JINSEI STORIES
滞仏日記「久しぶりに和服を着た、父ちゃんの着物コーデ、ご覧あれ」 Posted on 2022/02/14 辻 仁成 作家 パリ
某月某日、今日は地球カレッジの「文章教室」、三四郎もどさくさに紛れて文壇デビューを果たしおった。笑。
頭と終わりにご挨拶、ちなみに終わりは呼んでもいないのにトコトコやってきて、実に調子のよい奴である。やるな、おぬし・・・。
ところで、今日は年始ということもあり、着物を着て登場となった父ちゃん。パリに渡った頃に、日本橋の呉服屋で作ったもので、江戸小紋が地味ながら、ぼくのお気に入りの一着なのである。
この「江戸小紋を作る職人さんがもういなくなりそうでして」と着物屋のご主人が言っていたけど、その後、どうなったのであろう。
もともと着物でいるのが好きだったが、フランスの家には冷房機がないので、汗をかいても、洗濯ができず、毎日着るのはある時、断念した。
ここぞという時にしか着ることができなくなり、残念でならない。
なので、久しぶりに着物でご挨拶が出来て、今日はとってもハッピーであった。
父ちゃんのコーデなんか、見たくはないと思いますが、ご覧あれ!
実は、ここで、大変大きなミスをしてしまったのだ。
思い違いをしていたのである。
合わせを逆にして着てしまった。
正しい着方は右前であり、左前だと違和感が出る。(この写真は、正しい着方になる。えへへ。しかし、地球カレッジでは左前で出てしまった。申し訳ないでござる)
じゃあ、左前はなぜいけないのだろう、気になったので、調べてみた。
諸説あるようだけど、歴史的には奈良時代に衣服令という法令が出され、その時から庶民は右前に着なさい、となったのだとか・・・。
つまり、左前は高貴な人しか許されなかった、ということ。
中国ではもともと、左前の方が右の人よりくらいが高かった。
右前の方が動作がしやすく、労働がしやすく、高貴な人は労働をする必要がなかったため、左前ですんだ、という説もあり、ぼくは高貴でもないくせに、反対を着たのであーる。笑。確かに、左前になると、動きにくいかもしれない。
いろいろと調べてみると、古墳時代には右前と左前が混在していたりする。
実は、ぼくが買った江戸小紋の着物、見た目はご覧の通り地味なのだけど、中の長襦袢はグレーの地に鳥獣戯画が描かれており、お見せできないところに「お洒落」が隠されており、この控え目な派手さこそ、まさに、ぼくの生き方に則しているので、嬉しくなる。えへへ。
次は、羽織が欲しい・・・。
着物のおかげで気合いが入り、地球カレッジにも熱がこもり、90分の講座が130分以上に大延長、とにかく、喋り倒したのであった。
一応、課題があって、300作品弱の応募があったが、もちろん、応募されなかった人の方が倍くらい多かった。もったいない・・・。
しかし、授業が終わった後、今回は書かなかった皆さんが「書いてみたくなった」とおっしゃってくれたので、ぼくはたいへん満足であった。
皆さんが書いたものを、すくなくともぼくはちゃんと読むわけだから、そこに向かって、どんどん、どんどん、書いて貰いたい。
書くことは人生を豊かにさせてくれるのだから・・・。
参加してくださった方々にモチベーションが生まれること、日本語で文章を書きたいと思ってもらえることは、作家冥利に尽きる、素晴らしいことだと思った。
来月の文章教室(3月13日)はさらに深く広く楽しくやらせて頂きたい。
もちろん、三四郎も聴講生として参加してくれることは間違いない。
わんわん!
なんだ、その目は・・・
ところで、授業が終わった後、ぼくは三四郎を車に載せて、昼食もとらずに、そのまま田舎の家を目指したのだけど、さきほど、海沿いの家に到着し、今、これを書いている。笑。
今日から暫く、三田文学の新連載「動かぬ時の扉」の執筆に入り、ある程度の目途がついたら、またパリに戻る予定だ。例のごとく、息子の食料は冷蔵庫に保存済み、・・・。
ぼくはどんな時代であろうと、行動していないと落ち着かない性格のようである。
流行に左右されない、でも、自分が本当に書きたいものを、地味なものを残してやる。あはは。
これは、ぼくの意地なのだ。場所を提供してくださった三田文学さんに、感謝。
三田文学と言えば、ぼくの初期の作品「オープンハウス」を発表させて頂いた(慶応大学の)文芸誌で、当時の編集長(小説家)、坂上弘さんには、文体や構造について、いろいろとご指導を頂いた。
経験者から学ぶことは大事である。
その後、新潮に書く場所を移し「海峡の光」を発表する。
その時の編集長、坂本忠雄さんの指導を受けた。(三島由紀夫さんなどを担当)
厳しいが強い意志のある編集者さんであった。本当にお世話になったのである。
「坂本さんは先月、お亡くなりになったそうです」、と新潮の桜井さんから連絡があった。坂上さんも去年亡くなられている。
お二人のご冥福をお祈りいたします。
時代が変わる。まさに、動かぬ時の扉、である。
ということで、ぼくは暫く、念願の「子犬との田舎生活」を開始する。
暖炉に火をくべて、脇の机で日本語を叩き、そしてぼくの足元には子犬、三四郎が寝そべり、・・・
ん?
元気にポッポ(うんち)をするのであろう。
実は、もう、した!!!
ぼくはここでも、三四郎のうんちの片付けに追われるのであーる。
しかし、仕事が終わったら、一緒に浜辺を歩き、海を見せてやりたい、と思う。
この子がいれば寂しくない。
この子を育てることがぼくのささやかな足跡になればいい、と思っている。
さて、明日はどんな愉快な出来事がぼくらを待ち受けているのであろう。
つづく。