PANORAMA STORIES

雨上がりのエズ村と鐘の音 Posted on 2021/12/30 ルイヤール 聖子 ライター パリ

 
12月のエズ村に、恋をした。
エズ村というのは、南仏のコートダジュールに位置する、小さな小さな村。
地中海のほとりの、山の頂上に築かれた中世の面影を残す場所だ。
その昔、異教徒の侵略を防ぐためにこのような断崖絶壁が選ばれたという。
別名は、「鷹の巣村」。鷲が雛鳥を守るため、木の上につくる巣の形に似ていることからそう呼ばれていると聞いた。
 

雨上がりのエズ村と鐘の音



 
フランス人でさえ「夢のような場所」と褒め称えるエズ村。
多くの人が夏のバカンスシーズンに訪れる場所だが、私が足を踏み入れたのは年末に差し掛かる頃の12月だった。
パリより幾分か暖かいものの天気はずっと雨という、南仏らしからぬコンディションで始まった旅であった。
しかし、逆にそれがエズ村の魅力を底上げしたのである。


フランスの天気予報は当たらないことが多い。
雲の動きが早いのか、ころころと空の状態が変わる。
まるでパリジェンヌの心のように読めない。
旅の日程では毎日が雨だったので、気が変わってくれることを期待していたが、こういう時に限って予報通りに事が進む。
ただ、これほどまでに太陽の登場をまだかまだか、と心待ちに思ったことはなかった。
 



 
鷹の巣村の頂上付近には、「エズのノートルダム」と呼ばれるイタリア風の教会がある。
一時間おきに、鐘の数で時間を知らせてくれるのだが、私はこの瞬間が愛おしくてしょうがなかった。
都会に暮らしていると、感情にフタをしていた方が楽な時がある。
しかし、そのフタの下の感情は消えることなく、時々、悲鳴を上げる。
フランスで暮らしているのに、フランス人のようにラテンになれない自分にとっては、余計な鎧をいくつも着込む必要があった。


その教会のふもとに滞在していたため、村に到着してからというものずっと、鐘の音が聞こえていた。
ひとつ、またひとつ聞こえてくるたびに、私は覆っていた鎧を外した。
「自分を守るために、あえて“一人が好き”って言わなくていいんだよ」と、鐘が教えてくれているようだった。
 

雨上がりのエズ村と鐘の音

 
そして滞在2日目、鐘が3回鳴った午後に、ふいに光が差し込んだ。
紺碧の地中海と、太陽で照らされた断崖絶壁の光景が身震いするほど美しい。
私は家を飛び出し、鷹の巣村の頂上めがけて走り出した。


すれ違う人はいない。
クリスマスのホリデーシーズンとコロナ禍のため、村は静まり返り、ホテルもレストランも、絶景ポイントの植物園でさえ閉まっていた。
地元の人かと思われる、高齢の方が1人通り過ぎるだけだったが、かえってその風情がエズ村の荘厳さ、神秘さを醸し出しているようで、心地よかった。
 

雨上がりのエズ村と鐘の音

 
雨上がりの濡れた石畳。
幾世紀もの歴史を見守ってきたであろう旧市街。
何ものにも媚びずに、自由意思で伸び伸びと生きる樹木。


雨と、海と、太陽に当たって輝く植物の香りと、、、大地の恵みが詰まったエズは、「命の匂い」がした。
そして、パリでも東京でも感じることのできない、不思議な感覚に包まれた。
負の感情を一切排除した、というよりその類を絶対寄せ付けないであろう、サンクチュアリな場所。
南仏の柔らかい風も相まってか、心に湿気が戻り、憂いが吹き飛んでいく。
同時に、幼少期の 「誰かの助けを無条件に借りていた頃」に抱いた安心感をも感じたのだった。


石畳の、ひとつひとつの石を愛でるように歩いていたその時、また太陽は隠れてしまった。
そして今度は霧が登場した。辺りは一気に視界が悪くなったが、これはこれで素晴らしい。
フランスには霧がよく似合うのだ。
 

雨上がりのエズ村と鐘の音



 
後ろ髪を引かれる、とはまさにこのことだろう。
写真だけを思い出にするのが本当に悔しくて、目の前の景色をすべてラッピングして家に持ち帰りたいと思った。


夏の南仏が美しいことは重々承知している。
しかし、天気の移り変わりとともに味わうエズのなんと素晴らしいことか。
とりわけ、雨上がりの冬のエズは格別であった。
エズの村自体は小さく、一時間もしないうちに歩いて周れるのだが、これがもっと大きかったらここまで魅力的ではなかったかもしれない。


ただ一つ気になったのは、鷲の巣村後ろの山肌に、アパルトマンやホテルの建築ラッシュが進んでいたこと。
おそらく、コロナで都会に嫌気がさしたパリジャンの移住が増えているのであろう。
その気持ちは分かるし、自分も住みたいと思ったけれど、エズらしさが無くなってしまうのではないかと少し心がざわついた。


きっと、擬人化するなら、パリは一時の恋人で、エズは家族となるのだろう。
小手先の駆け引きからは無縁の、懐の深い村。
心が潤っていても、カサカサしていても、いつでも会いたいのが家族だ。

滞在5日目の朝、教会の鐘が10回鳴った。
エズを離れる日、私の鎧はなくなっていた。そして、久しぶりに恋をした。
愛しのエズ、どうかいつまでも、その鐘を鳴らしていてください。
 

雨上がりのエズ村と鐘の音

地球カレッジ
自分流×帝京大学



Posted by ルイヤール 聖子

ルイヤール 聖子

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2018年渡仏。パリのディープな情報を発信。
猫と香りとアルザスの白ワインが好き。