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滞仏日記「お疲れ気味のパパさん、ついにぶつぶつ独り言を言い出した」 Posted on 2022/02/02 辻 仁成 作家 パリ

某月某日、午後、三四郎がしたポッポ(カカと書いてきましたが、うんちのこと、赤ちゃん言葉だとポッポなので、ここからポッポにしましょう)とピッピ(おしっこ)の片づけをしていたら、ドアベルが鳴った。
ぼくはジャージ姿だったが、仕方ない。
急いでドアをあけたら、下の階のマダムだった。(丸眼鏡ムッシュの奥さん、フィリピンちゃんのお母さん、彼女も弁護士さんなのだ。知的で聡明で優しいマダムである)
「どうされました?」
「どうやら、お宅のキッチンで水漏れしているみたいですよ。うちのキッチンの天井から、ポタっ、ポタって」
ぼくは卒倒しそうになった。

滞仏日記「お疲れ気味のパパさん、ついにぶつぶつ独り言を言い出した」

滞仏日記「お疲れ気味のパパさん、ついにぶつぶつ独り言を言い出した」

壁に手をつき、青ざめた顔で、マダムの説明を聞いたところ、位置的には、どうやらキッチンのシンクの真下で何かが起こっているようだ。
(時系列でおさらいしておくと、2年前に上の階の風呂場が配管ミスで水漏れ、息子の部屋の天井と玄関の一部が軽く崩壊、翌年、食堂の上の階でトイレの水道管が破裂し、また、同時期、キッチンとトイレと風呂場でも水漏れ、2年前の水漏れはつい先月中旬まで100%の湿度により、工事が出来ず、現在にいたる・・・)
マダムを家に招き入れ、崩落した天井や壁を見せたら、
「うわー--ありえない~、これ大惨事じゃないですか・・・酷すぎる。なんで二年も放置されてるの?」
「湿度が引かないんですよ。階段を見てください。ひび割れがすごいでしょ? 相当な水漏れなんです。工事担当者のムッシュ・マリーが水道管を付け間違えたようで」
「あ、彼はうちのバロン(給水タンク)も付け間違えて大惨事やらかしているのよ」
ぼくは眩暈が・・・。
マダムはオラジオ(キャバリアでした)を連れていた。犬の気配? 匂いがしたからか、三四郎が出てきた。二匹は向き合った。
また噛みつこうとすると行けないので、様子を見ていたが、何度か会っているからか、そこが自分の家だから安心なのか、今日は噛みつかない。ふー。
ともかく、マダムにうちの玄関が犬屋敷になっているところを見られてしまった。

滞仏日記「お疲れ気味のパパさん、ついにぶつぶつ独り言を言い出した」

マダムが帰った後、キッチンに行き、シンクの下を調べた。
確かに濡れている。でも、ちょっとだけだ。
濡れるというより、染みる程度・・・。
うちのシンクからの漏れじゃない。どうやら、壁の向こう側で何かが起きているようだ。この建物、どうなってるの?
(この国では壁の中の問題は大家の責任になる。というか、ここの建物は築120年以上で、外見こそ白亜の御殿のような美しい装飾が施されているけれど、中に、お金をかけていないのは明らか。メッキが剥がれた・・・)
ともかく、ぼくでは何もできない。
管理会社に連絡をし、うちのシンク周辺と下のキッチンの天井を同時に調査してもらう必要がある。壁の中の水道管に問題があるのかもしれない。
「この家は呪われてるな」
ぼくは三四郎に告げた。すると三四郎が、
「ムッシュ、引っ越せばいいのに」
と言った、気がした。
もちろん、気のせいだけど、その眼付きというか、なんか語りたそうな目をするのだ、犬という動物は・・・。
だから、たまに、三四郎が話せるような気がしてならない。
「引っ越したいけど、ジュートがこの春に受験なんだよ。環境は変えられない。あいつが大学に受かったら、引っ越す。息子には、大学の寮に入ってもらう。パリの家は寝泊りできるだけの小さなところを借りて、仕事がある時だけ来る感じかな。あとは田舎で、お前と2人暮らしだ。どうだい?」
ぼくが笑うと、三四郎が、いいねぇ、と同意してくれた。あはは・・・。いや、マジ、ぼくにはそう聞こえたんです。本当です!

滞仏日記「お疲れ気味のパパさん、ついにぶつぶつ独り言を言い出した」

三四郎と散歩に出た。
気分を変えないとやってられないからである。
美術館裏の公園のベンチに座って、機動隊とデモ隊の激しい小競り合いを眺めていた。
なんのデモだろう・・・。
「コロナ禍なのに、やれやれ」と三四郎が言った気がした。
もちろん、そんなこと言うわけがない。
でも、この子のニヒルな目線は多くのことを語っているような気がする。
気が付くと、ぼくは三四郎と話をしている自分に気が付いてしまった。
いつからかわからないけれど、昨日も三四郎を相手に話し込んでいた。
これは、やばい。
独り言をぶつぶつと言いながら歩いている人をたまに見かけるけれど、・・・。
「あのな、三四郎。何をこんなに頑張らないとならないのか、分からなくなっているんだよ。ぼくは今、そんなところにいる。前みたいに、凄い小説を書いて世間をあっと言わせてやりたいとか、みんなを感動させるアルバムや映画を作りたいとか、そういう野心っていうか創作欲とか、そもそも無尽蔵にあったと思い込んでいた自信が消えちゃったんだ」
「パパさん、ちょっと疲れてるんじゃない? あまり、根を詰めない方がいいよ」
「なんで、パリで生きてるのか、どこへ行こうとしているのか、なぜ、自分は生きているのか、どうしたいのか、とにかく、全部わからないんだよ、まいったな」
「やれやれ」
「やれやれ」

滞仏日記「お疲れ気味のパパさん、ついにぶつぶつ独り言を言い出した」

でも、なんでか、こうやって、ぼくの話を聞いてくれる人間がそばにいるというのは、凄く心が落ち着くのであーる。
思えば渡仏して20年、フランス人の仲間は増えたが、仏語での会話だから文学論や音楽論を戦わせることもできない、そういうのがある種のストレスをぼくに与えているのかもしれない。
息子もぼくの話は聞いてくれないしね。。。あはは。
でも、三四郎は聞き上手というのか、ニヒルな目でぼくをちらちらッと見ながら、頷いてくれている・・・。
本当なんです。本当です!!!
話を理解できなくても、聞いてくれているような気がする、だけで孤独は癒される。
有難い存在なのである。
コロナ禍なので、人間はみんな活動範囲が狭まっている。
犬を飼う人が増えているというのも頷ける話なのだ。
三四郎には感謝だ。わんわん!

つづく。

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