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第六感日記「私は人間ではありませんよ、とぼくの前に座る老女が言った」 Posted on 2022/02/10 辻 仁成 作家 パリ

日々、すれ違っている人たちの中でいったい何人くらいが、実際に生きている人間なんだろう、と思うことがある。
幽霊というのはおどろおどろしいイメージばかりがあるが、そうとも限らない。
というのは、ぼくが幽霊と人間の区別がつかないでいるだけじゃないか、と思うこともあって、目を凝らしていると、確かに、幾人かの動きがおかしい。
明らかに人間じゃないと思う人はよく、高速道路の中にいる。
このタイプはわかりやすい霊で、そんなところに普通人間がいるはずがないのに、いるから、もしかしたら霊かな、と思うのだけど、運転中はだいたい一人なので、「あの人、見えましたか?」とは誰にも聞けず、いつも確認できずじまいで有耶無耶になっている。
この間も、若い女の子がA13号高速の中央分離帯に座って空を見上げていた。
でも、もしかしたら、本物の少女なのかもしれない。
一瞬のことで、確認できなかった。



コロナ禍になる前のことだが、公園のベンチに座って携帯を見ていたら、ぼくの横に誰かが座った。
感じでは中年のよくいるタイプのフランス人で、猫背で、新聞を脇に抱えていて、ちょっとダサい服装で、頭髪は薄く、鼻が大きい。その人はまっすぐ遠くを見ていた。
たぶん、幽霊だな、と思ったのは、その人はぼくに一方的に娘さんの話をしていたのだ。
でも、ぼくの方を一度も見ることがなかったし、独り言のようであった。
で、その時、不意に携帯に誰かからの着信が入ったので、一瞬そのメッセージを読んでいたら、次に顔を上げた時にはもういなかった。
わずかに30秒くらいのことだったけど、立ち上がって去っただけかもしれないし、消えてしまったのかもしれない。これも確認が出来なかった。
明らかに幽霊という、映画とかに出てくるようなおどろおどろしいのとは出会ったことがないけど、日常に紛れ込んでいる幽霊はそこら中にいるものと確信している。
そうやって、世の中を眺めると、違った意識でまた世界を認めることが出来る。

第六感日記「私は人間ではありませんよ、とぼくの前に座る老女が言った」



というのは、(ぼくの個人的見解だけれど)、現世界は霊界と重なっているので、同じ次元に霊界もまた当然のように存在しているのである。
よほどの力がないと見分けられない。
前に、日本でのことだが、知り合い2人とばったり街角で出くわして、ぼくらはほんの少し昔話をしたことがあった。
それで、「飲みに行くけど、一緒に行こう」と誘われたのだ。
ぼくは気乗りしなかったので、断った。
寂しそうな顔をした二人と別れたあと、あれ、と思った。あいつら、死んだんじゃなかったっけ、ずいぶんと前に・・・。



そのまま一緒に行っていたら、どうなったのだろう、と考えるとちょっと怖くなる。
朝のラッシュ時間、ぼくは三四郎を連れて散歩をしているが、会社へ向かう大勢の人の流れの中にも、もしかしたら、昔と同じように通勤をしているだけの幽霊がいるのかもしれない。
幽霊というけれど、残った思念のようなものが、失った日常を繰り返している、という概念である。
「私は人間ではありませんよ」
とぼくの前の席に座る老女に言われたこともあった。
「そうだと思いました」
ぼくは、そうだと思ってはいなかったけれど、だいたい、そう告げることにしている。
理由は二つあって、もしかしたら幽霊かもしれないが、人間かもしれないからだ。
でも、その差はなんだ? 
仮にその老女が幽霊だとしても、ぼくには関係がない。
老女はまもなく、普通に、席を立って出ていった。店員は何も言わなかった。
そこに置いてあったカップは片付けられたが、前のお客が置いといたものを店員が片付けただけかもしれない。
老女がぼくに伝えたかったことは、私はここにいるよ、ということである。
彼女がもし幽霊ならば、その店のその席によく座っていたに違いない。
ぼくはそこの常連だが、見かけたことのある人ではなかったので、この町に引っ越してくる前に他界された人かもしれない。
4階の窓から、地上階の歩道を行きかう人を見下ろしながら、今日の朝、ぼくはそんなことを考えた。
ぼくのこういう思考は、ぼくが生きている証拠なのである。たぶん・・・。

つづく。

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