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滞仏日記「見かたを変えることで、見えてくるもう一つの世界」 Posted on 2021/09/08 辻 仁成 作家 パリ

某月某日、忙しいと言えば、とっても忙しいし、暇じゃんと言えば、日本に戻れないので、暇だから、原稿書いたり、歌の練習したり、家事と子育てに明け暮れる毎日なのだが、今日は、韓国と中国から業界の方々が来仏し、一緒に食事をすることになった。
韓国のFさんのいきなりの「日中韓外相会談みたいですね」という一言に凍り付いた。
その横で、中国のTさんがクスクスと笑っている。ちなみに今日は英語なので、仏語よりも理解力が落ちるところは想像力でカバーしたい。
彼らとは直接、関係ないけど、ぼくは韓国や中国とテレビドラマ化の契約を交わしている。今、一番現実的に進んでいるのは「冷静と情熱のあいだ」だけど、でも、どんなものになるのか、全く想像もつかない。
韓国で作り、中国での上映が決まれば、こんな時代に、大変な話しになるかもしれないが、そういう世界に口を出すと痛い目にあうのを心得ているで、契約金も貰ったことだし、関知せず、ぼくはそれが世に出る先の日を楽しみにしている。

滞仏日記「見かたを変えることで、見えてくるもう一つの世界」



そうやって契約を交わして実現できなかった作品も結構あるので、今現在は、何とも言えないけど、そういう制作をやっているFさんとTさんとは情報交換みたいな、会合かもしれない。
今のぼくはアジアのマーケットがどういう感じで推移しているのかもわからないし、情報交換は大事だ。
で、Tさんが予約してくれたレストランがすごかった。安藤忠雄さんが関わったことで話題のピノ財団の美術館、ブルス・ド・コメルスの最上階(3F)にある、レストラン「La Halle aux Grains」だった。
行きたいと思っていたので、その誘惑にも負けて顔を出すことになる。
デザインストーリーズでもここの記事を配信しているので、興味ある方は見てほしいが、一見の価値ある、素晴らしい美意識と世界観で、いや、ぼくはレストランに行っただけなのに、回廊を歩きながら、垣間見えた美術館のたたずまいに心が躍った。

ブルス・ド・コメルスの記事はこちらから⬇️
https://www.designstoriesinc.com/europe/bourse_de_commerce_pinault/

滞仏日記「見かたを変えることで、見えてくるもう一つの世界」



実は、FさんTさんとは初対面なのである。
今は、ZOOMとかTEAMでやり取りできるから、会う必要はないのだけど、彼らは世界を股にかける業界人なので、やはり、スケール感が半端ない。
Tさんは、ドイツやマルセイユに親友がいて、ロンドンにもオフィスがある。
こういう人たちのスケール感を味わいたいから、のこのこ、出かけてきたというのが本音かもしれない・・・。
Fさんは皮肉屋だけど、根はやさしい人だと思った。次々にかましてくる言葉の礫の端々に、思いやりが溢れていた。
Tさんは博学で、好奇心が強く、その好奇心を中心に洞察し、行動をする、しかし、感動屋さんでもあった。初対面だったが、居心地はよかった。
しかし、皮肉やエスプリに負けないよう、圧倒されないよう、ぼくはぼくで胸をはって、堂々と接することにした。
初対面ではあったが、メールやZOOMで長くやりとりをしてきたし、Tさんなどはぼくの作品をすべて母国で読み込んできてくださっていて、しかも、たとえばこの日記なども、
「毎日、欠かさず、翻訳機にかけて読んでおります」
と嬉しいことを言ってくれた。日本語を勉強されているのだそうだ。
Fさんも韓国版の「白仏」を機内で読んできてくれた。夢中になって、止まらないんです、とお世辞を言ってくれた。
この作品は、日本がロシアの艦隊に勝利するところから始まるので、ちょっと心配したけれど、戦争に反対する作品の本質を理解してくださったようで、安堵した。



ところで、料理の一皿目、というか、多分、アミューズだろう、水が出てきた。
フィンガーボールかな、と思ったら、トマトのブイヨンであった。
透明なので、見た目、水にしか見えない。
どうやって、飲むのか悩んでいたら、給仕が、手で抱えて飲んでください。抹茶みたいに、と言った。
ぼくは吹き出しそうになった。

滞仏日記「見かたを変えることで、見えてくるもう一つの世界」



仏語が理解できない2人に教えたら、やはり、目を点にしていた。
いろいろな料理が出てきたが、もう一つ、気になったのは、アリゴというトムと呼ばれるチーズをいれたジャガイモのピューレをオーブンで焼いたもの。
ちなみに、これは付け合わせ、である。メインの料理の横に添えられてきたもの・・・。
昔からある料理だけど、オーブン焼きは珍しい。もちもちして、美味しかった。

滞仏日記「見かたを変えることで、見えてくるもう一つの世界」



メインの子羊のオーブン焼きもいかにもフレンチにふさわしい貫禄、悪くなかった。でも、あまりに豪華すぎて、ぼくが頻繁に来る店ではないだろうな、と思った。
ボリュームの割りには、この一等地の最上級のレストランで、コースが58ユーロという値段は、しかし、観光客にはかなり魅力。
うちの近所のちょっと名のあるレストランだとメイン一皿で、4,50ユーロはとられる。6皿くらい出て、この料金は破格かもしれない。日本円で7千円くらいだから、・・・。
シェフは、フランスを代表するミシェルとセバスチャン・ブラス親子である。
「美味しいです」
Fさんが幸せそうに言った。
「今回のパリ滞在中で食べた店の中では野心的で面白いと思いました」
美食家のTさんにご招待していただかなければ、経験できない会であった。
ぼくらはコロナ禍のこの世界で、どうやって映像エンターテインメント作品などを手がけていくのか、など、番組作りの難しさや、国をこえた仕事の仕方など、大変、役立つ意見交換を繰り返すことになった。



「辻さんの日記、なんでか、毎日楽しみにしているんです」
Tさんが日記に話題を振った。
「どこまでが本当の話しなんでしょう? というのは毎日、いろいろなことが起こって、目が離せなくなる」
おっと、鋭い質問である。
Fさんが翻訳機を取り出して、日記を訳しだした。それは昨日の午後の日記「穴の開いた靴下の話し」であった。
「あの、実はみんな同じような凄い出来事を毎日経験しています。ただ、意外と人生の凄さに気づいていません。素通りしている。育児、家事、夫婦喧嘩、親子喧嘩、進学問題、就職問題、老後問題、更年期障害、鬱気味の日々、これらは大作が書けるほどのテーマ性を持っています。日常というのは、時に、大事な出来事にブラインドをかけてしまいます。だから、その都度、ぼくは立ち止まり、自分に降りかかった出来事を考察し、ひも解き、過去の記憶と結び付け、世界情勢と絡め、コロナ禍との関係も見極め、未来の世界の在り方まで空想しながら、小さな読み物にしているのです。読者の皆さんには、日記であり、小説のようでもあり、エッセイでもある、と説明していますが、根本にあるのは全部、ぼくが経験し、感じたことです。ただ、ぼくが言いたいことをぼくの人生の中で凝縮し、拡大し、活字にすると、見えていたものと少し違う世界が生まれるという仕組みです。息子の靴下に開いた穴から、ぼくと息子の関係、歴史、親子の在り方が読めるでしょう。反発もあるでしょうが、同じか、それ以上に、共感もあり、感動もあるでしょう。それが作家の仕事だからです」
Fさんが、私のことは書くのでしょうか、とうっすら笑いながら、鋭く呟いた。
ぼくも笑った。
「どんな風にでも書けますよ。つまり、人間はある一方向からしか見なければ、ある人にはそれしか映りません。でも、ちょっと角度を変えると同じ人間が別人に映ります。政治、愛、憎しみ、など様々なものをそこにあてはめることが可能な書き方なのです」

つづく。

滞仏日記「見かたを変えることで、見えてくるもう一つの世界」

※ この光景は、ぼくがカメラを構えた次の瞬間に起こった現実世界である。
これは奇跡か?
いいや、そうじゃない。



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