳裏にいまだ明滅する日本の原風景として秀君の猫まんまは、残り続けているのであーる。
今日はこれから、三四郎と散歩に出るので、バゲットをカフェオレに浸したものを写真でおさめ、今から一時間後くらいに、アップさせてもらいたい。
現時点では、カフェオレに浸す写真しかないので、バターがカフェオレ内で溶け出す写真は後ほど・・・。
なんのこっちゃ。

つづく。

というわけで、父ちゃんからのお知らせが二つあります。

まずは、NHK・BSのドキュメンタリー、
『ボンジュール!辻仁成の冬のパリごはん』の放送日が迫っています。
【BSP】2月23日(水・祝)21時51分~22時50分

オンデマンドが何かいまだにぼくにはわかりませんが、
【オンデマンド】
2月24日(木)18時〜3月12日(土)23時59分(NODの“まるごと見放題パック”に加入されている利用者の方)
2月24日(木)18時〜3月9日(水)23時59分(加入されていない方)
だそうです。BSが自宅でご覧いただけない皆さんは、単品利用の場合:1本220円で視聴可能だと制作会社のLさんが言うております。
https://www.nhk-ondemand.jp/#/0/

そして、『ボンジュール!辻仁成の秋のパリごはん』の再放送がそれより前に。
【BSP】2月19日(土)8時45分〜9時44分
https://www.nhk.jp/p/ts/6XW8NZ748V/schedule/

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