JINSEI STORIES
滞仏日記「ジャッキーが旅だった寂しい午後に、ぼくは近所の可愛い家族に招かれた」 Posted on 2021/11/12 辻 仁成 作家 パリ
某月某日、「ジャッキーが亡くなったよ」
ぼくは朝、息子にメッセージを送った。
「なんで?」
小さな頃から、我が子はジャッキーに可愛がられていた。
息子は瀬戸内先生のことをジャッキーと呼んでいた。
だから、彼の中ではずっと先生はジャッキーであった。
「99歳だからさ」
「パパの小説のタイトルみたいだね」
「あ、ほんとうだ」
99歳の赤ん坊、という小説があったことを思い出した。
主人公は、99歳で星になった。
亡くなられた先生のことを遠ざかりながら戻りつつ考えていた。そんな1日になった。
ぼんやり、遠くの空を見ていたら、携帯が鳴った。
半年くらい前に、家の近所の浜辺で、まずそこの家の子供たちと知り合いになった。その子たちのお母さん、ジェシーから・・・。
田舎は、退職をしたご高齢の方々の終の棲家が多いので、こういう若い子たち、若い家族と会うこともめったにない。だから、すぐに仲良くなった。
この少年(8歳)と少女(11歳)、なんとなく、二コラとマノンに似ている。
フランス人なのに、その子たちもぼくを見つけて、何か思いあたることがあるのか、最初、こそこそ、と耳打ちしていた。
それから、たびたび、浜辺を散歩していると、その子たち、と会うようになる。そこが彼らの遊び場だったのだから、当然だろう。
彼らはビーチ・キャッチボールをしたり、ビーチゴルフをしていた。
で、ある日、そう、夏のことだ。
その子たちのお父さん、お母さんと出会った。
彼らは浜辺でピクニックをしていた。
子供たちがぼくを見つけて、手を振った。ぼくが振り返すと、まずは、お父さんが立ち上がり、手招きされた・・・・。
お父さんはクロード、お母さんはジェシー。クロードは映画007のダニエル・クレイグにそっくり。
奥さんは、ええと、アジア系なのかな?
最初は日本人かな、と思ったのだけど、違うなぁ。中国系かな、いいえ、わたし、韓国よ。なるほど・・・。
だから、お子さんたちの顔立ちが懐かしかったのか・・・。
「ひたなおさん、アペリティフしに来ませんか?」
ひたなお??? そういうメッセージが午後に飛び込んだ。
旅立った瀬戸内先生のことを考えていた物悲しい午後に誘われたので、それほど、親しい人たちではなかったけれど、今日はおとなしく、このご縁にすがってみようと思った。
一人酒で先生とお別れ会をしても、寂しいし、何かのご縁だろう、と思って、・・・。
ツイッターの返信欄にも、今日は飲んで、と書かれてあったし、じゃあ、飲むか・・・。
この4人の家族が住む家は、丘を登った中腹に立っていた。
「ひとなるさん、いらっしゃい」
ワインを一本抱えて出かけると、ジェシーが出迎えてくれた。ひとなる???
何をしている人たちなのか、詳しいことは分からなかったけれど、映画に出てきそうな、可愛らしく、温かい家族だった。
昔は、パリに住んでいたんだ、とクロードが言った。そこでジェシーと出会って、結婚をし、両親が暮らす、この土地にやってきたんだよ。
「へー」
「ひたなおさんは?」
「あの、ひとなり」
「ひーとーなり?」
「そう。ひとなり」
韓国版「冷静と情熱のあいだ」をネットで探し、見せたら、ああ、読んだことがあります、となった。そう、あはは、やっとわかってくれたね。そこからぼくは、
「スージーさん」
と呼ばれるようになった。スージー? あ、ちがうよ。つーじー。
「ムッシュ、スージー?」
ま、いいか。あはは。
日本語の名前は難しい、と言われた。確かに・・・。
今日、フランスは祝日なのだった。だから、子供たちが家にいた。
この子たちは、ピアノ教室、ゴルフ教室、水泳教室、英語の塾、数学の塾を終えて、家でぐったりしていた。ジェシーは教育ママだった。リサと一緒なのだ。
共通の話題が見つからないので、ぼくはずっと手持無沙汰だった。
ソファでワインを飲んでいると、
「スージーさん、ご飯食べていかない」
とジェシーに言われた。
「いや、いいですよ。明日学校でしょ?」
「大丈夫だよ、近くなんだから、這ってでも帰れるでしょ? ジェシーの手料理食べていってくださいよ。ぼくはちょっとプールに泳ぎに行って来るから」
「え? 今から、出かけるのに、ぼくだけここに残るの?」
クロードは笑いながら出ていった。今までよく知らなかった方々の家で、子供たちは二階にあがり、ぼくとジェシーと二人きりになった。
「きむちーを作るのよ。見る?」
「は、キムチって、あの韓国のキムチ?」
「ウイ、ウイ。来て」
キッチンに連れていかれると、大きなステンレスの入れ物の中に、たくさんの白菜が、・・・。おおおお、マジか。ここは、どこ???
意外な展開であった。英国海峡を前にキムチ・・・。
ジェシーは唐辛子の粉とか林檎とか洋梨とか砂糖とか、いろいろなものをジューサーにぶち込んで、キムチの素をまず、作った。
味見をさせてもらったけど、美味い。アジアンだった。
ジェシーはビニールの手袋をはめ、キムチの素を白菜に次々となすりつけていった。
「韓国のママの味よ」
「へー。何度か行ったことがあるよ。プサンロックフェスティバルにも出たことがある」
「なんで、作家なのに?」
「いや、もともとはミュージシャンなんだよ」
そこで、ぼくが昔の映像をYouTubeから検索したら、ジェシーが笑顔になり、子供たちを呼んだ。階段から駆け降りてきた子供たち。
「この子たち、ミュージシャンになりたいのよ!」
子供たちが携帯を覗き込んできた。
「スージーはミュージシャンなのよー」
ジェシーが言った。
下の子は、二コラにそっくりだったので、変顔をしてみせたら、大笑い。すぐにぼくに懐いてくれた。変顔、と日本語で教えた。
そこに、プールから戻ってきたムッシュが合流をする。ぼくらはセーヌ川ツアー&ライブの映像をソファに並んで座って、一緒に見た。
アップライトのピアノが置いてあったので、ぼくはそれを弾いて、歌った。
人の家で何をしているのだろう、と不思議だったけど、楽しいことで気が紛れた。
クロードがワインを持ってきて、ぼくのグラスに注いだ。
ぼくは「ZOO」を歌った。愛をください。愛をください・・・。知らない曲なのに、みんな笑顔になった。今日は楽しまなきゃ、、、
完成したキムチの浅漬けを中心に韓国の料理が並んだ。
「スージーさん、食べてくださいね」
「ツージー」
「スージー?」
ま、いいか。
ぼくはこの西フランスの片田舎で、近所の家族の家に招かれ、韓国のご飯を食べていた。こんなことが、突然、起こるのだから、人生というのは、まか不思議である。
瀬戸内先生はもう、いない・・・・。まか不思議だった。
「クロード、キムチ食べれるの? 子供たちも?」
「みんな大好物なんだよね」
「へー」
「ぼくが苦手なのは、韓国ドラマだけ」
あはは。ぼくらは笑いあった。
つづく。