JINSEI STORIES

滞仏日記「また、今日も上の階から怒声が届く。だから、ぼくはギターを掴んだ」 Posted on 2021/11/20 辻 仁成 作家 パリ

某月某日、今日も夕方から恒例の上の階のお子さんと親御さんとの激しい大喧嘩がはじまった。
マシンガンのような怒声が天井から降り注いでくる。
壁を叩く音や、ものを倒す音がそれに続く・・・。
だいたい、学校が終わった後の、夕方から夕食までのあいだの落ち着かない時間に怒鳴りあいがはじまる。
暴力はないと思うけど、興奮した下のお子さん(たぶん、ちょっと心が不安定な子で、ヒステリックを起こす)、とお母さん(たぶん、このお母さんもちょっと自分を制御できない心を持っている)の二人の怒声が飛び交い、最後は、おとなしいお父さんまでも、巻き込むのだ。
そのあと、しばらくその子の鳴き声がやまない。

滞仏日記「また、今日も上の階から怒声が届く。だから、ぼくはギターを掴んだ」



ところが、階段や外で彼らに会うと、本当に仲のいい家族で、絵に描いたような家族なのである。みんな笑顔なのだ。
このことは何度かここに書いたけど、前回の日記をぜひ、読んでみてほしい。どうしようもない、状況はここにだいたい描かれている。

https://www.designstoriesinc.com/jinsei/daily-1855-1/

しかし、ご両親は二人とも先生で、しかも音楽が好きで、前回、9月のコンサートにご招待をしたら、ぼくの真ん前に四人が陣取って、手を叩いていた。どこにそんな問題があるのか、と思うくらいの仲睦まじさ・・・。
でも、引っ越したばかりの頃、お父さんの方に、「毎日、ごめんなさい。騒がしいでしょ? ちょっと下の子に問題があってね」と謝れたことがあった。
隣人にも「あそこはいつも怒鳴りあっている」と言われていたのだけど、3年が過ぎ、だんだん、彼らの苦悩がわかってきた。
一人、上のお姉ちゃん(たぶん、12歳くらいかな)が、時々、謝りにくる。
「もう、来なくていいよ」といつも言うのだけど、申し訳なさそうに、頭を下げるのが、ぼくもつらい。
ぼくにはどうしてあげればいいか、わからない。
ただ、一つ、最近、変化があった。

滞仏日記「また、今日も上の階から怒声が届く。だから、ぼくはギターを掴んだ」



ぼくのライブを家族四人で見に来てくれた直後、彼らは感動をしたようで、下の子が「ムッシュ、かっこよかった」とぼそっと言ったのだ。
はじめて交わした会話でもあった。
で、先週、お父さん、お母さん、下の子がこれまでにないくらい半狂乱になって怒鳴りあったことがあった。
何かを倒す大きな音がしたので、とっさ、ぼくは近くにあったギターをつかんでZOOを歌ってみたのである。
うちの建物は120年前の古い建築物だから壁が薄く、声が筒抜けなのだった。
怒声も聞こえるけど、ぼくの歌も間違いなく、届いている。
「愛をください、WOW WOW」と歌ったら、ぴたっと鳴りやんだ。一分ぐらい歌って、ギターを置いたら、もう、静かになっている。
お、と思った。
ヒステリックになっていた下の子が耳を傾けて聞いている絵が浮かんだ。

滞仏日記「また、今日も上の階から怒声が届く。だから、ぼくはギターを掴んだ」



今日、また、下の子が大声で叫びだして、お父さんがそれを止めにはいって、大騒ぎになったので、ぼくはギターをつかんで、ZOO、を歌ってみた。
今日は、冒頭からゆっくりと、歌った。
一番の歌詞の途中まで聞こえていた怒声が、二番を歌うころには消えて、サビのところで静かになっていた。下の子の笑顔がぼくの心の中に浮かんだ。
これは、効き目があるな、と思った。
ぼくの仕事部屋には、上のお子さんたちが描いた漫画が飾られている。
二人は日本が大好きなのだ。
彼らの家から、笑い声もよく聞こえる。家族四人でいつも大笑いをしている。
たぶん、コメディ番組を見ているのに違いない。
下の子の心を落ち着けるために、・・・。
子育ては本当に大変なのだ。よく、わかるなァ、と思った。

滞仏日記「また、今日も上の階から怒声が届く。だから、ぼくはギターを掴んだ」

ちょっと前、ライブの後に、ぼくがスーパーから出たら、通りの反対を歩いていた、上の階のお母さんがバゲットをつかんでこちらに走って渡ってきた。
「今度、いつ、ライブやるんですか?」
「まだ、計画中だから、わかりませんけど、来年、コロナが落ち着いた頃に」
「また、家族で行っていいですか? うちの子があなたの歌が好きで」
ぼくはうれしかった。
苦しい時に、人間を励ますことのできるものの一つに、音楽がある。
今、また、笑い声が聞こえた。
怒ったり、笑ったり、泣いたり、叫んだり、大変な人生だ。
これは思春期とか反抗期とかではない。
ぼくなんかシングルファザーだとか偉そうに書いてるけれど、いろいろな事情を抱えた世界中のお父さん、お母さん、がいる。
そして、いろいろな状況下におかれた子供たちもいる。
がんばらなきゃ、と思った。
そういう時、ぼくはギターをつかんで、歌うようにしている。自分にとっても、それは応援歌なのである。
励ましあって、この厳しい時代を生き抜いていきたいものだ。
愛をあげたい・・・。
さて、夕飯の準備をしなきゃ。

つづく。



自分流×帝京大学
地球カレッジ