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滞仏日記「ぼくは朝夕、パリのカフェで、そこで生きる人たちに囲まれて」 Posted on 2021/10/28 辻 仁成 作家 パリ

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某月某日、快晴で、いつまでも家に引きこもってもいられないので、朝、散歩に出た。
行きつけのカフェに顔を出し窓際の席に座ったら、多分、有名な映画俳優のムッシュ(名前が思い出せない)が隣の席にいて、目が合った。
ぼくは皮じゃん、ブーツ、カウボーイハット、乗馬ズボンという出で立ちなので、だいたい、目立つ。
だからか、その俳優さんはいつも、笑顔で、やあ、元気かい、と挨拶してくる。
もう、一年くらいの顔見知りなのである。
でも、実は一度も彼とは話したことがない。でも、向こうが手を振るので、仕方がないのである。
きっと、誰かと間違えてるんだけど、そのうち、たぶん、ぼくと頻繁にあっているうちに、記憶が混ざって、今や、ぼくの顔が彼の記憶に焼き付いた。
「どうだい? 最近は?」とムッシュ。試すような感じで、声をかけられた。
「ま、ぼちぼちだね。日本には帰れないし」とぼく。
すると映画俳優は、日本人だったか、という顔をして、誰だっけ、と記憶をまさぐりはじめた。何か言いたそうな顔で、眉間をしかめたので、
「ジェラルドとの仕事は終わったの?」
と聞いてみた。
ジェラルドというのはリュック・ベッソンなどの映画の撮影監督をやっていた人物で、ぼくの小さな映画にも出てくれたことがある。
一緒に映画をやる予定もあったけど、それも頓挫した。
ぼくはこの人の出演した映画を思い出した。名前は思い出せないけど、カメラマンがたしか、ジェラルドだった。
「ジェラルド、だれ?」
「ムッシュ・ステランだよ」
「ああ、あのジェラルドか、いや、今回は違うカメラマンだよ」
この映画俳優は一生懸命、ぼくのことを思い出そうとしている。知ってるわけはないので、このいたずらはここまでにしておいた方がよさそうだ。
ぼくは給仕に、カフェオレね、と注文をした。
ぼくがカフェオレを飲みながら、本を読んでいると、映画俳優がぼくの肩を叩いて、じゃあ、またな、たまには一杯やろう、と言い残して出ていった。
いいね、とぼくはウインクをしておいた。人生というのは真に面白いものである。
でも、きっと、いつか、どこかで繋がるのだと思う。そうやって、いつも友だちが増えていく・・・。

滞仏日記「ぼくは朝夕、パリのカフェで、そこで生きる人たちに囲まれて」

滞仏日記「ぼくは朝夕、パリのカフェで、そこで生きる人たちに囲まれて」



ぼくの周囲の人はみんな、携帯などでオンライン会議をやっている。ほとんどビジネスマン、または、政府関係の人たち・・・。
オフィスに行かないでもいい時代だから、カフェのテラス席がオフィスになっている。
会社員が昼間っから、カフェで仕事する時代が今だ・・・。
「ムッシュ、ツジー」
振り返ると、肉屋のロジェが、サーモン屋の主人と2人でコーヒーを飲んでいた。ロジェはエリゼ宮などにも肉をおろす、パリでは名のある肉屋のおやじである。
「やあ、ロジェ。ところで、あの、鴨のソーセージは?」
「いいタイミングだ、さっき、出来たばっかし」
「おお。じゃあ、帰りに、寄るね。あれ、美味いよ」
サーモン屋のおやじさんとはまだ面識がない。ここはサーモンとキャビアを売ってる。
「ところで、NHKの撮影は終わったの?」
あ、そうだ。ロジェにまた出てもらったのだけど、その部分が使われているか、わからないので、うやむやにしておくことにした。
編集権がないので、ぼくは放送されるまで中身がわからない。だから、いいか悪いか、何とも言えない。撮影期間が短かったので、どうなんだろう、・・・。
「終わったけど、ぼくは知らないんだ。放送局で勝手に作るから」
肩をすくめておいた。
撮影しても、その部分が使われないと、いちいち、言い訳というか、謝らないとならないので、面倒くさい。もう、知り合いを出すのはやめたい・・・。
ロジェは笑ってくれた。
ぼくは、イタリア食材店に行き、パンとかオリーブオイルとかプロセッコとかを、買って帰った。ランチは、イタリア風ランチプレートにする。
ゴルゴンゾーラとパルメジャーノの古いのがあったので、それを処理するために、ペンネ、しかも、ちょっとずつ残ったペンネをミックスして、なんだかわからないチーズ・パスタを作って、息子と食べた。
イタリア料理にはやっぱりプロセッコがあう。
昼食後、ぼくはギターの練習をした。小説を書かないとならないのだけど、筆が重くて、持ち上げられない。ギターは軽くて、つい、ギターを抱えてしまう。あはは。

滞仏日記「ぼくは朝夕、パリのカフェで、そこで生きる人たちに囲まれて」

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夕方、夕食の買い物をしないとならないので、散歩に出た。
歩いていたら、ムッシュー、と声がした。ブリュノとリコとドラガーが別のカフェのテラス席を温めていた。。
ブリュノは政府関連の館の管理人をしている。このあたりでは一番大きな屋敷を任せられてる。彼はたぶん、マリとかコンゴとか中央アフリカの出身で、大の日本贔屓である。
「見ろ、最高のコンテだ。食べていきなさい」
「いや、お腹、空いてないんだよ」
「いいから、若いのに、ダメだよ、食べなきゃ」
若くないのだけど、ブリュノよりはきっと若い。セルビア人のドラガーは78歳くらい、ブリュノもそのくらいかな・・・
アルジェリア系フランス人のリコが、「ぼくはパンをギフトする。これはリュステックというんだ」と言って、美味しそうなパンを差し出してくれた。
ブリュノがナイフで、コンテ・チーズをカットし始めた。仕方なく、ぼくは座った。そこに、不動産屋のブノワがやってきた。
「チーズを食べていきなさい」
ブリュノが命令をした。ブノワさんの息子はうちの子と同世代なのだ。
ぼくらは握手をした。衛生パス? 朝のカフェも、ここも、誰も、パスを出せとは言わない。みんな握手をしている。コロナはどうした? まだ終わってないのに・・・。
そろそろ、コロナが再び感染拡大するかも、・・・用心しなきゃ、とぼくは思った。
そこにモロッコ人のナジャも加わった。ナジャは30歳くらいかな・・・。元気で、ぶりんぶりんのハイパーガールだ。
いったい、何の会? この大騒ぎはなに?
「そりゃあ、ツジーを囲む会だよ」とリコ
みんな、大笑いになった。もう、滞仏、20年だものな、知り合いが多くなった。
「ムッシュ、あんたミュージシャンなんだって? この間のライブをピエールが見たと言ってた。すごいな、ぼくも音楽は大好きなんだ」

滞仏日記「ぼくは朝夕、パリのカフェで、そこで生きる人たちに囲まれて」

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ブノワが、80年代のフレンチロックの話しをしはじめた。テレフォンとか、ルノーとか、ま、フランスのECHOESみたいなバンドの名前が飛び交った。
ぼくはお腹いっぱいだというのに、チーズとパンと赤ワインを食べないとならなかった。それが、美味いのだ。まいったな。
なんか、抜け出せない感じになった。
「ツジー、あんたのバスライブの映像見たわ。わたし、今度ライブ行きたい。教えてよ」
「ほー、君はミュージシャンなんだ。どうりで、恰好が普通の人とは違う」
「ヒトナリ、あなた、髪の毛、カットしたでしょ? その方がだんぜん、いいわよ」
ドラガーが怖い顔で、ぼくの髪の毛を指さし、言った。セビリア、マリ、モロッコ、アルジェリア・・・。みんな愛すべき、我が町の仲間たちだ。
パリは人種のるつぼで、もちろん、白人だけしか集まらない排他的な店もあるけど、ま、隣の店はちなみに、超白人のおじさんだけが集まる店、もちろん、ぼくはそこにもたまに顔を出す。でも、その辺が次の大統領選挙の争点になるかな・・・。
今、ぼくの周りを囲んでいる人たちはどちらかというと移民系。そして、朝、カフェでぼくを囲んだ連中は伝統的な白人社会の人たち・・・。
仲がいい世界もあれば、交じり合わない世界もある。
ぼくはチーズを赤ワインで胃袋に流し込んだ。

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