JINSEI STORIES

滞仏日記「関節が痛いし、お腹もいたいし、超だるいのだ。風邪?」 Posted on 2021/09/01 辻 仁成 作家 パリ

某月某日、なんか、起きたら、いつもと調子が違う。
何が違うのかわからないのだけど、微かに節々が痛い。
でも、熱はない。喉も痛くない。
しかし、すごくだるい。
それと、お腹が変なのである。ちなみに、味覚はある。
でも、もし、コロナだったら、大変だから、まずオトテストという自宅用のCovid19用、抗原検査キットがあったことを思い出したので、探してやってみることにした。
症状は風邪に似ている。
専門家じゃないので、とにかく、テスト!
鼻に綿棒を突き刺し、溶液の中で一分混ぜ、検査装置の中に4滴いれた。
10分後、「陰性」という結果が出た。
とりあえず、問題ない、か・・・。
しかし、偽陰性ということも考えられるので、様子を見ることにして、葛根湯、ドリプラン(妊婦さんものめる痛み止め)、胃薬を飲んで、横になった。

滞仏日記「関節が痛いし、お腹もいたいし、超だるいのだ。風邪?」



「パパ、ちょっと体調が変だから、コロナだといけないので、自主隔離するから、ご飯自分で適当に考えて食べて。冷凍庫にいろいろとあるから」
これはなかなかいい手である。
コロナだったら、うつすわけにはいかないから、家事はできない。
ジャージに着替えて、ベッドの中にもぐりこんで、寝た。
なんか、もしかしたら、胃に優しいおかゆとか作って持ってきてくれるかもしれない、と微かな期待を抱いて、病人の父ちゃんはベッドで寝ていたのだけど、音沙汰がない。
ドアが閉まる音がしたので、どうやら出かけたようだ。
友だちとランチでもするのか・・・。見捨てられた。



しかし、病人は心細い。
そういえば、三日前、イタリアレストランのギャルソンが鼻をぐすぐすさせていたっけ。
衛生パスを持っているので、コロナではないとは思うけど、最近、ワクチンは数か月で4分の1くらいに抗体が減るという噂もあり、あれがコロナだったら、一貫の終わりだ、とよからぬことを考えた父ちゃん、メンタルが弱いので、急に体調が悪化していく気がした。
そうだ、ママ友に電話して、相談をしてみようと、思い、ソフィに連絡をしてみた。
「コロナ? オトテストで陰性だったんでしょ?」
「うん。でも、偽陰性もあるし」
「じゃあ、そんなに心配ならPCR検査に行けばいいじゃん」
「あ、そうだね。そこで陰性なら、100%コロナじゃないな」
「風邪よ。きっと」
「でも、もう3年くらい風邪なんて罹ってないし。風邪のウイルス、コロナの縄張りで活躍できるの?」
「そういう考え方、はじめて、どうかな? 風邪もコロナの一種でしょ? 縄張りとかあんの?」
「ペルーはラムダ株だらけで、デルタ株は2%くらいだってよ。ラムダ社会に入れないんだよ」
「医者でもないのに、適当なこと言わない方がいいよ。君。とっとと薬局行きなさいよ」

滞仏日記「関節が痛いし、お腹もいたいし、超だるいのだ。風邪?」



セキュリティソシアル(社会保障)のカードを握りしめて、着替え、駅前の薬局に行き、ちょっと検査してもらえますか? と申し出たら、すぐにやってくれた。
フランスは無料で、薬局とか街角の検査テントで、受けることが出来る。
かなりの検査場がそこらへんの街角にある。しかも、この時期、ガラガラだ。
「辻さん、陰性ですね。ほら、陰性。間違いなし」
「じゃあ、この節々の痛みって、なんでしょうかね?」
「うーん、風邪ですかね。熱は?」
「ありませんが、お腹下しているみたいです」
「ほー。食中毒とか、なんかのバクテリアとか、へんなもの食べましたか?」
「生魚を昨日食べたのですが」
「とにかく、熱もないし、コロナじゃないから、温かいものでも飲んで、ゆっくりしてください」

滞仏日記「関節が痛いし、お腹もいたいし、超だるいのだ。風邪?」



コロナじゃない、ことが確定したいので、家に帰るのもバカらしくなり、駅前のカフェ、ドゥ・マゴに立ち寄り、消毒作用のあるミントティを飲むことにした。
ここはぼくの行きつけのカフェの一つで、昔はフランスの作家のたまり場であった。
目の前のサンジェルマンデプレ教会を見上げて、お茶をしていると、うちの息子が目の前を過っていった。
最初気づかなかった。なんか、にやにやしている奴がいるなと思ったら、な、なんと、愚息だった。
「何してんの?」
「学校はじまるからさ、本とかノートとか買いに」
「ご飯は?」
「食べたよ。コロナは?」
「薬局で検査をしたら、違うって」
「相変わらず、人騒がせだね。昼食代、貰える? 外で食べたから」
ぼくは財布から10ユーロを取り出し、手渡した。くそ、損した。
「じゃあね」と息子が去っていくと、前にいたちょっと高齢のご婦人がぼくの方をじっと見て、日本人ですか、と日本語できいてきた。
まただ、と思った。
ぼくは微笑んで、頷いた。
日本語を学んでいる人がフランスは多いので、先日はこの隣のカフェ・ボナパルトで「徒然草」の研究家の人に声かけられた(前の日記に譲る)し、いちど、イナルコ外国語大学に教えに行ったら、3000人の全生徒のうち、日本語学科は1000人もいるって、えええ、就職あるんか、と心配になった。
「日本語、お上手ですね」

滞仏日記「関節が痛いし、お腹もいたいし、超だるいのだ。風邪?」



お婆さんと言ったら、失礼な感じだけど70代前半という感じの二人かな。
「日本が好きで、大学で日本語学んで」
と片方のマダムがそういうのだ。
こりゃあ、敵わないな、と思った。
「さっきの、息子さん?」
「そうです。パリで生まれて、ずっとこっちの教育を受けてきました」
「フランスの教育はどうですか?」
「厳しいけど、いいと思います。でも、あとは本人次第かな」
「私にも、息子がいたの。彼はあなたの息子さんとは逆で、大学まで、京都の学校に通ったのよ」
「え? もしかしたら、京都のリセに?」
フランス教育相によって正式に承認された、日本にあるフランスの学校。東京と京都にある。
「ええ、そうよ。生徒数は少ないけど、いい学校でした」
「ああ、友だちの子供たちがいまも通っています。シルバン・カルドネル。知ってます?」
「ごめんなさい、わからないわ。私が日本にいたのもうずいぶんと昔だから」と笑われた。
でも、静かないい時間だった。
フランス人の話す、癖のある日本語だったが、優しく、たどたどしさが逆に、心に響いた。
日本が好きな人が多いというのは海外で生きるぼくのような立場のものには、心強いことでもある。
「15区の日本文化会館で17日に日本祭りという文化イベントをやるんですよ、よければ来てください」
とお伝えした。衛生パスがあれば入れますから、・・・。
「ソーラン節を歌うんです。民謡です。やーれん、そーらん」
マダムの顔がパッと明るくなった。やーれん、そーらん・・・。
知ってます。やーれん、そーらん・・・どっこいしょ!
どっこいしょ。どうやら、ぼくはコロナじゃないようだ。元気が出てきた。
どっこいしょ!
ぼくは、小一時間、日本について彼女らと話しをし、見送ってから、家路につくことにした。
いい出会いだった。

つづく

滞仏日記「関節が痛いし、お腹もいたいし、超だるいのだ。風邪?」



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