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自分流塾「在仏歴22年、なぜぼくはいまだフランスで生きているのか」 Posted on 2024/08/05 辻 仁成 作家 パリ
今は、日本にいて、引退公演ツアーの最中だが、時々、ぼくはフランス人のような目で日本を見ている自分に気がつく。
エレベーターで一緒になったおじさまが、先に出ていくとき、軽く、ぼくに向けて(ぼくしかいなかったのだ)会釈をした。
何気ない一瞬だったが、ああ、これこそ、日本だな、と思った。無関係な人にも、気を配る日本流、素敵である。
フランスでは、まず、ありえない。
逆に、先日、銀座にいた時、フランス人の集団とすれ違った。フランス語が懐かしかった。
彼らはトランクをひっぱりながら、かなりマイペースで移動していた。慌ただしく行きかう人の波の中で、彼らだけ、別次元にあった。
ああ、これは間違いなくフランス人だ、マイペース、と思ったものだった。
日本とフランス、それぞれを知っている、ぼくだから、気が付く、それぞれの良さがある。
さて、それにしても、ぼくはこんなにも長く、フランスで暮らすことになるとは、思いもしなかった。
日本の方がこういう時に安心なのにな、と思うこともあるが、でも、なぜか、22年も、フランスで暮らしている。
人生の三分の一も、フランスで生きてしまった。
選挙権以外はすべての権利を持っている。
なんでだろう?
自分が一度も描いたことのなかった人生を、自分で選択することなく、こうやって生きてしまう時、ぼくはそこに宿命を感じてならない。
もっとも、最初、フランス人がマジで苦手だった。
22年も生きているくせに、と思うが、考え方が日本人とはぜんぜん違うので、正直、戸惑ってしょうがなかった。
どう対応していいのかわからず、嫌いになりかけたこともあった。
日本に戻りたいと思いながら、でも、息子を育てきるまでは意地でも帰れないと頑張っているうちに、フランス人のいい面、参考になる面、勉強になるところ、なるほど、と思わせられる生き方を知ることになる。
とくに、彼らの生き方、死生観、人生観というのはユニークで面白い。
「セ・ラ・ヴィ」(それが人生さ)
という言葉はよく耳にすると思うが、人が死んでも、セ・ラ・ヴィ。
事業に失敗しても、離婚しても、なんでもかんでも、セ・ラ・ヴィで片づけてしまう。
でも、この魔法の言葉に救わることも多い。
最近、身近な人が死んだ。すると、日本の友人・知人から長文の想い出の言葉が送られてくる。でも、フランス人は「セ・ラ・ヴィ」と呟くだけだ。
それが人生だよ、というのは、突き放しているようで、やさしさがある言葉だと最近、気が付いた。
苦難を乗り越えていく時に、自分や周囲の人を励ます、心強い言葉なのである。
個人主義が徹底した国だから、全員の考え方が違っている。
それは世界どこの国もそうなのだけど、ここまでバラバラの思考だと小気味いいくらいの自由度である。
まず、人は人、自分は自分というのが徹底しているので、我慢というものをここの人たちはしない。
一方で、ここぞという時の連帯感は半端なく、一例だけど、交差点で、盲目の人が困っていると、どこからともなくフランス人がかけよってきて、みんなで助ける。
見て見ぬふりというのが本当になくて、ぼくなんかだと、どうしようかな、あの人困ってそうだけど手を差し伸べるべきなんだろうか、と躊躇するところで、彼らはしないし、一瞬でどこからともなく集まって、そこではハチのような集団活動をとる。
デモがやたら多い国というのも頷ける。革命で王制を倒した国だからかもしれない。
バラバラの人間なのだけど、何がバラバラのフランス人を結びつけるのか、その要因については、いまだよくわからないのだけど、ある瞬間に集団行動に出る。
もしかすると、自由を守るため、自分を貫くために、共通の意識が芽生えて、強く連帯をするのかもしれない。
この連帯(ソリダリテ)感が、半端なく強いのがフランス。
政治への関心が強く、それを見ている子供たちもみんな政治的なのだ。個を守るために連帯をしているようなところもある。
フランス人の喧嘩の仕方は面白い。
一度、絶交をすると決して元のさやには戻らない。
日本人同士の喧嘩というのは仲直りというのか、お互いの非を認めあい、理解しあおうというところもあるが、フランス人はひとたび絶交をすると縁が切れる。
視界から消されてしまう。ぼくも何人かの視界から消された。
それも、今思うと、自分の信念を曲げないための、彼らなりの生き方なのかな、と思う。
ただ、彼らが持つ自由度を意識するようになり、ぼくは生きるのが楽になった。
集団から離れても生きていけるようになったし、いろんな人生があるのだから、どうにかなる、とフランス人を見ながら思うようになった。
フランスは実は半分社会主義のようなところがあるので、どうやっても人権が守られ、貧しくても、そこそこ普通の暮らしが出来てしまう。
そういう政治社会的な背景が、フランス人を生んでいるということも一因あるのかもしれない。
20年以上、この国で暮らして、ぼくは今、ようやく、フランスが好きになりはじめた。
好きじゃないと20年も暮らすことが出来ない。
「おフランス」ととかく世界中の人に揶揄されるフランス人だけれど、とくにぼくのアメリカ人の友人たちは「あいつら、めっちゃ変わってるよな」とバカにするが、ぼくは少なくとも、ここでは楽に生きることが出来ている。
それは、個人が強く守られているので、周囲を気にしないでぜんぜん構わない社会が出来上がっているからかもしれない。
対面を気にする必要がない。
ここのところ、繰り返されるテロの影響で、移民問題が社会問題化しており、極右政党の台頭が目立つようになった。
ところがそれに反発する人たちも大勢いるので、大統領選挙があるたびに、この国は様々な形で個人が立ち上がっている。
気が付くと、ぼくはシラク大統領、サルコジ大統領、オランド大統領、そして、マクロン大統領まで、4人の大統領の政治手腕を見てきたことになる。
さて、3年後、次はどういう大統領になり、どういうフランスが登場するのであろう。
posted by 辻 仁成
辻 仁成
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作家。パリ在住。1989年に「ピアニシモ」ですばる文学賞を受賞、1997年には「海峡の光」で芥川賞を受賞。1999年に「白仏」でフランスの代表的な文学賞「フェミナ賞・外国小説賞」を日本人として唯一受賞。ミュージシャン、映画監督、演出家など文学以外の分野にも幅広く活動。Design Stories主宰。