欧州最新情報

海外で頑張る日本企業「一風堂」 Posted on 2022/01/02 Design Stories  

今日は物凄く、元気がもらえる企業の話しで、読んだら、絶対、微笑みながら、なんか可能性って無限大なんだな、と思えるようなインタビューをお届けします。

厳しいコロナ禍の欧州で、必死で頑張ってる日本企業があります。不定期連載ですが、「海外で頑張る日本企業」の第二回目はとんこつラーメンを世界に発信し続ける「一風堂」に焦点をあてて、おおくりします。
現在、一風堂は全世界に259店舗展開し、日々8万食ほどを提供しています。パリの一風堂にも毎日1000名以上のお客さんが来ているというのですから、嬉しいじゃないですか? 一風堂の欧州代表で、ぼくの両親の故郷に近い佐賀県諸富出身の、元バンドマン、満岡力さんに話しを伺いました。

海外で頑張る日本企業「一風堂」の抱腹絶倒、ど根性物語をどうぞ!

海外で頑張る日本企業「一風堂」

 コロナ禍で飲食業界はかなり大きな被害を受けましたが、今、「一風堂」はどんな状態なんですか? 

満岡 力さん(以下、敬称略「満岡」) そうですね、一風堂は有名だから大丈夫だろう、みたいに思われがちですけど、店舗数が多い会社ほどダメージは大きいと思ってます。

 じゃ、今正念場で、逆を言えば戦っている時期なんだ。

満岡 はい。パリの店舗では、2019年3月15日、あれは忘れもしない土曜日でした。突然0時からレストランの営業が禁止されました。自分たちは、土日が一番忙しいんで、卵2000個ぐらいた仕込んでいたところでした。自分が一生懸命剥いて、漬け込んでる卵です。大きなバケツ1個に120個ずつ漬け込んでます。

 あの日、フィリップ元首相の発表は衝撃的でした。卵、どうしたの2000個も。

満岡 店の近く、レ・アール地区の馴染みの浮浪者たちや、ホームレスの子ども達にあげました。お店の前に全部並べて。他は知り合いのシェフとかに配ったりして、あとスタッフにもあげたりして。

 ロックダウンの一年半って、キツかったんじゃないですか?

満岡 そうですね。でも実は、キツい中でも自分は、ほんと、コロナはチャンスだとずーっと思っていて。

 おー、いい話や。

満岡 ほんと、忙しくて。もう、忙し過ぎました。まあ、結果から言うとロックダウン中、二回目のロックダウン中ですね。2020年11月から、5月18日ぐらいまでありましたけど、3店舗のうち2店舗は閉めて、1店舗のみで配達販売をしてました。スープと麺を別々にパッキングして、後でお客さんにスープに麺を入れて食べてもらうというスタイルの持ち帰り用のラーメンです。

 それがヒットしたんだ。

海外で頑張る日本企業「一風堂」

海外で頑張る日本企業「一風堂」



満岡 Deliveroo(配達システム)とか、UberEatsでやっていたんですよ。Deliverooでは毎週、日替わりのラーメンを出し続けて、お客さんたちを飽きさせないぞー!と意気込んでいました。例えば、この週は、味噌ラーメンと決めて、インスタとか、SNSで、お客さんに発信して。

辻 いい仕事だね。楽しいね、その仕事。

満岡 暖かいスープと麺とトッピングとを分けて入れているだけです。「4分間、電子レンジで温めてください」という説明書を入れて。これで、18ユーロでした。

辻 それ、1日何食出てたんですか?

満岡 えーっと、ロックダウン中は、いろんなメニューがありましたから、チキンカツ丼、チャーシュー丼、バンズ、枝豆とか。色々売って、それで買ってもらった結果、通常時と変わらないくらいの食数でしたね。

 えーーー!

満岡 売りましたね。ただ、システムを変更したり、オーダーを取るお店のオペレーションを変更したりとか、それこそ、デリバリーのシステムに力を入れて、いろんなシステムを変えたりとか、そういう取り組みが、ほんと壮絶でした。紙袋が50個ぐらいテーブルに並んで、ピーク時は、もう借り物競争状態でした。

海外で頑張る日本企業「一風堂」

海外で頑張る日本企業「一風堂」

地球カレッジ

 ところで、一風堂は今、全世界に200店舗以上あって。パリに3店舗あるのですよね。

満岡 はい、3店舗です。ロンドンに4店舗あります。

 みっちゃんはヨーロッパの社長なの?

満岡 一風堂パリとロンドンのDirectorさせてもらってます。

 偉いんだね!

満岡 偉くないですよ、ぜんぜん、ペーぺーですよ。自分は今41歳なんですけど、18ぐらいまでずっと佐賀で音楽をしていました。

 ギターうまいですよね。この前、聞かせてもらったけどすごく上手でびっくりしました。

満岡 全然、上手じゃないです。当時、「ゆず」とかがちょうど出始めたころで、自分たちはその前からストリートでやってたんですけど。ストリートのアコースティックとかを、全く逆のミクスチャーパッドとか、ヘビメタみたいなのでやってて。で、音楽で飯食って行くぞーと、たまたま当時の彼女が福岡に居まして、何とかその彼女の元に行きたいなーと思って、行って、別れて、行って、別れて、みたいなことを繰り返していて。

 なんか青春だね(笑)。

満岡 まあ、結局その彼女とは別れたんですが、それで、その後はたまたま福岡の博多駅前に住んでる子と出会ってその子の家に転がり込んで。佐賀の実家の母には、ギター一本持って博多に出て行くからと。でも、流石にバイトくらい探さないかんと思って、たまたま情報誌見て見つけたのが一風堂のバイトでした。

 それで、一風堂に入ったんだ。

満岡 面接の次の日から来いと言われて、当時は製造の方で、博多区、駅の近くでした。製麺工場で、当時にしては時給が結構高い方で、それが20歳のころですね。初めは、バイトのつもりが、なんか麺の魅力に少しずつ取り憑かれていって。

海外で頑張る日本企業「一風堂」

海外で頑張る日本企業「一風堂」



 ラーメンが好きになってきた。

満岡 もともとラーメンは好きだったんですけど。麺を作りながら、高校も中退して学歴も無かったので、なんか手に職を、と少しは思っていたところでした。

 高校は中退したの? 

満岡 ラーメンの世界にのめり込んで行って。ずーっとアルバイトでしたけど、24歳の頃に正社員になりました。自分、高校中退ですから、正社員になりたいとかっていう頭も全くなくて、会社員っていうか、職をもらえるっていう感覚が無かったんで。ヤンチャばかりというか、音楽とかロックの道でずっと遊んでいたので。

 でも、プロにはなれなかった。一風堂の正社員によくなれましたね。

満岡 そうなんですよね。まあ、当時一風堂は、まだ国内に30店舗ぐらいだったんで。麺にのめり込んで、雑麺と言って、麺を作っていったらロスになる麺部分があるんですけど、そういうのを常に持って帰って、彼女の住むアパートで食べて、これは、小麦粉の配合と水分がこうだから、こうなるとか、かなり研究してましたね。

 雑麺ていうのは、残って捨てていく麺ですね。それを持って帰って。

満岡 そうです。はじめに出る切れ端とか。よく持って帰ってましたね。それでめっちゃ、食べてました、ほんとに。ちなみに、一風堂に入る前は70キロで、今は95キロですけど。食べすぎですね(笑)。

 ラーメン太り、気をつけないといけないね。当時は25歳くらい?

満岡 そうですね。正社員になって、たまたま転機というか、横浜の工場を新しく新設するというチャンスがあって、さらに一風堂の店舗も関東に増えることになって、一気にこう東京展開がドーンと波にのっていた頃でした。自分はあの佐賀の田舎もんなんで、東京なんて行ったことも無かったんですけど、いよいよ横浜に転勤することになりました。

海外で頑張る日本企業「一風堂」

 凄いね。正社員になって1年目で、任されたわけではないでしょ?

満岡 麺工場を任されるようになりました。その時に、役職とか全然縁が無かったもんで、「横浜工場 製麺チーム チームリーダー」というような、役職をもらって、嬉しかったですよね。

辻 25で。それ、すごくないですか? 

満岡 とにかく、元気とやる気だけは負けないと思ってたんで、ふふふ、勢いがあったと思いますね。

 それからよく英語もフランス語も喋れるようになりましたね。

満岡 自分はですね、ニューヨークに行くまでは、まったく、その、ユア・ウェルカムすらもわからなかったんです。高校中退なもんで。

 どうやって、学んだの?

満岡 ニューヨークの一風堂のオープンが2008年だったんですけど、いきなりニューヨークに行ったんです。30歳でしたね、ちょうど。

 じゃ、まだ、勉強しようという気持ちもあったのかな。

満岡 ギリギリありましたね。もともと言葉が好きだったんで。ニューヨークで若い頃からやっていたビートボックスをメトロの中とかでやってたら、黒人のおばちゃん達が、のってくれたりして、やっぱ、ニューヨークだぁと思って。博多の地下鉄とか、やってたら引かれるじゃないですか(笑)。

 かっこいいな、それ。たしか、中国語も出来るんだよね。

満岡 広東語の方が得意ですね。

 ヘェー、凄いね。言語で世界、行ってきたって感じですね。

満岡 そうですね。中国には何カ月かいたんですけど。中国の場合は当時はジョイント・ベンチャーでやっているんですが、地元の言葉で話すと下手でもコミュニケーション取れるんですよね。親近感を持ってくれて。

 確かに、この人、ちゃんと中国と向かい合ってるっていうのが伝わるって大事だよね。いったい何ヵ国語話せるの?

満岡 広東語、中国語、英語、フランス語、スペイン語ですね。まあ、もちろん全てネイティブというわけではないのですが。

海外で頑張る日本企業「一風堂」



 どうやって、勉強したんですか? 

満岡 仕事しながらですね。当時、ニューヨークではそれこそ製造を教えていたメキシコ人とかグアテマラ人とか、彼らはカタコトの英語で、しっかり喋るんで。盗んでました。ニューヨークから帰ったら、それから、香港、シンガポール、中国と、お店の立ち上げに呼ばれるようになって、オープン前から食材調査に行ったり。中国だったら北京の青空市場に行ったりしていました。

辻 それやっぱり、人間との交際力が買われたのでしょうね。

満岡 多分、実績というか、偉そうなことじゃなく自分が結果を必然的に、自然と残してきたんで、あーこいつが行っとけば、大丈夫だろうみたいな感覚はあったと思います。海外から日本に帰っていつも思ってたのは、日本語みんな分かるのに、組織の中で言いたい事も言わないって、なんか、バカじゃない? みたいなこと思ってたんですよね。海外被れのような感じに見えるかもしれませんが、でも海外では、自分の伝えたいことを言葉でちゃんと伝えられなくても、ジェスチャーと気持ちで伝えられてるなと思っていました。

 こないだ、パリのお店遊びに行ったら、若い店員の子が社長とも思ってなく接してると言っていて、確かにそんな感じだったけど、ずーとそんな感じ?

満岡 そうですね。役職とか、その自分がこういう地位にいるとか、あんまり出さないですね。昨日もネパール人の新人スタッフに「サバーモナミー(友達よ、元気かー)」ってネパール語で声かけられて、隣にいたマネージャーから、またみっちゃんの事ネパール人の新人スタッフだと思ってるよって言われて(笑)。

 確かに、ネパール人に見えるね。みっちゃんはヨーロッパの代表格の立場なのに、自分でゆで卵の殻を剥いたり、チャーシュー茹でたりしてるでしょ、チャーシューって一日何十本も作ってるでしょう?

満岡 だいたい、185キロぐらい煮ています。

 185キロ。本数で言うと何本?

満岡 90本ぐらいですね。

 それフランスだけでね。

満岡 もちろんです。

 チャーシューを毎日作ってる。卵も自分で剥いてるでしょ?

満岡 卵は、1回でだいたい1200個ぐらいですね。

 アルバイトの子には任せられない?

満岡 任せられますけど。でもたまに、「俺はこっちが美味しいと思う」とか言って、レシピ勝手に変えられたりするんですよ。

海外で頑張る日本企業「一風堂」

 フランス人やりそうだね。他にパリでの苦労話ってあるんですか?

満岡 いやー、フランスは一番難しいと言うか・・・。戦略的というか管理が特に難しいのは、訴訟大国とも言われている欧米ですね。いろんな訴訟問題も起きたりして、日本やアジアの国では体験しないようなことが起こったりしますね。初めは白髪が何本増えても追いつかないような悩みで仕方なかったですけど、やっぱり、5年目ぐらいから考え方が変わってきましたかね。こう、フランス人の考えになってきたというか。いやいや、これは揉めて当たり前だろうと。

 フランス人の考え方、分からないよね。

満岡 わかんないです。まあどこの国でも日本との価値観の違いはあるのだと思いますが。パリの飲食の大先輩に相談してみたら、「それ当たり前だよ、だってここパリなんだから」って。だから今は、ある程度のことがあっても、そう思いますね。

 ちょっと聞きたいのは、ミュージシャン目指していたけれど違うビジネスに入って、いろいろ変化していく人生の中で、あっこれが本当に目指していたみたいだってところに、今いるのかな。

満岡 まだ自分は、いないと思いますね。天職の瞬間は、まだ訪れていないと思います。想像もつかないです。ただがむしゃらにやっているものの、なんかこう、一風堂の創業者の河原成美が36歳の時に一風堂を天職だと思った瞬間というのを本で読んだり、彼の言葉聞いたりして知ってますが、まだないですよね。まだ、そのなんかピカーッとする瞬間がないんです。たぶん小惑星はいっぱいきていると思うんですよね、大惑星がまだ来てないというか。 

 まだ41歳だもんね、41歳、あー、俺もなんだったんだろう、まあー、食べてはいけるんだけどね、自分の人生が何かっていうのは、まだこれからかも知れないですね。じゃあ、一風堂は、これからどうゆう未来を描くのでしょう。ラーメン店としてのこれだけの実績があって、日本人はもちろん、世界中の人が一風堂を知っている。そういう中で、ラーメンの次みたいな、次に見据えてる物はあるんですか?

満岡 日本ではこれまで店舗展開してきていて、製造拠点からスープとか麺とか送って、お店では、要は基本的にはスープや麺は作らずに提供していたのですが。コロナ後からは30年ぐらい前に戻ったような感じで、お店で麺を作ったり、スープを作ったり、チェーン店みたいに多店舗展開しながらも個店の良さを忘れずにいようみたいなことが始まりました。

 いいね、原点に戻る。

満岡 そうですね。だから、出店はしてますけど、まあこれまでのチェーン店とは違って、個店の一風堂を忘れないでほしいという取り組みが一つあります。

 ところで、社長の河原さんは、やっぱりラーメンが好きなんでしょうか(笑)?

満岡 やっぱり大好きですね。69歳になりましたけど、まあ歳を感じさせないくらいよく食べますね。若者にも負けないですよ。

 え、69歳で?

満岡 楽勝に食べますね。飲食が大好きなんですよ。社員を連れてレストランに行ったら、とにかく全部頼め、食べて勉強しろ、と。もちろん味だけじゃなく、オペレーションとかマーケティングとかも学べ、ということなんですよね。まだまだ敵わないです!

 凄いね、河原さん。会ってみたいな、一回。まだまだ一風堂は突っ走りそうですね。応援しています。今日はありがとうございました。

海外で頑張る日本企業「一風堂」



自分流×帝京大学