JINSEI STORIES
滞仏日記「死ぬまで生きなさい、と言った母ちゃんの言葉を背負って生きる」 Posted on 2021/08/12 辻 仁成 作家 パリ
某月某日、今日はシャンゼリゼ大通りに下見に行った。
計画中の「パリ・オープンバスツアー&ライブ」が実現出来るかどうか、真剣に考えるために・・・。
同時に、メンバーとかスタッフにスケジュールの確認などもやっている。
前回のセーヌ川ツアー&ライブは日曜日にやったことで多くの人に視聴してもらえた。
今回も週末の土日狙いだったが、メンバーにどうしても日曜日は教会で演奏をしないとならないから無理だという者がいたので、10月2日で一応、仮予約を入れた。←やることが早い。
ところが今朝になって、バス会社から、
「ムッシュ。10月2日の土曜日なんだけど、シャンゼリゼ大通りは黄色いベスト運動がデモをやる可能性が高いんですよ。もし、そうなったら、どうでしょうね。やれなくはないんですけど、土曜日はリスキーかなと思いまして・・・」
という疑問符が投げつけられたのであーる。やば!!!
おお、そうか、黄色いベスト運動(ジレ・ジョーヌ)のことを忘れていた。
先の土曜日も、全土で23万人の大規模デモが繰り広げられたのだった。
彼らは解散するとき、「また来週~」と手を振っていた。
先々週も20万人を超えるデモ。そんなのとかち合ったら、ある意味、面白いけど、シャンゼリゼ大通りで「おーしゃんぜりぜー」なんて優雅な感じで歌っていられないだろう。
飛び交う火炎瓶の中で、ヘルメットで演奏をしないとならなくなる???
「しかし、ムッシュ。今まで、うちのバスが襲撃されたことはありません。向こうも、そこは避けてくれるんですけど、しかし、流れゴム弾とか飛んでくる可能性がありますし。間違って火炎瓶がバンドのど真ん中に着弾したら・・・」
と恐ろしいことを言い出した。
土曜日はダメだな、と思ったので、メンバーに、他の日とかないですかー、と問い合わせることになった。
ともかく、日程はさておき、まずはシャンゼリゼを歩いてみなきゃ、と思った。
というのも、パリで暮らして20年、なぜか、滅多にシャンゼリゼには行かない。
東京に住んでいるけど、東京タワーを登らないのと一緒である。
でも、そこで歌ったらどうなるのかやはり自分で歩いて、見て、感じて、イメージを掴んで最終的なルートを決めこむ必要がある。
現在、ぼくが立ち寄ってみたい場所の候補としては、シャンゼリゼ大通り、凱旋門、モンマルトル、モンパルナス、サンジェルマンデプレ、セーヌ川周辺、シャイヨー宮殿、コンコルド広場、オペラ座並びオペラ大通り、エッフェル塔周辺、ノートルダム寺院、あとポンヌフ橋を渡るとか、アレキサンドル三世橋とか、ヴァンドーム広場、ムーランルージュ、などなど、おおお、結構あるな。
横目で歌いながら通過してみたいのだ。実現したら、いい思い出にもなるじゃないか。
セーヌ川の船の上からでは見られなかったパリ市内の歴史的な街並みをバスで見学するのは、絶対に面白いだろう、と思いついたし、やるなら今だ、と思った。
しかも、うちのバンドで「オーシャンゼリゼ」を歌いながら、シャンゼリゼ大通りを通過する、世界中の観光客が手を振って声援を送ってくれるに違いない。前回のように・・・。
ううう、しかし、残念だけど、予測がつかないリスクを選択することはできないので、10月2日の土曜日は諦めるしかない・・・。
今回はバスツアー&ライブなので、降りようと思えば、凱旋門前で降りることも可能だし、或いは、ルーブル美術館前とかで誰かゲストを招きいれることも可能なのだ。
ペニッシュ(船)は途中で止めるのは難しいけど、小回りの利くバスなら出来る。
ぼくは気が付くと、凱旋門の前に立っていた。
ここなら、観光客らを前に路上ライブも可能だし、なんだって出来る、と思ったら、顔がにやけてしまった。
息子と大げんかをして体重が4キロも落ちたのに、そういう苦しい時に、逆に楽しい未来のことをぼくは考えて日々を食いつないだ。
息子のことは心配だけど、自分が元気じゃなければ子育てなんかできない。
ぼくはぼくで立ち上がるんだ、と思って、ベッドの中で、選曲とか、ガイドをするならここだな、などなど、楽しいことをずっと考えていたのである。
その妄想?がぼくに生きる希望を与えたと言っても過言じゃない。
「死ぬまで生きなさい」と母さんが言った。そうだ、死ぬまで本気で生きてやる。それが人間に与えられた自由というものなのだから・・・。
凱旋門の前で、ママ友のリサの家がここらへんだったはずだ、と思い出した。
それで、お茶でもどうですか、とメッセージを送ったら、
「それが、ひとなり、カフェに行けないのよ」
というつれない返事・・・。
「なんで? あ、バカンス中?」
「違う。衛生パスポートがないの。私、アレルギーあるからワクチン打ってない」
「えええええ」
なるほど、そうか。そういう人はカフェにもレストランにもいけない世界なのだ。
自分は二回接種終わってるから、うっかりしていたが、今のフランスは、パスポートがないとどこにも入れない世界なのである。
目の前のカフェの入り口に長蛇の列。
衛生パスポートのチェックを受ける人たちであった・・・。
「彼らの多くはアメリカ人とかドバイ人とかで、旅行者なのよ。ここにいる外国人はある意味安全よ。みんなワクチンパスポートを持ってるから」
「なるほど」
ということで、ぼくは凱旋門前のカフェに入って、コーヒーを頼んだ。
マシンガンを持った軍の兵士が見回っている。警察も多い。
コロナなのに、テロへの警戒も緩めることが出来ない観光地が、パリなのであった。
考えてみると、すごい世界にぼくらは生きている。デルタに、ラムダに、テロに、パリ・オリンピック・・・。
ルイ・ヴィトンとディオールの華やかなビルの前を観光バスがよぎっていった。
上の階に座っている人々はもちろん仏人もいるけど、海外からの観光客がほとんどだ。
アメリカ人はがんがんフランスに入って来ているけど、フランス人はアメリカに入国できないらしい。
フランス政府もやっと水際対策の強化が必要だと気づいたらしく、昨日、大統領報道官のガブリエル・アタル氏が、「これからフランスは水際対策を強化します」と宣言していた。
遅すぎる気がするけど、と思った。空港はザルなのだから・・・。
しかし、オープンバスの二階席に座った人たちはみんな笑顔であった。
もしも、そこで「オーシャンゼリゼ」を歌うことが出来たら、最高だろうなぁ、と思った。一万キロ離れた場所から、秋のパリの空気と音楽を日本に届けたい、・・・。
つづく。