JINSEI STORIES

滞仏日記「今日も負けるもんか、と父ちゃんは老体に鞭打ち?」 Posted on 2021/08/04 辻 仁成 作家 パリ

某月某日、老体に鞭打ち、ってこうやって活字にすると結構、凄い言葉である。
でも、分かる。まだ老体ではないけれど、ちょっと運動から遠ざかると身体の節々が他人事みたいになる。
来月、パリでライブがあるので、身体を鍛えなきゃ、と自分に叱咤激励(これも凄い言葉だ。遣い方が変だけどかまわない)し、今日をなんとか乗り越えようとした。
でも、キッチンに行きたくない。
なぜなら食器がシンクで堆く聳えている。
そもそも、食洗子ちゃんの中に溜まった洗い終わった食器を戸棚に戻してない。
トイレ掃除もやらなきゃ、と言い聞かせているのだけど、やりたくないし、トイレッとペーパーなくなりつつあるので、買いに行かないとならないけど出たくない。
ここのところ、家事に対して投げやり父ちゃんである。
なんにも、楽しいことがない、と愚痴が出た。最近、愚痴も増えた。この僅か数行書いただけで、ここまでの体たらく、草葉の陰で父さんが泣いているかもしれない。



それで、老体に鞭うって、なんとかベッドから這い上がり、昼食を作ったのは退屈日記で書いた通り、その後、仕事をした。
これが仕事と言っても、小説の仕事なので、本になるまでゴールが見えないから、自分が頑張らないといつまでも完成しない、という締め切りのない仕事で、良く続いているな、と感心する。
ただ、父ちゃんには鉄則があって、どんなにつらい日でも、必ず5時間は小説と向き合い。最低2時間はギターの練習をする、というルールを決めているので、そのルールのおかげで、頑張ることが出来た。
そうこうしていると、夕方、DS編集部のスタッフさんから、
「ニース市の市長さんが喜んでるらしいですよ」
と連絡があった。



「なんのこと?」
と聞き返すと、一昨日くらいに記者の方が書いてくれた「パリ最新情報」これが世界遺産に決まったニース市についてだったのだ。
フランス観光庁の日本人の方が市長に告げ口したらしい、笑。(言葉遣い間違えています)。
記事は読めないまでも市長が紙面を見てくれたそうで、ぼくにお返事を書きたいと連絡来てます、ニース市から、というので、ちょっと今日初めての笑顔になった。
「へー、なんでも、書いておくもんだね」
ということで、鬱っぽい空色の中に、夏の青空が垣間見えた父ちゃんだった。
「もしかして、いつかニースに招いて貰えるかな」
スタッフさんにメールをしたが、これに対する返事は戻ってこなかった。



一つ気分がよくなると、人間はそこにしがみ付き、そこを頼りに這い上がるとよい。
ぼくは、ニース、ニース、と言いながら、ベッドから起き上がり、掃除機を手にした。人間というものは現金なもので、気分で変われば、動かなかった腰もあがるし、食欲もでる。
すると、携帯にメッセージが飛び込んだ。ニース市長からと思ったら、韓国人脚本家のSHINNHOさんからだ。
「辻さん、今、パリです。今晩、お食事お願いしまーす」
「ああ、今日!」
この人は映画「サヨナライツカ」の脚本家さんで、今はニューヨーク州立大学で演劇や脚本を教えている教授である。
もしかしたら、今はアメリカ人かもしれない。
一日、家の中で寝ているわけにもいかないから、出かけよう、と思った。
ということは息子の夕飯を作り置きしておく必要がある。
キッチンに行き、愛する冷蔵子ちゃんと相談をした。目に飛び込んできたのは再び、トウモロコシであった。
数日前に土鍋で作った本格的なとうもろこしご飯については先の日記に譲るとして、即席トウモロコシライスでいいんじゃないか、と我が相棒の冷蔵子ちゃんのアドバイス。
おお、それだ。トウモロコシの皮をむき、髭を取るのが結構大変だけど、これはキッチンペーパーで包んで両手でぐるぐる回すといっぺんに取れる、←裏技である。
米を研いだら、包丁でコーンを切り落とし、芯と一緒に相棒の炊飯子ちゃんにぶち込む。炊飯子、頼むな、というとどこからともなく、
「がってんだ、父ちゃん」
と力強い返事が戻って来た。よし!
炊きあがったら、バターを突っ込み、蓋をして熱で溶かし、後でからめる。醤油は頂く前にかけると美味い。

滞仏日記「今日も負けるもんか、と父ちゃんは老体に鞭打ち?」

地球カレッジ

滞仏日記「今日も負けるもんか、と父ちゃんは老体に鞭打ち?」



調子の出ない時は、いろいろと自分を忙しくすればいいのである。
身体が動き出したところで、トイレ掃除をやり、シンクにたまった食器を一気に手洗いし、食洗器の中のものを棚にもどし、タックタックタク、と駆け抜けた。
ベッドでゴロゴロしていても一生、何だか知らないけど忙しく動き回っても一生である。
今日は一生で一度しかないのだ、ぐずぐずしていたらもったいないやろ、と炊飯子がトウモロコシご飯を炊きながら、はっぱかけてくれたので、父ちゃん、目頭を押さえた。
二コラが帰って、何か拍子抜けしていたのだ。
「父ちゃん、ワンちゃん、飼いなさい。あなたは誰かの世話をしている時が一番輝いてますっせ」
と冷蔵子ちゃんが言うので、もう反対側の目がしらをおさえてしまった。
まもなく、美味しいトウモロコシライスが完成をした。鳥ハムにキュウリを挟んで添えた。
簡単なマヨネーズマスタードソースでチキンを食べる。
ご飯には醤油、ううーん、トレビアン。笑顔の炊飯子と冷蔵子、おっと、食洗子ちゃんも!

滞仏日記「今日も負けるもんか、と父ちゃんは老体に鞭打ち?」



ぼくはジャケットを着て、いい男風に変身をした。
いつものよれよれジャージ姿でベッドでゴロゴロしている(息子に盗撮された)ださださ父ちゃんじゃなく、シャツを着て、びしっとジャケットを羽織り、ハットをかぶって、SHINNHOさんとの夕食会に出かけたのだ。

滞仏日記「今日も負けるもんか、と父ちゃんは老体に鞭打ち?」

滞仏日記「今日も負けるもんか、と父ちゃんは老体に鞭打ち?」

SHINHOはなかなかのジェントルマンなので、ぼくも負けずに頑張った。
ジャージ姿からのこの変身も気分を変える大きな行動力になる。
たまには着飾ると気分が上がる。
アメリカのここ最近のエンターテインメントの情報を聞き出し、またいつか、一緒に映画を作りたいね、という話しをしながら、美味しいフレンチに舌鼓を打った。
昨日の日記に出演頂いた、うどん屋国虎の野本氏とはえらい違いだが、そこは別物、笑ってごまかす。
SHINNHO氏と意見交換もでき、最近のニューヨークの情報、世界の映画事情なども学べたので、有意義な夜になった。帰り道、ぼくはある意味、若返っていた。えへへ。

つづく。

滞仏日記「今日も負けるもんか、と父ちゃんは老体に鞭打ち?」

自分流×帝京大学