JINSEI STORIES
滞仏日記「鬱っぽい父ちゃん、家にいちゃいけないと思い、言葉の通じない友人と。前編」 Posted on 2021/08/02 辻 仁成 作家 パリ
某月某日、二コラ君は息子が面倒をみるというので、預けることにした。
2人分の食事を作り、ラップをかけ、二コラ君のベッドはホテル並みに綺麗にベッドメイキングをして、今日は、ずいぶんと前から約束していたとある四国出身のおやじ仲間に会いに出かけることになる。
たまには気分転換くらいしないと人間もたない。
今日は珍しく日本人と会うことになった。
二コラ君を預かっている以上、深夜までは出歩けないので、夕方、早めにあって、軽く早い飯でも食べたら解散、という腹積もりであった。
エコールミリテールのカフェで待ち合わせた。ぼくはいろいろと家のことをやらないとならず、15分遅れくらいで現地に到着すると、すでにテラス席で、うどん屋のおやじ、野本がワインを呑んでいた。
「よお」
と言うと、
「あ、まいど」
と日本語が戻ってきた。
※二コラ君と息子のために作ったオクラのアフリカンカレー。これ、うまいです。次回、レシピね。。。
この野本氏については、過去記事で何度もご紹介したので今更だとは思うが、おさらいとしてもう一度軽くお話しをしておくと、まず、四国は高知の人間で、30年くらい前にオペラに讃岐うどんの店「国虎」を出し、その後、爆発的人気になり、最近ではおにぎりなども手がけている料理人兼経営者なのだが、とにかく、話しが通じないことでパリでは有名な人物なのである。
というのは、まず、何を言ってるか、わからない。
過去記事はこちら⬇️
https://www.designstoriesinc.com/jinsei/daily-1929/
「あ、あの、そ、それな、ええと、あれや、あれ、うん、ま、ま、ええわ、ええから、俺、そういうの、わからんし、だから、それで、そういうことや」
というような会話。
これは何について言ってるかというと、国虎が30周年でパンフレット作るというのでエッセイを頼まれて、どんなの書いたらええの、と聞いた時の回答である。
何を言ってるか、何がええのか、さっぱりわからない。
本人、坂本龍馬の大ファンで、ぜんぜん、違うと思うけど、龍馬をちょっと気取っている.
カフェに顔出すと、坂本龍馬になり切ったノモちゃん(野本の愛称)が身体をわずかに傾斜させて、幕末の日本に思いを耽っていた。
「よお」
というと、ニヤッと笑って、
「あ、まいど」
と言った。
だから、ぜんぜん、会話にならないのだ。実は先月くらいから、なんどか、日曜日の午後に電話が入ってくるようになった。
「あんな、あれ、あの、ま、ひとなり、だからな、俺、今、カフェにいる、カフェ、ほら、サンジェルマンデプレのカフェ、わかる? 俺、おるよ」
「よかったね。呑みすぎんなよ」
と言って、電話を毎回切るのだけど、最近、やっと分かった。
「俺、おるよ」の意味。
俺はここで、呑んでるけど、君、暇やったら、合流せんか、ということらしい・・・・。
それで、
「あ、もしかしたら、毎週、俺に電話してくるの? 飲みたいって誘いの電話か?」
と戻したら、
「あ、ああ、それや。俺はおるよ」
というのだ。そうとは理解できずに、ぼくは毎回、冷たく切っていた。
なんだ、そうか、そりゃあ、悪いことをした、と思い、今日のランデブーに至ったのである。
ちゃんと言えや、ということだけど、日本語もちゃんと喋れないのに、フランスで大成功するって、そもそも、謎過ぎる。意味がわからない。
もしかすると、話せないことでフランス人が全部いい風に理解して築いた今日なのかもしれない、となると、超ラッキーなおやじである。しかし、うどんは最高にうまい! マジで、この男だから出来る最高の四国うどんだと思う。
「どうなん? 最近?」
いかしたテラス席で、おやじ2人がワイン舐めながら、会話を始めたのだが、はずむわけがない。ま、そうやな、ま、ええと、ぼちぼち、・・・。みたいな。
「なんか、他に話題ないの?」
「あ、ま、ひとなり、あれやな、なんか、最近は、ほら、あれが、あれで、あれだから」
「あれじゃわからないよ。あれってナニ?」
「コロナ」
「コロナかい!!!!」
ともかく、ぼくはなんで同年代のこのおやじと洒落た今時風のカフェのテラス席で、ワインとか傾けあっているのか、悩んだ。
「で、コロナがどうした?」
とぼくが質問をした。
「だからな、ま、いろいろ、ほら、みんな、ま、それはそれであるからさ、でも、ま、コロナやから、コロナだって、ほら、あれやろ?」
「もしかして、デルタ変異株に気をつけろか?」
わかるわけがない。こんな会話を一時間くらい一緒に過ごしている間、ぼくは10回くらい、これは時間の無駄じゃないのか、と自分に言い聞かせたり、いったいノモちゃんとこうやって、呑むことに何の意味があるのだろう、と悩んだりもした。
しかし、友だちというか、同じパリで生きてる日本人で、頑張ってるやつだから、生存確認というか、同郷のよしみ、というのはある。意味はある、と自分に言い聞かせて、ワインをお替りしたところ、
「ひとなり、楽しいな」
と野本が微笑みながら、呟いた。
楽しいんかい・・・。
ぼくはそもそも、毎日、意味を探している。
でも、意味なんか必要としちゃいけない時間というのも実際、大事なのだ。
相手に何かを求めるばかりが人生の意味じゃない。
なんでもない、意味もない、どうでもいい時間というのを過ごすことの大切さをノモちゃんが教えてくれたのか、と気づいたら、ちょっと居心地がよくなった。
「そうか、楽しいのか? それはよかったな」
ノモちゃんがにやっと笑って、ワインを舐めた。
この男、一昨年、ルーブル脇の大会場でやったアマチュアの写真コンテストでグランプリを取っている。バカでかい会場に全世界から作品が集められ展示されるのだけど、そのトップに輝いているのだ。
「あ、あれか、ま、ま、まぐれ。笑ってくれ」
この男、実はただものじゃない。
ぼくらは、小一時間ほど、だらだらと2人で意味のない時間を過ごした。その間、会話も弾まず、ぼくはワインはやめて、コーヒーを飲んだ。
「だれか、呼ぶか?」
このままだとさすがにつまらないと思って提案してみた。
「あ、あ、あ、それ、今、思ってた」
「思ってたんかい!!!!」
「ひとなり、あの、だれか、呼んで、でも、ほら、あれやから、あれや、気をつけな」
「コロナね」
「そ、そう、それだから、ま、その、だからね」
「たくさんは呼べない。2人くらい呼ぶかってことだな?」
「あ、そ、そう、ま、あの、そのくらいが、やっぱ、今は、ほら、ほら、あれやから」
「コロナね、さっき言ったで」
「そうやな。あはは」
ということで、前編はここまで。
たぶん、野本だけだと会話も続かなさそうなので、知り合いをこれから呼ぶことになりそうだ。
つづく。