JINSEI STORIES
退屈日記「新しい朝、起きたら、一人だった。それでも、笑顔で青空を見上げた」 Posted on 2022/01/01 辻 仁成 作家 パリ
某月某日、息子くんから、2022年になったとたんに、おめでとう、のメールが飛び込んできた。
多分、一緒にいる友人たちがみんな家族にメールをしたので、自分も真似をしたのに過ぎないのであろう。
それでも、新年を迎えて最初のメールだったので、嬉しかった父ちゃん。
12時になったとたん、通りの方から騒ぎ声が聞こえてきた。
ベッドでごろごろとしていたのだけど、起き上がって、窓をあけてみた。迎えのアパルトマンのお兄さんと目が合った。
「ハッピーニューイヤー」
なぜか、みんな英語で叫んでいる。
時々、フランス語で、
「ボナネー」
と聞こえてくる。外国人が多いのだろうか・・・。
爆竹の音もして、遠くで花火があがった。
2022年が訪れたのである。
23時に、とりあえず、半分蕎麦を食べておいたので、キッチンに行き、残りの蕎麦を温めて、ずるずるとやり、それなりの年越しが出来た。
昼間に作った伊達巻は、キッチンで立たせていたので、これを冷蔵庫にしまって、寝かせた。ふふふ・・・。
不思議な夢を見た。
初夢と言っていいのか(初夢は二日の夜に見る夢という説もあり)、よくわからないけれど、久しぶりに深い眠りに落ちてしまい、だからか、かなり鮮明な夢であった。
家のドアに誰かがカギを外からさして、開けようとする人間がいる。
息子かと思ったのだけど、警戒をして、暗がりで息をひそめた父ちゃん、すると、見知らぬ年配の女性が入ってきた。
泥棒だな、と思ったところに、奥の廊下から父さんが起きてやってきたので、ぼくは、泥棒だよ、と合図を送った。
父さんがその年配の女性を羽交い絞めにして捕まえたので、ぼくも駆けつけ、一緒に手伝った。
「早く、警察を呼んだ方がいい」
と父さんが言うので、電話をかけ、事情を説明すると大勢の人がやってきて、いきなりそこで裁判が始まったのだ。
夢なので、はっきりとはしていないのだけど、その女性は生活が困窮していて美味しい匂いがしたので、おせちを分けてもらおうと思って忍び込んだ、と言い張った。
「少し分けてあげればいいじゃないか」
と父さんが言った。すると裁判官が、
「あなたは、10年以上前に死んでいるじゃないですか」
と小さな声で父に抗議した。
ぼくは驚き、父さんを振り返った。
ぼくをじっと見つめる父さんの目がそこにあった。何かを言いにやってきたんだな、と思ったところで目が覚めた。
ぼくは父親とは口をきかなかったし、いい息子でもなかった。
父親に遊んでもらった記憶もほぼない・・・。
怖い人だった。
でも、去年から、よく夢に登場してくるようになった。
ついに、正月の夢にまで出てきたのである。
彼が言いたいことは何だろう、と朝からずっと考えている。
父親のことを煙たがっていた自分だったが、父親の立場になり、息子が離れていくのを実感している、その心理の裏返しがこういう夢を見させているのかもしれないな、と分析した。
「父さん、ありがとう。ぼくも親の寂しさや努力をわかる年齢になったってことだね」
二度寝をしながら、ぼくは父さんに感謝をしていた。
次に目が覚めると、パリの正月は快晴であった。
窓を開けた。珍しく、飛行機雲がいくつも空を横断していた。
2020年以前は空に飛行機雲の模様が走っていたけれど、この2年間は旅客機の航跡がぐんと減っていたので、なんとなく、いい予感というのか、再びこの世界に活気が戻ればいいなァ、と思った。
息子は、昨夜仲間たちと楽しい夜を過ごせたようだ。
美味しいお寿司が出来、楽しいカウントダウンが出来たようで、夕飯は家で食べます、と連絡があったので、とりあえず、ほっとした。
だから、ぼくは昨日、中断したままになっていたおせちづくりを再開した。
寂しいということはない。順調に、みんな巣立っているのだ、と思った。
メールはゼロだったけれど、フランスのママ友など、2,3人から、ハッピーニューイヤーのメッセージが入っていた。(毎年、こんなものである)
よし、ぼくはこれから、おせちの盛り付けを始める。
静かな、独りぼっちの正月の朝が動き出した。
そして、皆さんが、よい一年を迎えられますように・・・。
つづく。