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滞仏日記「死んだ父さんが毎晩ぼくの夢に出てきて訴えたこと」 Posted on 2021/08/20 辻 仁成 作家 パリ

某月某日、最近、不思議なことが起こっている。とくに、気にしていなかったのだけど、一週間くらい前から、気が付けば毎晩夢に、あの人が出ている。
そう、それはぼくの父さんである。
生前、辻信一という名前を持っていた。
毎朝、あ、なんか父さんがいたな、と思って目が覚めるのだけど、寝ぼけているからそこで父さんが何をしていたか、すぐに忘れていた。
でも、毎晩出るのはおかしい。
ぼくは父さんとはほとんど会話を持ったことがない。
ぼくの記憶の中に登場することは本当に稀なのである。
しかし、また出た。あれ? 父さんが毎晩出てるじゃん、と気づいた。
ぼくは真夜中に目が覚めた。父さんが昨日も、一昨日も、先週くらいからずっと夢に出ている。
なんでだろう、と思った。
そうか、お盆だった。



昨日のが、どんな夢だったかというと、空港のロビーにいて、息子とその仲間たちがいて(彼らはプロのミュージシャンのようだ)、で、息子がぼくに、
「パパ、パスポートがいるよ。それがないとぼくは飛行機にのれない。パパが持ってるでしょ」
と言った。
いつも、ぼくが保管しているので、そういう夢を見たと思うのが、なぜか、その場所に父さんがいて(座っている。椅子に)、誰か、よく見えないけど、同じような恰幅の男性が横にいて、それは前に、片柳さん(集英社の担当編集者さん)がなくなった三か月後にぼくの枕元に立った時にも誰かが横にいたのだけど、あっちの世界にはそういうルールがあるのか、一人じゃないのだ。もう一人、誰かがいる・・・。
「父さん、あの子のパスポート、持ってるでしょ?」
とぼくが言うと、
「ああ、そうだった」
と言って、父さんが胸ポケットを探す。
すると、なぜか、息子の仲間たちのパスポートが出てくるのだが、息子のがない。
隣の人も一緒にポケットの中を探していた。
もしかすると、たまたま、昨日、父さんの弟の潤吾さんのことを思い出したので(20年ぶりくらいに思い出したのだ)、あれは潤吾さんだったかもしれない。
そうだ、たぶん、そうだと思う。潤吾さんも20年くらい前に、他界している。
で、夢はそこで終わり、ぼくは目が覚めた。
フランスの田舎のベッドの上で、暗い天井を見上げていた。



若い頃の父さんは怖い人だったので、ぼくから近づいたこともないし、話をしたこともなかった。
当然、逆らったことがなかった。
一度も親子喧嘩をやったことがない。
ぼくははむかったことがなかった。
何度か、叩かれたことはあるけれど、ぼくから手を出したことはない。
この間、「父親失格」という日記を書いた時、実は息子とは2時間くらいぶつかり合った。大きな声で言い合ったのだ。殴ったりはしなかったけど、ぼくが息子の鼻先に指を突き付け時、それを払うように息子がぼくの手をもの凄く強く掴んだ。それは生まれて初めての経験だった。
大人に成長したのだ。
はっきりとした意思をぶつけられたので、ぼくはうろたえ、泣いた。

滞仏日記「死んだ父さんが毎晩ぼくの夢に出てきて訴えたこと」



それで、ふと思い出した。もしかしたら今年は、13回忌じゃなかったか、と思ったからだ。
父さんが他界してちょうどそのくらいの年月が流れている。
ぼくは去年、コロナで東京に短い期間しか戻ることが出来なかった。
福岡には行けなかった。今年も戻ってないので、墓参りも何もできていない。
この10年、毎年、大川の父さんの墓に手を合わせにいくのは出来の悪い息子のぼくじゃなく、ぼくの息子だった。
あの子はお爺ちゃんに可愛がられていた。
だから、息子もお爺ちゃんになついていた。
なので、墓を洗いによく出かけていた。フランスから日本に行く理由の一つが、祖父の墓参りだった。



明け方気が付いた。そうか、父さんは、ぼくの息子が心配でぼくの夢に出続けているのじゃないか。
進路で苦しんでいる息子、一人フランスに生まれ、そこで苦しんで生きている息子を心配して、ぼくの前に現れたと考えるのが自然だった。
そこにパスポートが結びつく。
離陸できない、今の状況をぼくに伝えようとしているかのようだ。



夜が明けるまでぼくは窓辺でギターを弾いた。
父さんの血をぼくは受け継ぎ、ぼくの血を息子が受け継いでいる。
その三人がどういう人生を生きたのか、生きていくのか分からないけど、魂のつながりというのはあるのだろう。
なんで、今頃、父親のことをこんなに思い出すのか、わからないけれど、ぼくの気付かないところで父さんはぼくを育てることにいろいろと苦心をしていたのじゃないかと思った。
まず、感謝である。そして、その気持ちを新たにして、息子を育てないとならない、と思った。
ぼくは窓辺に立ち、日本の方角を見て、手を合わせた。
「息子を助けてやってください。彼を守ってやってください。お願いします」
と祈った。

滞仏日記「死んだ父さんが毎晩ぼくの夢に出てきて訴えたこと」



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