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退屈日記「オミクロン感染拡大の世界で、どうやって自分を保つのか」 Posted on 2022/02/04 辻 仁成 作家 パリ

今これだけ感染が拡大してくると、目先のことしか見れなくなっている。
メディアで「コロナは年内に収束する可能性」がとりだたされてきたけれど、そんなこと言っても、感染者は増えていて、いつ自分が感染するか分からなくなってきたし、つい、目先のことに振り回されているのが現状かもしれない。
ぼくは2020年のロックダウン下に置かれたパリ暮らしの時は、「未来を見るより日々の世界を丁寧に生きること」を提唱し、実践してきた。
しかし、2022年の今は、再び生活感、人生観が変化してきたので、目先にとらわれる生き方よりも、ちょっと先のこと(将来ではなく、直近の未来のこと)を計画し、それを生きる糧にしはじめている。
具体的には3か月後とか半年後の世界に向けて生きるイメージを研ぎすましている最中だ。



常にこの世は、なるようにしかならない。
どんなに素晴らしい計画を描いても、特に今の時代はいつ感染してもおかしくないので、そこにばかり神経質になり過ぎると計画なんか持つことが出来ないし、そもそもその通りにはならない。
何も計画しなければ日々はつまらなくなるし、だらしなくなってしまう。
相変わらず、基本は「今日を精一杯生きる」、日々を丁寧に生きることに尽きるのだけど、ロックダウン戦時下のような強制下でもないので、何か計画を今こそ持たないと自分の人生の愉しみが限定されてしまう。
フレキシブルに、ちょっと先に自分はこうありたいというささやかな目標をもって生きることはやっぱり大切である。
ちょっとだけシフトしてみたらいいのだ。
どうなるか分からない世の中なので、いつまでも将来を予測不可能としていたら何にもできないではないか。
次を見越した緩やかな未来を計画することで今を乗り切っていく。



たとえばぼくであったら夏くらいには感染が落ち着いているはずだから(個人的見解です)、なんとなくライブの計画を仲間たちとしはじめている・・・、とか。
或いは、還暦過ぎたからこそ、英語や哲学をもう一度学びなおしてみようと計画してみたり・・・。
或いは来年二月に今の車のリースが終わるので、その間にいくつか買いたい車が出てきたから、市内ショールームを回って、買う準備に入る、とか。
実は今日、これから三四郎ととあるショールームに車を見に行くのだ。
新車を買えるのは来年の話だけれど、見るのはタダなので専門家の話を訊いて、イメージだけでも膨らませる・・・とか。
やっぱり、今買うならハイブリッドかな、とか、ハイブリッドの方が税金安いしな、とか、現実的だけど、そういうことを調べるのも目先を変える一つの道具になる。
笑うなかれ、こういうことの積み重ねが、自分をちょっと先へと走らせる原動力になる。
ぼくが三四郎を育てたのも、閉塞的な世界だからこそ、子犬と生きたい、と思ったこと。
小さな誤算は子犬育ては想像の百倍大変だったことだ、笑。
でも、だんだん、それが楽しくなってきた。
負け惜しみではない。大変より、癒されることの方が圧倒的に勝っているのだから。
いつの日か、フランスか欧州のどこか超田舎に土地付きの家を買って、畑を耕し生きてもいいかな、とか思い出しているのだから、人間っていうのは不思議な生き物である。



日本は感染者数が10万人を超えたようだが、50万人を超えていたフランスはじわじわピークアウトしつつあり、平均的新規感染者数が30万以下にまで下がった。
自分をしっかり守ってきたので、ぼくはこのような世界でもまだ一度も感染していない。
(これはすごいことだと思います。と、自分をほめてやるのもいい手である)
つまり、最も厳しい時は「日々を丁寧に生きる」作戦。
収束が見えてきたのに厳しい状況の今みたいな時期には、目先にとらわれずちょっと先にささやかな娯楽的目標をおいて、そこへ向かうという作戦。
そして、心のどこかにアフターコロナを信じて大きな夢をなんとなく漠然と持っておけばいいのではないか・・・。
何も難しいことじゃない。
なぜなら、思うことは無料だし、ダメなら、なかったことにすればいいんだからね。笑。
ようは、心の持ちようで、今はちょっと厳しいけど、もうすぐ終わるから罹らないようにぼくはぼくなりに頑張りながら、小さな目標を寄せ集めて、なんとなく大きな人生を空想している毎日なのである。
だって、なるようにしかならないんだから・・・。
父ちゃんは、がんばる。

つづく。

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