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滞仏日記「パパは死ぬまでドリーマーだと思う、と息子に言われた」 Posted on 2021/07/18 辻 仁成 作家 パリ

某月某日、一泊旅行となったが、まず、実家(田舎の家のこと)を息子に見てもらうということではいい旅になった。
たくさん話しも出来たし、懐かしい感じもした。
窓をちゃんと閉めずに寝たせいで蚊に刺された息子、朝、起きてきて、
「ババの家で刺されてから二年、蚊にさされてなかったから、懐かしかった」
とわけのわからぬ感想も漏らし、刺されて赤く腫れた場所まで見せてくれた。
ワクチンは大丈夫のようだった。その件に関しては何も言わない・・・。



地球カレッジ

やっぱり旅というのは人間関係の距離を埋めてくれる。しかし、ぼくの鬱っぽい気分はあまり変化がなかった。力は出ない・・・。
カンヌ映画祭のシーズンだそうだけど、撮影していた博多の映画、スタッフはみんな去っていった。
仮に奇跡が起きたとしても、主役の子役たちはこの二年でぐんと大きくなっているわけで、監督的には、撮影再会というのはさすがにもう不可能だと思う。
なにせ、絵がつながらないのだ。子供の時代の2年は大きい。
全力で挑んできたものが形にならない歯がゆさを言葉にするのは難しい。
監督料はすでに、昨年はじめ、映画製作者サイドに全額返金をしている。こういう挫折が最近は多い。
その上、息子の進学問題やコロナだから、鬱にもなる。
でも、諦めるか、新しい出口を探すかは自分次第だ。映画が終わった後、カメラマンの蔦井さんとはずっとやり取りを続けている。
「辻さん、とんとんとん」
彼の最後にくれたラインのメッセージである。蔦井しゃん、ありがとう・・・ああ、いい映画になったはずなのに、悔しい・・・。
辛いけど、仲間はありがたい・・・。がんばらなきゃ、と思った。



昨日、顔なじみの漁師さんから買ったエビを天ぷらにして、蕎麦を茹で、食べることにした。
息子が料理を手伝ってくれた。2人でキッチンに立った。
「パパは、ところで大丈夫なの?」
とエビを剥きながら、息子が言った。
「どうして? なんとか生きてるよ」
「そうなんだ。パパはぼくが大学に入ったら、ここで1人で暮らすつもり?  ここ、ちょっと寂しくない? 住んでる人たち、みんなお爺ちゃん、お婆ちゃんだし」
「ま、住めば都だよ。夕陽がきれいだ」
「誰かいないの?」
「パパはこの通り、性格がかなり難しいからね、お前が一番、知ってるでしょ?」
「知ってるよ。かなーり、難しい。それは間違いない」
「かっちーーん」
とぼく。声に、出た。笑。
エビの背ワタを取らないとならないので、息子に包丁を握らせ、背ワタを除去する方法を伝授した。
丁寧な下処理がおいしい料理の基本だと教えた。

滞仏日記「パパは死ぬまでドリーマーだと思う、と息子に言われた」



「でも、まだ、大丈夫だよ。そこまで老けてないし、誰か優しい人、見つけなよ」
「しつこいね。君、やでしょ? ここに見知らぬフランスのマダムとかいたら」
「ま、驚かないけど、やめときなよ」
ぼくらは笑いあった。
「一つ、言ってもいい? 君の助言はうれしいけど、1人になりたい人間も大勢いるんだよ。1人が気が楽だって思ってる人は君が想像するよりも遥かに多い。もちろん、若い頃は気づかなかった。パパは、今、1人でいることを何よりも楽しんでるんだ。1人は最高。負け惜しみじゃなく、素晴らしい。誰かと生きるのは今はいいかな、と思ってる。お前で最後だ」
「うーん、そう思っているのは自由だけど、ぼくがいなくなったら、毎日、こんな田舎で何するの?」
「そういう心配はいらないよ。パパには音楽があるし、仲間もいるし、でも、パパは、1人を愉しみたい。1人が気楽で、好きにできるし、これからは自分1人の時間を大事にしたい。それに、パパは表現するのが仕事だし」
「分かった。でも、決めつけないで、心を開いて待っていたらいいよね」
「お父さんみたいなこと言うね」
「あはは」
ぼくらはもう一度、笑いあった。

滞仏日記「パパは死ぬまでドリーマーだと思う、と息子に言われた」



エビを揚げた。頭も揚げた。
茶そばにした。パリから持参していたシソの葉と梅を添えた。美味しかった。
息子と向かい合って食べた。後、何回、こうやって食事をするのか、分からないけど、間違いなく、少しずつ、数は減っていくのだろう。
噛みしめて食べなきゃ、と思った。
「パパの夢はなに?」
「パパの夢?」
「うん、映画やコンサートがダメだったとしても、パパのことだから、夢は絶対持ち続けていくでしょ?」
「夢か。なんだろうね」
「何かやりたいことあるでしょ? 絶対、パパは死ぬまでドリーマーだと思う」
ぼくらは笑いあった。ドリーマー、あんまり素直に喜べない。夢か、・・・
でも、なんだろう、と考えた。
「一つ、ある」
「なに?」
「パパ、ライブやっている時、とっても楽しいんだ」
「いいじゃん」
「歌ってる時、すっごく喜んでるんだ、魂とか身体が・・・。野心はないし、お金にもならないし、だけど、楽しいのは事実だ。お客さんが1人でもいてくれるなら、続けたい。ライブやるのが今は生き甲斐かもしれない。あと何年歌えるかわからないけど、それは続けたいなぁ」
「オッケー。聞いたよ。パパの夢。やったらいい。誰も邪魔しない。ぼく、応援しているよ」
「マジか」
「マジだよ。夢があれば、大丈夫」
じーーーーーーーーん。
言葉がつまったので、蕎麦を大きな音をたてて、吸い込んだ父ちゃんであった。

滞仏日記「パパは死ぬまでドリーマーだと思う、と息子に言われた」



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