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滞仏日記「家事に疲れた父ちゃん、家政婦さんの協力がどうしても必要なのだ」 Posted on 2021/10/17 辻 仁成 作家 パリ

地球カレッジ

某月某日、ぼくは8年近く、シングルファザーをやってきた。
3人家族だった頃は、週三日通ってくれた家政婦さんもいたけど、その人も高齢になり、7年ほど前に、引退した。
特に、コロナ・パンデミックの時期はまったく、人を家に上げることもできなかった。しかし、疲れた。へとへとなのである。
ぼくも60歳を超えた。全部ひとりでやるのは、正直、きつい・・・。
世の中は、ワクチン接種が進み、感染者数も激減してきた。
息子は大学受験の難しい時期に差し掛かり、父ちゃんは年齢的にも、家事をやりながら仕事をこなすのは、限界なのである。
まだ、コロナが完全に収束していないので、人を家にあげるのは若干怖いのだけど、家政婦さんをここで雇わないと自分の健康は維持できないかな、と考えるに至った。
とはいえ、誰でもいいわけじゃない。難しい受験生がいるのだ、誰でもいいわけじゃない・・・。
ここ、一月ほど、近所の仲間たちの協力を得て、情報を集めていた父ちゃん、今日、モロッコ人のファティマ(仮)さんとカフェで待ち合わせた。

滞仏日記「家事に疲れた父ちゃん、家政婦さんの協力がどうしても必要なのだ」



時間、ちょうどに、ぼくは着いたが、ファティマはいなかった。
どんな人だろう、と待っていると、5分ほどして、ブブカをかぶった女性が遠くからゆっくりと近づいて来て、
「ムッシュ、ツジーですか?」
と言った。
ぼくは立ち上がり、お辞儀をした。物静かな人だ。ぼくの前に座った。
絵に描いたようなモロッコのお母さんで、感じは悪くない。
挨拶をして、すぐさま、本題に入った。
「月曜日と金曜日、二時間程度やってもらいたいのですけど」
「平米数は?」
ぼくが自宅の広さを伝えると、広いですね、と一言・・・。
「それだと、3時間から4時間はかかります。それと、私がいま、手一杯なので、月曜日と金曜日なら、知り合いの男性を紹介できます。私の仲間で信頼できます」
「男性ですか? できれば、女性の方がいいですけど」
すると、ファティマがくすくすっと、笑った。はじめて見せた人間らしさで、いい感じの人だな、と思った。
「あの、別に性差別するわけじゃないんですけど・・・その・・・」
なんとなく、息子の部屋とかをむくつけき男性が掃除をしているのも、ちょっと、なんとなく、イメージがわかないかな、というか、えへへ・・・。うーむ、どうしよう。
結局、ファティマが月金は出来ない、という結論になり、一度持ち帰らさせて貰うことにした。ぼくの感だけど、ファティマは違う、かな・・・。



ファティマを紹介してくれたのは、この界隈で管理人たちを束ねるアフリカ系のブリュノさんだ。
もう、相当におじいちゃんだけど、非常に知的な紳士で、大の日本好き。
彼は街の一区画を独占する大屋敷の管理をやっている。
もう一人、ポーランド人のドラガーさんという管理人のおばあちゃんともぼくは親しい。2人とも、カフェ友である。
すぐに、みんなと仲良くなる性格が、こういう時にめっちゃ役立つ・・・えへへ。
ドラガーにはたまに、ワインをご馳走してあげる。
ぼくの母親くらい高齢なのに、一生懸命、働く管理人さんで、ガスとか電気のことを何度か相談したこともあるし、そうだ、ぼくの車を(ぼくが旅行に出るので)こっそりと彼女が管理する建物の駐車場に停めてくれたこともある。
ドラガーは、何か言っても、あー、そうなの、へー、しか呟かない。しかも、ブルースシンガーのようなつぶれた声で・・・。
アメリカのロードムービーとかに出てきそうな、テキサスあたりで飲んだくれてるおばあちゃんみたいな風貌だけど、彼女もブルージーで、かっこいい。
睨みつけるような目つきをしているけど、笑うと、可愛らしく、その怖い目が撓る。
かなり、ぶっきらぼうだけど、心優しいのは伝わってくる。
道端に佇み、いつも祖国の方ばかり見ている。
そこにぼくと同い年の息子さんがいるのだ。
彼はギタリストなのだけど、最近、手を怪我されたらしい。
心配なのよ、と声を詰まらせたことがあった。財布の中に入っている縁の切れた写真も見せられた。
ぼくと同じ年で、ギタリストで、ああ・・ぼくの母親と重なる。
でも、ぼくの母親より、うんと元気なのだ。
なにせ、大きな建物を住み込みで管理しているのだから・・・。

滞仏日記「家事に疲れた父ちゃん、家政婦さんの協力がどうしても必要なのだ」



ファティマとの話しがまとまらなかったので、2人に連絡をいれ、他に誰かいないか、ともう一度相談をしてみた。
「一人、うちの建物に住む元大臣の家政婦をやっているフィリピンのカップルがいるわ。あなたがよければ、紹介するけど」
「ご夫婦ですか?」
「でも、奥さんは懐妊中だから、今すぐできるのはご主人の方かしらね」
「男性かぁ。男の人はちょっと、・・・どうですかね」
「でも、彼は細やかな仕事をするし、雑じゃないわよ。信頼できるし」
「ええ、あなたが言うのだから、間違いはないですね。一度、会ってみたいです。仕事ができないので、急ぎで家の仕事をお願いしたいんです」
この際、男性でもいいか、と思った。なんとなく、慣れれば、性別は関係ない気もする。
「わかった。月曜日に」
ブリュノにも電話をしたら、残念だったね、と言った。
「でも、ムッシュ、他にもいるから、がっかりしないで。月曜日に他の人を探してみるよ。ぜったい、いるから、必ず、見つける」
カフェ友は心強い。地元には地元のルールがある。
ぼくは街の顔役や、チンピラから、紳士淑女までみんなと仲良しになる。
だから、こういう時にいつも街の人たちが力を貸してくれるのだ。
そうだ、きっと、助けてくれる・・・。

滞仏日記「家事に疲れた父ちゃん、家政婦さんの協力がどうしても必要なのだ」



家に帰り、ぼくは掃除をやった。
大変な仕事である。だいたい、2時間で30ユーロの謝礼を払う。もし、週2回雇うと、月で240ユーロという計算だ。
ぼくにとっては有難い協力者だ。その時間を仕事や料理に回すことが出来るからである。
とりあえず、月曜日を待つことにする。そこにブリュノからSMSが入った。
「モロッコ人の女性が見つかった。ハナネという人だよ。若くはないけど、いい人だ。いい人だよ」

つづく。

滞仏日記「家事に疲れた父ちゃん、家政婦さんの協力がどうしても必要なのだ」



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