JINSEI STORIES
滞仏日記「息子が大学の下見に行き、興奮して帰ってきた。おおお、いよいよ!」 Posted on 2022/02/13 辻 仁成 作家 パリ
某月某日、今日はちょっと息子君が饒舌であった。
彼が朝早く、家を出たのは、扉の閉まる音で分かった。
三四郎がその音で目覚めて、というのも彼の部屋は玄関だから、ドアの閉まる音で飛び起きる。で、当然、父ちゃんを起こしに来たのであーる。
いったいこんなに朝早くどこに出かけたというのだろう、と思っていたら、エッフェル塔周辺を三四郎と散歩していると、不意にどこかから現れた。
「あれ、何処いっとったと?」
「大学に行ってきた」
「見学?」
「見学って何?」
「ビジットだよ」
「ああ、そうそう。今日は〇〇大学を見せてもらえる日で、それが、すごくよかった」
もちろん、合格したわけではないので、喜べる話ではない。
ただ、ちょっとびっくりしたのは、18年間、この子と一緒に生きてきて、こんなに自発的に喜んでいる姿を見るのは、ほぼ、初めてだったからだ。
そう、興奮している・・・。
※ 朝は、カフェオレとパンオーショコラ。この食べ方はパリジャン・パリジェンヌ風なのだ・・・。
「あのね、新校舎を見学させてもらったんだけど、すごく広くて、キレイで、素晴らしかった。あそこで勉強出来たらいいなって思った」
「へー、よかったな」
父ちゃん、めっちゃ嬉しいのだけど、ここはぐっとこらえた。
つまり、まだ、合格したわけじゃないし、受験問題で一度親子喧嘩をしたこともあったので、介入しにくい。
自力でやっているので、そのまま応援をしておくのが一番であろう。
でも、気になる。息子の進路のことだから、当然である。
三四郎の世話ばかりやっているように見えるかもしれないが、心の中では息子が無事、大学受験を突破できることを毎日、毎日、祈っているのだ。
親だもの・・・。
「そこは、どのくらいの可能性があるの?」
「結構、あるよ。先生はいけるかもね、と言ってる」
へー、と嬉しくなった父ちゃん。で、どのくらい?
「ええと、20%くらい」
「は?」
20%か、そりゃあ、どうなんだろうね・・・。
「そこより、可能性の低い大学もあるの?」
「あるよ。▽△大学は7%くらい。でも、先生はチャンスがあると言ってた」
「マジか」
「マジだよ」
「で、何校くらい受験するの?」
「10校受けるよ。どこかには必ず入る」
「なんでわかるの?」
「フランスは、選んだ学校のどこかには入れる仕組みなんだよ。ぼくが決めた10校のうち、3校はプランBと呼ばれている、安全に入れる大学で、そこだったら、必ず入れるだろうって先生が言ってる」
「・・・あてになるのかな」
「パパ、日本とはシステムが違うんだ。ぼくの成績だったら、この中の、どこかには入れる、と言われている」
「ってか、必ず入れる大学って、どことどこなの?」
「そこはマクロン大統領も一時期通っていた大学だけど、でも、みんな入ることが出来る」
息子は笑った。マクロン大統領はいろいろな大学で勉強してきたので、それがどこの大学か、父ちゃんには見当がつかない・・・。
「で、君はどこに行きたいのさ?」
足元の三四郎がぼくらの話しを聞いて、芝生の上で聞き耳を立てている。
息子がしゃがんで、三四郎の頭を撫でた。
「今日、見学に行った大学がいいな」
「20%のか?」
息子が笑った。
「パパ、パーセントは関係ないよ。大事なことはぼくのモチベーションなんだ。学校の成績が2割くらい影響をするけど、残りは動機と生活態度とぼくが何を持っているか、なんだよ」
「そんな受験の仕方なの、フランス?」
「うん。で、ぼくにはモチベーションがあるから、先生たちは可能性があるって」
「20%で?」
「やってみなければわからない、という意味での20%だよ。たとえば、成績のすごくいい子がいるとする。でも、大学がその子に魅力を感じるかどうか、それはその子のモチベーションで決定する」
「すごい自信だな。大学に興味を持たせる何かが自分の中にあると信じているのか?」
「信じなきゃ、何処にも行けないよ。コロナ禍の今は・・・」
ぼくは思わず、ふきだしてしまった。
「7%の大学にも入ることが出来ると思ってるし、先生たちも、可能性は大いにあると言ってる。あとはぼくがどれだけのモチベーションを大学に提示できるか」
なんだか、分からないけど、今まで見たこともないくらいに、輝いた顔をしていた。
晴れ渡る冬空、・・・冷たく刺すような冬の光りがまぶしいからかもしれない。午前中、ぼくらは広場の真ん中で向き合っていた。
「もう、やるしかないよ」
「何年、大学生活が続くんだ?」
「5年で終えたいと思っているけど、最大で8年かな」
おっと、その時、父ちゃんいくつだろう?
思わず、大笑いをしたら、三四郎がぼくにとびかかってきた。ぼくは三四郎を受け止め抱きかかえた。つまり、その時、三四郎、お前はいったい何歳だ???
「ま、いいよ。行きたいんだろ、大学に」
「行きたい。あと少しだから、頑張るよ。今日、下見に行った大学に行きたい。そこで、勉強をして、自分の将来をつかんでみたい」
「おお、なんだか、すげーな」
息子が素直に、頷いた。
子供はこうやって、成長していくものなのだ。
20%にかけてみよう。
とにかく、希望の大学に入り、ぼくが生きているうちに卒業してくれたなら、それでいい。
それはまだまだ長い道のりなのだけど・・・。
つまり、ぼくはもっともっと頑張らないとならない、ということである。
つづく。