JINSEI STORIES
滞仏日記「日本の母さんに食べさせたいパスタのレシピを弟に送ってみた」 Posted on 2021/08/16 辻 仁成 作家 パリ
某月某日、大雨とコロナ感染拡大中の日本にいる母さんのことが心配で、そういえば、日本に墓参りにも行けず、先祖の皆さまにも申し訳なく思った、今年のお盆であった。
ぼくは仕事があったのでパレ・ロワイヤルにいたのだけど、なんでか、お盆だからであろう、やたら、親のことを、思い出してならなかった。
最近は、息子にちょっと泣かされたからか、自分の父親のことをよく思い出す。
父さんは、ぼくのことが嫌いだったのかな、とか、何を思っていたのだろう、とか、本当によく考える。
親になると分かる親の気持ち、とはこういうことなのであろう。
自分の親にしてきたことが、今、自分の息子から戻されているという感覚・・・。
そういうことを改めて思い知らされた、このお盆という日であった。
せめて、まだ元気に生きている、86歳の母さんに、何か美味しいものを食べさせたいけど、日本には帰れない今、息子として、何かできないか、と悩んだ。
そうだ、レシピを送って、弟の恒ちゃんに作ってもらい、それを食べてもらえばいいじゃん、と思いついて、ラインでレシピを送った。(昨日の日記にも書いたので、参照ください。弟のカレーはなかなか本格派で、美味い。料理が好きな兄弟なのである)
味噌と生クリームとサーモンを使ったパスタなのだけど、簡単に作れて、おいしいのだ、とメッセージを添えておいた。
いつか、時間のある時に、思いついた時に、ちゃちゃっと弟が作ってくれればいいな、とその程度の気持ちで送った。
弟の恒ちゃんは二歳下なのだけど、独身だから、母さんに寄り添って、生きてくれている。
恒ちゃんも還暦だから、もう、若くない二人なのだ。
長生きしてほしい、と思う。
前にもちょっと書いたけど、弟は今、ぼくの個人事務所を手伝ってくれている。
主に、電子書籍の担当で、今、二冊目の「ミラクル」の電子書籍化に取り組んでいて、慣れない仕事だけど、やりがいがある、と言っていた。
12日に配信した「癒しを求めてパリ式ガーデニング」という記事はなんと、恒ちゃんが生まれてはじめて配信に成功した(?)記念すべき記事であった。
少しずつ、戦力になっている。ふふふ。笑。
昔はとっても堅物で、曲がったことが嫌いで、超頑固だから、よくぶつかっていた。ECHOESが解散した直後、しばらく、ぼくのマネージャーをやっていたのだけど、続かず、その後、FMラジオのディレクターになり、佐野元春さんの番組を長年担当したけど、その後、洋陶器を作ると言い出して窯を買っていきなり先生になり、個展をやったりしていた。笑。
その後、父親と同じ保険の仕事、AXAで働いたりもした。
しかし、結局、そこもやめて、今は母さんの面倒を見て、ぼくの仕事のパートナーになった。
いろいろと経験をしているので、いろんなことを知っているのだけど、兄のぼくから言わせると、佐野さんの番組をやっていた時代が一番イキイキしていたかな、と思う。
兄としては、音楽の仕事を続けてほしかったけど、思い込んだらどこまでも一直線な直球野郎なので、ま、仕方がないかな、とも思う。
母さんも、なんだかんだ言っても、弟が心配で、愛情を注ぎ込んでいる。
父さんが他界してから、弟が日本の辻家を支えてくれている、という感じだ。感謝しかない。
なので、電子書籍の仕事に、今、彼は新しい生き甲斐を見つけて、毎日、原稿とにらめっこしている、という次第なのである。
うちの息子が少し前に、あの二人は仲が良すぎていつも口喧嘩しているけど、なんだか、家族ってそういうものなんだなと思うよ、と偉そうなことを言っていたのを、思い出した。
おばあちゃん子なので、夏休みになると福岡に長期間滞在するのが息子の楽しみだった。
コロナのせいで、しばらく会えない、と悲しそうだ。
コロナが不意にこの世界を分断してしまい、会いたいのに会えない世界を作った。
ぼくも日本に帰りたいけど、日本での仕事は、今は、ごめんなさい、とお断りしている。
この時期、欧州から戻るのはどうなんだろう、と思うからだ。
生配信の地球カレッジが終わって、ソムリエの杉山明日香さんらと「お疲れ様」をしていると、そこに弟から写真が届いた。
開いた瞬間、ぼくは不意に弟に心を掴まれた。
それは「サーモンの味噌クリーム・パスタ」の写真であった。
恒ちゃんが、母さんに作って食べさせたのである。なかなか、上手に出来ている。
レシピって、こういうことが出来るんだ、と思って思わず泣きそうになった。
ぼくが作ったレシピを日本にいる恒ちゃんがぼくにかわって作って、母さんに食べさせた。
「美味しかったわよ。by 母」とあった。