JINSEI STORIES
退屈日記「最近、息子がなんとなく話しかけてくる。気を使わないですむ父子関係」 Posted on 2021/12/07 辻 仁成 作家 パリ
某月某日、冷戦状態が続いていた父子関係だが、気のせいか、最近、息子から話しかけてくる。
ぼくはあの一件以来、あえて話しかけない作戦に出ていたのだけど、それが功を奏したのか、それとも、二コラ君が遊びに来て仲良くしているのを目にし小さな頃のことを思い出してくれたのか、ぽつん、ぽつんと、必要な内容だけだけれど、たとえば、学校の書類にサインをしてほしい、とか、ペペロンチーノの作り方を聞かれたり、でも、こちらも、いつまでも腹を立てていてもしょうがないので、親子というものは、切っても切れない縁ある関係だから、自然な感じで、修復しているところである。
でも、おかげで、気を使わないで済むようになった。
聞かれたことに最低限な感じでこたえてあげ、必要以上、アドバイスはしない。
意見も言わない。求められたことには、ちゃんと愛をもって接してあげるけど、ああしなさい、こうしなさい、とうるさいことは言わない。
もう、大人なんだから、自分で決めてやってもらうしかないので、付かず離れず、様子をみている。
でも、何かあれば、父ちゃんがいるぞ、というところは見せていく、そういう距離感なのであーる。
上の親子は朝から大騒ぎで、下の子がまた暴れて、それをお父さんとお母さんがとめていた。
何かを倒す音や、逃げ回る足音、絶叫なのか悲鳴なのか、女の子の金切声が途切れず、まもなくすると、それをとめるお母さんの金切り声がして、・・・これが毎日、繰り返されているのだけど、不思議なことに家族そろっての、笑い声も聞こえてくる。
いろいろな家庭があるものだ。
昨日、眠れずに深夜一時に窓の外に顔を出したら、下の小さなコンビニ(移民の親子が経営している小さな食材店)のガラス窓をあのいつぞや殴りあっていた親子が2人で力を合わせて拭いていた。
バケツには水が入っていて、雪がふりそうなくらい寒いというのに、大きな息子とふとっちょのおやじが、Tシャツ姿でガラス磨きをしている姿は、微笑ましかった。
彼らは異国の言葉で話しあっていたけれど、間違いなく、それは親子の姿であった。
お父さんが息子の顔面を殴りつけた瞬間を思い出した。しばらくその子の姿が見えなかったけれど、また、ある時から彼は店番をするようになった。
いろいろな家庭があるものだ。
うちの息子は今日も、7時40分に家を出た。
朝ごはんをいつも食べていかない。お腹すくだろうな、と心配をしているけど、ま、それは彼が自分で考えることだから仕方ないな、と思って、父は、寝たふりをしている。
でも、給食がその分、美味しく感じるかもしれないし、学校で仲間たちとたくさん食べて帰ってくればいいじゃん、と思って、自分の心配を振り払った。
サンドイッチでも作って、キッチンに置いといてやるか、と考えてる相変わらずの「やり過ぎパパ」であった。
行方不明のオーナメントを今日は探しさなければならない。
寂しいツリーに、ちょっとずつ、見つけて、飾っていきたいのだけど、さて、見つかるだろうか?
母さんが昔、ぼくと息子のために送ってきた手作りのオーナメントだけは発見できたので、それをとりあえず、ツリーの中心に飾っておいた。
気が付けば、12月、早いものである。ぼくは走らなければならない。