JINSEI STORIES

滞仏日記「恒ちゃんのクスクスにくすくす」 Posted on 2021/12/20 辻 仁成 作家 パリ

某月某日、朝、弟の恒ちゃんと諸問題について、電話で話しあった。
急逝した菅間さんのパソコンを運送会社さんに頼んで運んでもらう予定だったが、電源を一度抜いたら、パスワードがないとパソコンに入れなくなるのだという。
その中に、わが事務所の存続にかかわる重要情報などが入っている。
ぼくは菅間さんに任せっきりだったので、それがないと何もできない状態なのだ。
「兄貴、ぼく、東京行くよ」
「年末なのに?」
「でも、行かないとご遺族の皆さんに任せっきりもいけないしさ」
ということで、週明けすぐに恒ちゃんが東京に行くことになった。
「あ、クスクス、作ったよ」
「え? マジか?」
先週の日記で書いた通り、母さんにクスクスを食べさせたいと思って、「これ、作ってやって」と恒ちゃんにレシピを送っておいたのだ。恒ちゃんは実は料理が上手で、特にカレーには強い執念がある。カレーのスパイスについて語らせると、兄を十分黙らせる迫力があるのだ。
ということで、こちらが、恒ちゃんから送られてきたクスクスの写真であーる。

滞仏日記「恒ちゃんのクスクスにくすくす」



「すごいじゃん」
「美味しかったよ」
「でも、クスクスミックスとか、アリッサとか買えたの?」
「いや、ブイヨンとトマトペーストしかなかったから、それに柚子胡椒を入れた。すごく美味しかったよ」
「ああ、それでいいよ。クスクスミックスなんかなくてもいいし、アリッサは唐辛子ペーストだから、柚子胡椒でもいいよ。ラム肉は? モロッコのメルゲーズ・ソーセージはなかろうが」
「いや、シャウエッセンのソーセージにしたよ」
「ああ、それでいい、辛いやつね。今度、豚肉で作ってごらん。イスラム教の人たちは宗教上の理由で豚肉が食べられないけど、実は、豚肉も美味しいんだ」
「やってみる。あ、母さんが、めっちゃ、喜んでいたよ」
「横にいるなら、かわってよ」
「うん」
「(母さん! 兄貴・・・)」
恒ちゃんはずっと母さんの面倒を看ている。病院に連れていき、毎日、買い物をして、こうやって、ごはんを作り、実にえらい弟なのであーる。

滞仏日記「恒ちゃんのクスクスにくすくす」

※ 2019年7月、博多に行った時にぱちりと撮影した母さんとの2ショット!



「おにいちゃん・・・」
久しぶりに聞く、母さんの声は掠れているけど、元気そうであった。
「美味しかったの?」
「はー、美味しかったとよ。いつもいつも、美味しいものをありがとうございます。こんなにおいしいものが世の中にあるんだなって、毎回、驚きながら、喜んどるとよ」
母さんは、次に、ぼくの息子のことを話し出した。あの子は元気にしているかなって、いつも心配しているとよ、早く会いたかね、とか細い声で言った。
「ま、みんな世界中がピリピリしているから、今は日本に帰らないようにしているけど、来年の夏には一度、どんなことがあっても帰るよ。もう二年も帰ってないし、息子を連れて・・・」
「そうね、そうね、ありがたかね」
「あ、あいつ、来年、大学生なんだよ」
ここで、母さんは、え、と驚きの声を張り上げた。
「もう、大学生!? この間まで小学生だったやなかね」
やれやれ。苦笑する弟の顔が見えた気がした。
「春に受験があって、卒業し、9月から大学生になる、予定ね。大学には入れればだけど・・・」
母さんは、何か一人で感動をしているようで、大きくなったね、と呟いていた。
早く会わせてやらなきゃ、と思った。
海外で働いている日系企業の方々にも家族がいる。
こういう世界だけど、企業の方々が世界各地で頑張っておられる。
ぼくは戻らない選択をしたけど、家族と離れ離れの人はそうもいかない。
コロナがこういうところでも大切な人たちを分断しているのだ、と思うと胸が苦しくなる。
欧州は、経済を止めないために、どこの国も、門を開けている(フランスはオミクロン感染拡大中の英国からの入国を制限したが・・・)、・・・。
オランダが都市封鎖を行ったが、しかし、国民の反発が相当にすごい。
キリスト教徒にとって、クリスマスの時期に家族に会えないというのは、相当な事態なのだ。
フランスはロックダウンだけはやらないと大統領が言いきっている。さて、どうなることであろう・・・。
そのうち、オミクロンのデータが出てくるだろうから、何が起こっているか、もう少し、客観的に判断ができるのじゃないか。
年明けに、明るいニュースが入ることをぼくは期待している・・・。

滞仏日記「恒ちゃんのクスクスにくすくす」



「あなた、ワクチンがあわなかったとやろ? 恒ちゃんが言っとった。もう、よかと?」
「うん、今日は普通に戻った。熱が38度近くまであがったので、きつかった。はじめてだよ、こんなの・・・。母さんは三回目の接種はしたの?」
「私はまだ二回よ」
「三回目はきついかもしれないから、接種した直後、48時間は、おとなしくしてた方がいいよ」
「私の心配まで、ありがとう」
「うん。じゃあ、また、連絡するね」
「あなたたちが幸せなクリスマスと正月を迎えられるよう、祈っときます」
ぼくは泣きそうになった。
そして、最後まで、菅間さんの話題は出なかった。菅間さんのことを親族のように思っていた母さんなので、今は、きっと考えることが出来ないのだろう。言葉が思い付かないのだろう。そこだけ見ないようにしている気がしたので、ぼくもあえて、その話題には触れなかった。
電話を切った後、息子にかわればよかったのに、と後悔をした。
でも、もう、電話は切れてしまっていた。
どんなに辛い世界でも、必ず希望の光りはある。
「死にたいと思ってもいいから生きなさい」とぼくは息子にも、若い学生たちにも言い続けてきた。
生きていることを大切にしなきゃ、とぼくは改めて自分に言い聞かせるのだった。

つづく。

滞仏日記「恒ちゃんのクスクスにくすくす」



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