JINSEI STORIES
滞仏日記「息子君が大学生になる日のことを想像しながら、三回目の接種完了」 Posted on 2021/12/18 辻 仁成 作家 パリ
某月某日、今日は、3回目のワクチン接種の日だった。
ネットで接種会場の場所を調べたら、パンテオンのすぐ隣の、どうやら5区の市役所のようである。
パンテオン周辺はソルボンヌ大学などがあり、学生街なので、若者が多かった(ちなみに、ぼくの住んでる区はご老人が多い)。
早く着きすぎたので、カフェに入り、お茶をしていたら、横にいた法学部の女学生二人が、今度やる発表会の打ち合わせをやっていた。
大きな声で、活発な議論であった。すごいなァ。
もうすぐ息子も大学生になるんだな、と思ったら、お父さんのような気持ちになった。
そんなぼくと一人が目が合ったので、
「あの、たばこ大丈夫ですか?」
と気にしてくれた。その子はたばこを吸っていたのだ。
「いいや、ぜんぜん、大丈夫だよ。気にしないで」
「メルシー、ムッシュ」
ちょっと仲良くなった、父ちゃん。若い子はエネルギッシュでいいねェ。
一時間くらい、横で話しを聞いていたのだけど、しかし、難しすぎて、わからなかった。果たして、うちの息子はどんな大学生になるのだろうね。なんだか、心配だし、わくわくもする。
カフェを出て、接種会場になる、パンテオンの真横にある5区の市役所に向かったのだけど、すでに行列。
予約制なのに、長蛇の行列というのだから、すごい。
螺旋階段で、待たされ、そのあと、会場入り口の廊下でも待たされ、検温され、厳しい係官にいろいろと質問もされ、ようやく中に入れた時は予約時間を過ぎていた。
しかし、驚いたのはその接種会場だ。
市役所の中に渋谷公会堂くらいの巨大なワクチン接種会場があって、しかも天井から、ベルサイユ宮殿とかにあるような巨大なシャンデリアがいくつもぶら下がっている。
すげー、さすが、おフランスであーる。
そういえば、会場の入り口で、「モデルナですか、ファイザーですか?」と質問され、ぼくはファイザーの列へと向かった。
そっちはガラガラで、ほとんどの人がモデルナだった。
理由はわからないけど、ファイザーが不足しているのに違いない。
過去二回と一緒で、接種は一瞬で終わり、今のところ反応も出ておらず、調子がいい。
こんなワクチン会場は世界広しといえど、ここだけだろうな、・・・。
ということで、ワクチンを打つのも忘れて見上げていたら、係員の人に、ほら、そこの人、写真撮影とかしないで、早く接種して、と怒られてしまった。えへへ。
接種はいつも通り、スムーズに終わり、今のところ、腕も痛くないし、気分もいい。
三回目が一番きつかったという人が多いけど、ぼくは逆で、なんにもなかった。(と、書いたのだけど、追記。その二時間後、現在、ドーンと重く、熱っぽいのであーる。ちょっとしんどいかも・・・)
でも、接種が終わり、最後の待合室、ここもかなり巨大な待合室で、たぶん、区議会場なのか、議長席のようなところにスタッフの方がいて、名前を呼びあげ、賞状を渡すように接種証明書を手渡したるのだけど、今日が曇りだったからか、その大勢の人の中ほどに座ったぼく、目の前にいる大勢のフランス人(もしくは在仏の外国人)の頭を見ていたら、恐ろしい時代がやってきたことを悟ってしまった・・・。
というのは、これからもしばらくの間は、こうやって、ワクチンを打ち続けないとならない世界が目の前に広がっていたからである。
それはいつまでか、というと、きっと、ICUがひっ迫しなくなる、つまり重傷者が大幅に減少する時、それも、世界中で・・・。
つまり、3回目のワクチン接種だから、まだいいけど、長生きをしてしまったら、23回目とか33回目の接種も、もし生きていたら打たなければならず、こうやって、ここで名前を呼ばれるのを永遠に待つことになるのか、と考えたからだ。
それどころか、温暖化が進んでいるので、北極の氷が解けて、新たなウイルスが登場するかもしれないし、実際、WHOはそれを否定していない。
それは恐ろしい世界だな、と思ってしまった。自分はもう年配者だからいいけど、さっきの学生やうちの子たちはワクチンをずっと打ち続けないとならない、・・・。
そう、考えたら、この待合室や接種会場が何か近未来の人類の収容所のように思えてきて、ぼくを怖がらせたのである。
いったい、どうしたらいいのだろう?
何が最善の答えであろう。
騒ぎすぎてもいけないし、警戒心をなくすと、コントロールが効かなくなるし・・・。
やれやれ、こんな時代がくるだなんて、十代のころのぼくには想像も出来なかった・・・。
でも、嘆いても仕方ないし、これも含め、一生なので、ぼくは死ぬまで歌うし、ごはんを作るし、仲間たちと大笑いをして、生ききってやりたい。
そうだ、どんな世界になろうと、人間はきっとそこに光りを見つけることが出来るし、ぼくは光りをこそ、見つめて生きてやるんだ。
帰り道、先のカフェの窓際の席でぼくに手をふる人たちがいた。
あああ、あの学生たちだった。
まだ、議論をしていたのか・・・すごいなァ。
彼らの手の中にこそ、人類の未来があるのかもしれない。