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滞仏日記「育児放棄か、気力が萎えて寝込む父ちゃんの魂の形」 Posted on 2021/08/23 辻 仁成 作家 パリ

某月某日、今日は快晴だったが、なんかだるくて、午前中一本、なんとか日記を書いたが(日記を書くことはぼくの気力の源なので、それをしなくなると危ない)、それは弟に配信を任せ、元気が出ない時は無理に出す必要はないので、その後も、ずっとごろごろしていた。
パリに残してきた息子のことを考えたけど、自分にはもうどうしていいのかわからないし、時の流れに身をまかせておけ、と不貞腐れて、寝続けた。
昼過ぎ、何か食べなきゃ、と自分に言い聞かせ、冷蔵庫を漁ったら、ネギと中国産のお揚げさんがちょっと残っていたので、それでカレー蕎麦を作って食べ、またベッドにもぐりこんだ。
還暦を過ぎて、こんなんじゃ、先が思いやられる。
しかし、同じような精神状態の人は多いはずだ、辛いのは自分だけじゃない、頑張れ、と自分で自分を励ました、日曜日であった。

滞仏日記「育児放棄か、気力が萎えて寝込む父ちゃんの魂の形」



携帯に、今日も息子から彼が作った料理の写真が届いた。
今日はどうやら手作りハンバーガーのようだ。
よく見ると、ハンバーガーは肉じゃなく、白身魚のフライである。
タルタルソースのような白いソースがパンズの間からあふれ出た一枚で、それはオーブンの中で温められている。器用になったものだ。
それにしても、こういう料理の写真を毎日送って来る、彼の精神状況がよくわからない。
昨日は4枚届いた。
やればできることを知らせたいのか、それとも? 
さて、いったい、どうなんだろう? 
でも、そこには何かを父親に訴えたい、彼なりのメッセージが感じられるし、前向きな意志さえ感じる。
ま、あれだけ、暴れたので、申し訳ないと思っているからかもしれない・・・。

滞仏日記「育児放棄か、気力が萎えて寝込む父ちゃんの魂の形」



息子がぼくにここまで強く歯向かったのは初めてのことであり、ぼくはその後、子育ての気力を一時的に喪失し、この旅に出たのだ。
これは自分を取り戻すための旅でもあった。
家事や育児を放棄したわけではないけど、ぼくは心底疲れ切っていた。
離婚した後の息子との向き合い方とかに不満があったのか、言いたいことが溜まっていたのは確かで、それが爆発した形となった。
結構、ショッキングな言葉が続いたので、ぼくは、びっくりしたのだ。
ぼくは必死で息子を育ててきたつもりだったし、親身になっていたつもりだったが、それがこういう風に理解されていたんだ、と思って悲しくなり、最後は涙があふれた。
あれから、ぼくは田舎にこもって、元気な時はドライブをしたり、海を眺めたり、して過ごしているけど、正直、傷は思ったよりも深く、なかなか癒されず、今日にいたっては、寝込んでいる。



ベッドの中で、ママ友のレテシアに電話で相談をしたら、
「やる気なくなるのはわかるけど、本当になくすのはよくないわよ」
と宥められた。
「うちの子なんか、もっときついよ。毎日、荒れてるよ。あなたの子は、優しい子だから、我慢しちゃって、だから爆発したのよ。我慢ってよくないでしょ? でも、考えてみて、それは自然な形なのよ。気にすることはない。その料理の写真は、いわば、彼からのラブコールなの。自分はここまでやれるっていうのを見せたかったんじゃない。わかる? いいことなのよ。それよりも、私は、ひとなり、あなたのことが心配よ。あなたこそ、頑張りすぎて、我慢しているところがあるだろうから、どこかでガス抜きをしなきゃ」
30分くらい、ぼくの悩みにつきあってくれたレテシア、いいママ友である。
子育てのことや、学校のことしか普段話すこともないし、ご主人のミゲルは陽気なメキシコ人なので、その件で、よくぼくはレテシアの愚痴を聞いてあげている。
そういう関係。持ちつ持たれつのある意味、ぼくにとっては彼女は逃げ場所でもあるわけだけど、でも、レテシアはぼくの妻ではないので、相談には乗ってくれるけど、こういう言い方がいいのかわからないが、とっても当たり前のことをいつも言ってきて、だから、電話を切った後、ぼくは救われた気持ちになりながらも、同時に、所詮、他人だもんね、とクールな心の感想が飛び出してしまうのも事実だった。
やれやれ。

滞仏日記「育児放棄か、気力が萎えて寝込む父ちゃんの魂の形」



次に起きたら、部屋の中がピンク色だった。なんだろうと思ってピンク色の光りの方へ行くと、それは夕陽であった。
ああ、凄い。真っ赤だ。
携帯をつけると、21時だった。
ついでに、息子からさらに送り付けられていたクリームパスタの写真を発見した。また、届いた。なんで?
帰ってこい、ということなのかもしれないな、と思ったけど、どうなんだろう?
ぼくは起き上がり、窓辺に向かった。凄い光りがあふれ出ていた。
窓をあけて、遠くの海を見つめた。

滞仏日記「育児放棄か、気力が萎えて寝込む父ちゃんの魂の形」



世界がこんなに大変なのに、ぼくは子育ての問題でこんなにも落ち込んでいる。
コロナで多くの人がつらい思いをしているのに、ぼくは子供が爆発したことで、親としての自信を喪失している・・・。
この夕陽は綺麗だけど、感動よりも、痛かった。
自分の傷口を見ているみたいで・・・。
でも、夕陽は沈み、地球を一周した後、明日の朝、山側から上ってきて、この空を再び明るくするのだ、と考えると、少しだけ、前向きになることも出来た。
くよくよしてもはじまらない。ぼくも夕飯を作らなきゃ、と思った。



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