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退屈日記「ボンジュール、辻仁成の冬ごはんの撮影依頼を受けて悩んだ、父ちゃん」 Posted on 2021/11/05 辻 仁成 作家 パリ

某月某日、NHKBSの「ボンジュール、辻仁成の秋ごはん」について、ぼくは撮影前に、「二匹目のドジョウはいないかもしれない」とここに書いたし、制作会社のLさんにも、自分で撮影しておきながら言うのもなんですが、「誰が観るんですか」とお伝えしたのだけど、放送日前に、すでに、Lさんから、なんとなくだけど「冬ごはんもやってもらえないか」みたいなことを打診されていて、やり取りのメールは見せられないのだけど、「ぼくは疲れたので、無理です」とお断りも一度はした。
というのは、日記を読んでくださっている皆さんはご承知の通り、ぼくは気分の上下が激しく、モノづくりと日常とコロナの間で必死だから仕方ないのだけど、もし、冬ごはんを受けると、撮影は12月のクリスマスとか、元旦とか、そのあとにやってくる息子の誕生日まで、ぴったりとカメラがくっついてくる(というかぼくも握りしめている)ことになるので、自信もなかったのだ。
なので、Lさんはぼくに断られて、放送日までしゅんとなっていた模様で、彼女から連絡が一時期一切入らなくなった。
でも、実際、本上まなみさんのナレーションの入った完成版をみた、ぼくの親戚や友人やフォロワーの皆さんからの反響はよくて、冬ごはんも観たい、という意見が確かに多かった。
オンデマンドのランキングでも、ずっと上位に入っていたらしく、そしたら、おととい、意を決したLさんから、ついに再度本気の撮影依頼のメールが届いたのである。

退屈日記「ボンジュール、辻仁成の冬ごはんの撮影依頼を受けて悩んだ、父ちゃん」



ぼくは悩んだし、息子も受験だから、もうカルボナーラは作らないだろうし、そんなのでも、いいのか、とラインで返事したところ、「息子さんでなくても大丈夫ですし、無理していろいろなことをやらないでも大丈夫です。そのままのご自分を自撮りしてください。ディレクターの西山義和を信じてくだされば絶対大丈夫」と言われ、わかりました、とお伝えしたのが、昨日であった。
(勝手に発表しているけど、いいのだろうか・・・)
実は、西山さんは誠実な人で、YouTubeライブの時にECHOESの「ジェントルランド」をリクエストした人がいたけど、その中の一人だった。
「愛されたいと願っているぼくらはこの町のキッチンで」とサビを少しかえて歌ったのだけど、きっと、その時のぼくの気持ちだったのだと思う・・・。
父ちゃんは、子育てと家事と仕事の合間で、夢を追いかけながらも、寂しいなぁ、と毎日思ってはいる。
時々、疲れ切って、死にたい、消えたい、とも思うこともある、・・・。
でも、生きなきゃ、とすぐに立ち直ってもいる。
そうだ、いつも、真夜中のキッチンで・・・。

退屈日記「ボンジュール、辻仁成の冬ごはんの撮影依頼を受けて悩んだ、父ちゃん」



でも、やると決めたら、ぼくは納得するものを作りたい派なのだ。
春ごはんから、はじまり、秋ごはんも、出来て、ついに、冬ごはん、である。
そう思うと、確かにシングルファザーをやりはじめて8年が過ぎ、息子が受験を控え、彼の巣立ちまでを自撮りで追いかけるこの番組は、ある意味で、自分の今を残すドキュメンタリー作品であるし、老後の愉しみにはなるかもしれない。
20年後、ぼくが生きていたら、あのコロナの時代に、よくもまぁ、こんなにもご飯を作ったものだ、と思うだろうし、また、作るんだろうな・・・。
でも、ぼくのスタンスはさらに明確で、無理な撮影はやらない。
撮影は生活の二の次で、自撮りがメインで、この日記との連動でゆるやかに進むのだろうなぁ、と。
昔、「絵日記」というのがあったけど、きっとNHKの「ボンジュール、ごはん」シリーズは、ぼくの映像詩日記なのかもしれない。
老後のために、撮影しておいて、損はない、ともう一人のぼくが耳打ちしたのであった。
フランスの親善大使にもなったことだし、フランスの美しい冬景色を皆さんにも、もっと、知ってもらいたいとも思う。
うつりかわる人生のかたわらで・・・。

退屈日記「ボンジュール、辻仁成の冬ごはんの撮影依頼を受けて悩んだ、父ちゃん」



実は、昨日の午後、大声を張り上げた。
昨日の日記で書いた通り、ぼくはオランピア劇場でライブをやりましょう、と炊きつけられ、夢を失いつつあったぼくはそれに飛び乗ったのだけど、蓋を開けると実現できるわけもない現実があった。
悔しい、と思って、掃除機を持った状態で、仁王立ちになり、大声を張り上げたのだ。
炊きつけた人たちには分からないことだろうけど、これは、悪い意味じゃなく、ぼくは諦めない、と自分に言い聞かせていた。そのハザマで、震えたのである。
実は、カメラを回せない、現実の自分がもう一人いることを、思いながら、番組をみてもらいたい。
カメラを回す時は、こういう時代だからせめて笑顔で、と思っているけど、本当は泣きたい時も叫びたい時もある。
異国で生きてるから、理解者や仲間は増えているけど、死んだサトシのようないざという時に、深い話しができる人が少ない。
なので、自撮りをしている時、ぼくはけっこう、素で向き合っている。
友だちに語るような自分の中のやさしさを感じる瞬間もある。
今朝、ディレクターの西山義和さんから、以下のメールが届いた。勝手に掲載させてもらうけど、本文のまま、である。(あとで消すかもしれない・・・)

退屈日記「ボンジュール、辻仁成の冬ごはんの撮影依頼を受けて悩んだ、父ちゃん」



『辻さんのご意志次第なので、「やりたくない」、
と言われたらそれまでかなと、正直思っていました。
そんな中、また辻さんと遠隔ながらご一緒できることが素直に嬉しいです。
ありがとうございます。

「秋ごはん」、おかげさまで、引き続き好評のようです。
カルボナーラのシーン、僕は、あのシーンに行くまでの
辻さんの葛藤や息子さんとの食卓の変化があるからこそ、
みなさんの記憶に残っているのでは、と思っています。
決して、カルボナーラのシーンだけが際立っているのではなく、
一つの物語として成り立っているからこそのいいシーンなんじゃないでしょうか。

春、秋とやってきて、思ったのは、
辻さんの語りやブログなどを盛り込んで構成する全体的なトーンが
不思議な空気感を生んで一つの番組として成立しているところが
色々な人に受け入れられたのかな、と。
あんまり見たことないですからね、このような番組は。
冬もこれまでの番組を踏襲しつつ、よりよいものにしていきたいと思ってます。
お忙しいところ、またまた撮影などご苦労をおかけしますが、
引き続きよろしくお願いします。

西山義和』

退屈日記「ボンジュール、辻仁成の冬ごはんの撮影依頼を受けて悩んだ、父ちゃん」



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