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卵から伝統が生まれた日 Posted on 2021/12/15 HARCO 食べて癒やすアルキミスタ スペイン・バレンシア

卵から伝統が生まれた日

 
「今日は何、作ろう?」


毎日のことなので、長年、主婦をやっていても料理に迷うことがある。
そんな時、卵と具さえあれば解決してくれるお助け料理。
それがフライパン全体を使って丸く焼き上げるトルティージャ。
ジャガイモだけのシンプルなものは「トルティージャ・エスパニョーラ」と呼ばれ、スペインの家庭料理の定番でもある。
なぜ、ジャガイモがエスパニョーラなのかというと、スペインはヨーロッパで初めてジャガイモを食用として取り入れた国で、18世紀初頭、この国を襲った食糧難から救ったのがジャガイモだったらしい。
さらに、丸く大きく焼かれたトルティージャについては、19世紀に勃発したスペインの王位継承をめぐるカルリスタ戦争の頃に、ナバーラ地方の女性が考え出したものだという。


とはいえ、手軽に作れて格安で、朝食、昼食、夕食と何にでも通用するトルティージャのバリエーションは、今や、伝統的なジャガイモに始まり、食べ残ったスパゲティーに至るまで、果てしなく広がっている。


そんな中、私が大切にしているレシピがある。
義理の母より4歳年上のエンカルナに教わったものだ。
彼女の家は夫の実家から目と鼻の先の距離にあり、右膝が悪いのだけど、毎朝11時を過ぎた頃、何か必ず持って実家にやって来るのが日課だった。
それは焼き立てのパンだったり、採り立てのトマトだったり、小さな鉢植えだったり……。
伝統を重んじる義理母に対し、常に斬新的でチャレンジ精神旺盛な彼女は、甥っ子の嫁である「よそ者」をとても可愛がってくれた。
彼女が虹の橋を渡ってからもう9年になる。
 

地球カレッジ



 
ある日、エンカルナがいつものように実家にやって来た。
ガサゴソと袋から取り出したのは、小さな容器に入った、まだ湯気の残るトルティージャ。
「ほら」と容器と共に向けられた満面の笑顔には、彼女が決して抜かない髭が一本あった。


「お食べ!」


「口に合うかどうか」や「もしよかったら」なんて言わない潔さのある彼女。
一口食べてみるとそれは、立ったまま手で食べるのが申し訳ないほど美味しく、歓喜する私を、彼女は笑いながら見つめていた。
 



卵から伝統が生まれた日

 
白ワイン蒸しにしたサーモンが、オレンジ色からピンク色に変わる。
フライパンで予め透明になるまで炒めておいた玉ねぎ1/2個に、大き目にほぐしたサーモンの身を合わせて塩味を軽く整える。
深い森のような深緑色のディル。
葉の部分だけを細かく刻むと、甘い香りにふっと思考が緩むのが分かる。
そうだ、今日は夫の好きな山羊乳のチーズも加えよう。
卵8個をシャカシャカと溶く時の音が好き。
塩は1個あたりひとつまみ。
用意した玉ねぎとサーモンの身、チーズ、ディルを卵の黄色い海に放ち、再びフライパンで焼くと小さな太陽が出来上がる。
切り分けると真っ白なチーズと、ディルの香りを纏ったピンクのサーモンが顔を覗かせる。
伝統的なトルティージャとは異なる、エンカルナのトルティージャ。
 

卵から伝統が生まれた日

 
「…………」
「ん!」
「わっ!」
「ぼ!!」


一瞬の沈黙の後、笑顔と共に、いろんな音が家族の口から洩れる。
「合格?」


やっぱり声にはならなくて、夫がウィンク、長男が親指を立てOKサイン、その間に次男が二切れ目に取り掛かった。
 



 
義理母一家が今の村に仕事を求めて越してきた頃、彼らも私と同じく「よそ者」で、苦労も多かったという。
長女であったエンカルナがいつも義理母や弟の盾となってきたこと、村が自分たちの地になるまで時間が掛かったと聞いたのは、エンカルナが亡くなった後だった。


「伝統と革新」。
伝統があるからこそ革新がある。
本当に大切なものを守りながら、様々なものを受け入れた時、革新が新たな伝統になっていくのかもしれない。
 

卵から伝統が生まれた日

自分流×帝京大学



Posted by HARCO

スペインの地中海側都市バレンシア北西部の小さな田舎に暮らし27年。24歳で単身留学し、スペイン17州全土の郷土料理を食べ歩く。その後、スペイン人の夫と結婚、村一人の日本人としての3人の子育てはショッキングなことの連続だったが、ライター、料理研究家、通訳・ワイン・オリーブオイル輸出、オリジナル体験型ツアープロデュースといった仕事と両立することにより、「食べて生きる」について、真剣に考える機会を得ることができた。現在は『食べて癒やすアルキミスタ』として、スペインのライフスタイル、食文化、ハーブをツールに、そのまんまの自分を生きる大切さを発信する活動をしている。