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自分流塾「人はなぜ焦るのか。焦燥感に負けない人生」 Posted on 2022/02/16 辻 仁成 作家 パリ
「人生に焦り」を感じる人は多い。
理想通りに仕事が出来なかったり、イメージ通りに幸福を感じられない時、人は焦りを感じるものである。
見回すと、自分よりもうんと成功している人がいて、さらに焦ってしまったり、自分よりもずっと幸せそうな人を目撃し、自分がみじめになってしまったり、「焦った」と呟くことも多くなるのが人生というものだったりする。
改善する方法はないのだろうか?
ぼくが一番焦りを感じたのは、シングルファザーになり、子供が育ち、難しい時期になって、振り回されて仕事が思うように出来なくなり、そのせいで疎外感も増え、自分はみんなと上手くやることが出来ないと思い始めた50代半ばであった。
20代の一時期、40代の一時期にも強い焦燥感に苛まれたことがあったので、この「人生の焦り」は周期的にやってくるものかもしれない。
周りを見回すと、ぼくとは異なり、すいすい上手に生きている人がいて、何が自分と違うのだろう、と不思議に思ったことがあった。
昔、ぼくがロック歌手だけを生業にしていた頃、「歌おうとすると声が出ず、ものすごく焦って跳ね起きるという夢」をよく見た。
実際に、デビュー直後のことだが、TBSホールで行われた公開ラジオ放送の途中で声が一切出なくなったことがあった。
その時のトラウマもあったかもしれない。
これを克服するのは、練習しかなかった。つまり過剰な自信ばかりが先だち、その自信を裏付ける訓練をぼくは怠っていたのだ。
そこでぼくはジムに通い、腹筋を鍛えた。ランニングを欠かさなくなった。
発声練習などしたこともなかったが、やるようになったら、自信は経験で裏付けされていき、声が出るようになって、焦ることもなくなった。
40代の時、芥川賞を受賞した後、何を書いたらいいのかちょっと分からなくなった時期があった。
渡仏した直後のことで、環境も変わり、日本から離れたことで現実を教えてくれる、または、アドバイスをくれる編集者さんと離れたことも大きかった。
この時はぼくと同世代の作家たちが次々と素晴らしい仕事をする知らせを受け、ぼくは焦るようになっていた。
これは単純に、ぼくが周囲と自分とを比較したことから生まれた焦燥感であった。
まわりと自分を比較するのは実は最も愚かなことで、自分が自分の夢を実現しょうと前向きになっている時は周囲など気にもしなかったのに、何か翳りを感じるととかく他人が目に付くようになり、ナニナニさんは成功しているのに自分は、とか、ナニナニさんは幸せになったのに自分だけ不幸だ、などと悪い方に考えるようになる。
そういう時、まず、やらなければならないことは、「他人は他人、自分は自分」と世界と自分を分離し、絶対に比較しない生き方の実践である。
そんなこと言っても周囲が気になる、という人は多いだろう。
ぼくは自分に言い聞かせた。この世は幻で、そんなやつらはいない。
ぼくはいつか死ぬのに、ずっと誰かと比較してもしょうがない。
特に運転をしている時に気が付く、車は追い抜かれたり、追い抜いたりを繰り返している。
ほら、人生なんてこんなものだ。
ぼくをびゅんびゅん追い抜いていく連中はスピード違反で罰金を取られるかもしれないし、事故に遭遇するかもしれない。
昔、高速でぼくの車の後ろにつき、クラクションをならして、いわゆる煽り運転をしたスポーツカーが、数十キロ先のカーブを曲がり切れず事故を起こしていた。
幸いにも運転手は車から出て、誰かに助けられていたけれど、これは教訓であった。
短期的な視野で世界を見ず、一生を尺度にして、今を生きることが大事だ、とぼくはそのことから、学ぶことになった。
還暦を超えて、ぼくは焦らなくなった。
自分を信じて、毎日、訓練を怠らず、子犬に癒されながら、他者と比較せず、自分の仕事に没頭するとき、この焦燥感は消える。
焦って失敗を繰り返した過去の経験も役立つし、諦める力も大事になる。
無理なものはスパっと諦め、コツコツと自分の道を究めていけばいいのだ。
その日々が不安や焦りを払拭してくれるからである。
まずは、焦らないために、自分の足腰を鍛える着実な訓練は必要となる。
いい文章を書きたければ、まず、人よりも書くことだし、いい仕事をしたければ、黙々と訓練をするしかない。
ミスらないために、準備やメモや確認も必要になる。
ぼくは20代の頃、無謀な生き方をしていたのでよく声が出なくなったが、訓練を40年続けて今は声が太くなり、相当な自信がついた。
ぼくは人生に焦っているけれど、これは年齢的にはしょうがないことで、健康に気を付け、時には覚悟も必要となるだろう。
そういう時は、常に、この一瞬一瞬を大切に生きよう、と自分に言い聞かせている。
とくに感染症の時代、先行きの不安に殺されそうになることもあるが、今という瞬間を大事に生きることの繰り返しで掴むことが出来る着実な未来もある。
まずは、今日を一生懸命に生きる、これが焦燥感をぬぐい去る一番の方法だと記したい。
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posted by 辻 仁成
辻 仁成
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作家。パリ在住。1989年に「ピアニシモ」ですばる文学賞を受賞、1997年には「海峡の光」で芥川賞を受賞。1999年に「白仏」でフランスの代表的な文学賞「フェミナ賞・外国小説賞」を日本人として唯一受賞。ミュージシャン、映画監督、演出家など文学以外の分野にも幅広く活動。Design Stories主宰。